一年間で使ったテキストさんたち



と、写真にすると結構やっているような気がしてきました。
どれも有名なテキストだと思いますが、この中でかなりやりこんだのが、やはり、「漢語口語速成」の基礎編と「説漢語」の上巻でしょうか。301と「漢語口語速成」の入門編は、あまり丁寧にはやっていないかもしれません。しかも、下巻のみで上巻は持ってもいません。本人としては、ラジオ講座で入門的なことは習得できたと思っていたのかもしれません。しかし、今でも、301と漢語口語速成の入門編の、基本文型はよく出来ていると感じます。(マスターしていないとも言えます)
「漢語中級口語教程」は、約半分の第七課までで、テキストを変えることになりました。しかし、この第一課の文章は、わたしも老師も本当に好きです。この一課で作者たちは満足してしまったのかもしれません。


「説漢語」は301の次にやるテキストと紹介されていて、よく中級テキストの扱いになっていますが、実際には301のあとにすぐ始められる初級クラスかもしれません。
「漢語口語速成」のシリーズはテキストとして、文法や語彙の出し方や自然に繰り返すやりかた等、とてもよく出来ています。
「漢語初級口語教程」のテキストは、あまり口語テキストらしくないですが、朗読部分には、エッセイのような文章があるのですが、これが面白いと言えば面白いのですが、単語が容赦ないです。初級なのに、HSKの丁や丁にも入っていない語があったりします。
「初級漢語口語」は、わたしにはこの会話が面白くないのと、これだけ評判で広まっているテキストなのに、かなり誤植も多かったの不思議でした。
しかし、まずテキストを見ずに、CDで聞きとろうとするのですが、この入門編クラスの、初級漢語口語2ですら、聞き取れなかったりします。それは、テキストをみれば、簡単な語彙であるのがわかるのですが、まだ音が意味と結び付かないという問題と、言葉の組み合わせを、まだまだ分かっていないことに気づきます。
また、練習問題が多く、わたしはどのテキストも練習問題も隅から隅までやるのですが、特に「初級漢語口語」は、言い換え問題が好きで、ここにCDの音が無いのが残念でしたが、この文型を今度老師との会話で使いましょう。とたわいもないことを考えてたりして、使っていました。
「301」のテキストは練習問題も音声になっていましたが、やっていた時はしつこさを感じてしまいました。そういえば「新中国語」にも、練習問題まで音声に入っていたのが、偉かったです。やはり、いちばんテキストとして完成されていると思わせてしまう風格があるのは、「新中国語」だったのかもしれません。


そして、これらとは別にまた大学生用のテキストも10冊くらい使ったのですが、それらとこの中国のテキストを3月まで復習して4月からは中級のテキストを使ってみようと思います。
漠然とした復習では、とりとめもなくなるので、3月まではそれなりに、スケジュールを立ててサクサクやっています。また、ankiなどのツールや、ネットで特に声調に特化したゲームのようなツールを見つけたので、これで知っている単語達に声調を合わせてやる作業もしています。
今までは意識していなかった語彙量を正確な声調を意識して増やし、3月までにHSKの約3000を確実に。今年中にHSKの丙2202を足すくらいの語彙量を確認しながら増やしたいです。
ただ、語彙は知っている単語についてはツールなどで、比較的容易に記憶付けができるのでしが、知らない単語はツールで覚えても身に入らないので、やはりテキストが中心です。


この写真の初級テキストには、全て中級テキストがあるので、続きのそちらを使おうと思ったのですが、口語について言えばこの初級クラスの内容が完全に使えられるようになれれば十分だし。。というよりもっと口語ではない文章を読みたいわ。
ということで、何人かの老師が共通して薦めてくれました「発展漢語・中級漢語」「博雅漢語・中級冲刺篇」「橋梁」の三つを使ってみようと思います。
老師とは、「博雅漢語・中級冲刺篇」を一緒に使ってみて、発展漢語と橋梁は、自分でやるようにと仰せられました。
これら中級テキストの共通点は、厚いところでしょうか。
本当はテキストは数少ないものを徹底的にやる方が、効率がいいのかもしれませんが、こればかりは、性分なので、量が質を凌駕することを期待するのみです。

中国語のレッスン

わたしは学校に行くことや人から習うことが、あまり好きではないので、ふと冷静になると、どうして中国のレッスンを受けているのかしら。と違和感を覚えることがあります。
そして、このレッスン料一年分で、中国に2週間くらい行った方がいいのやも?
などと考えてしまい、先週のレッスンでは、本当に今月いっぱいでレッスンを中断しますと言おう。と、先生の家の扉を開ける時までは、考えていました。
いや、コートを脱いでいるときも、絶対言わなくちゃ。と考えていたのですが、インフルエンザのことを夢中で話している内に、ちょっと言うタイミングを逃してしまい。レッスンのあとに、言おうかしら。。と弱気に。
それからいつものレッスンで、音読をしました。こちらは、かなり真剣に準備をしたのですが、やはり何カ所も四声の間違いを指摘されます。
それから、練習問題の造句で、「驚いて怒りを覚えた」みたいなことを作らされたときに、何故か小学校の運動会のことを思い出しました。
造句は、いつも何も準備をしないで即興で、だらだらと話すのですが、この時も小学校で運動会があった。でも母は交通事故で動けなかった。父は仕事でいなかった。弁当は父が作ってくれた。でも、その弁当が盗まれた。みたいなことを少し話しては、老師に直してもらいながら、進みます。そこで、父の作った弁当が盗まれた。という事実の表現を言わせたあとに、老師が、わたしの気持ちを聞いてきたので、“难受”みたいな言葉を使いました。それを直されたのかどうか記憶にないのですが、またどうしてこんな昔の出来事を思い出したのか、全くわからないのですが、あの時の小学校5年生の自分の気持ちが蘇ってきました。それから、その担任の先生と蕎麦屋に行ったとか、カツ丼を奢って貰ったとか、そんなことは、思い出したこともなかったことなので、話したあと、これは本当のことだったのか、よくわからなくなってしまいました。
しかし、この課の練習問題は、全てこの時の事件の描写で進めることになり、また何故か中国語で、一生懸命あの時のことを説明しようとするわたし。老師がまるで精神科の医者のようにも思えてきました。


ということで、今までの練習問題の造句といえば、「猫とわたし」的話題ばかりだったので、一皮むけた?という気もして、今日までレッスンを受けてよかったわあ。と、いう気になってきました。


さらに、レッスンで使いはじめた教科書は「漢語中級口語教程」という教科書なのですが、これが、とても口語のテキストとは思えない。会話の形を借りた説明文。しかも説教くさく(老師談)文法の説明もほとんど無い。という奇妙な教材です。ただ、編集者がこの教材を読ませたいという意思が明確にあるので、ひとつひとつの教材の内容はどれも印象的です。ただ、単語も容赦なく、CDもかなり早いので、最近買った「橋梁」というテキストを知っていますか?と老師に聞いたところ、10年以上前のテキストだけど、と簡単に後ろの棚から取り出して見せて貰いました。表紙が同じで、一課のタイトルが同じなのでおそらく内容も同じはず。老師も、このテキストは量が多くて、最初は今の使っているテキストより簡単だけど、下巻からは、上級テキストになっているとのこと。
こちらのテキストに変えますか?それでもいいですよ?と言われる。と言われると、「いや、とりあえず、一緒に今のテキストを最後までお願いします」と言ってしまうちょっと天の邪鬼わたし。


そもそも、レッスンをやめようと言うはずだったのが、何故か「今の教科書を最後までやりましょう。」と言うなんて。また、少し時間がたつと、やはりレッスンはいらないのかも?そもそもわたしは、日本語ですら会話が好きではないのだし。と思うこともあるのですが、次回のレッスンでは、録音機を持って行こうと誓うわたしなのでした。

中国の小学生

今週の流れが続いてしまったように、机に座ってもなかなか集中できない土曜日でした。
レッスンでも、日本語での会話が進んでしまいました。老師が魯迅マニアでもあることから、その生い立ちから死にまつわる謎や他の著作のことまで教えていただき、いろいろと興味はもてたものの、今原文で魯迅の著作を読むのは厳しいです。
藤野先生と中級テキストの音読。テキストは美好的回忆という文の中で、そんな恰好いいやつはいないだろうよ。という人が出てくるのが可笑しいです。
道で怪我をしていたところを通りかかった人に助けて、病院と宿舎まで送ってくれた人にお礼を渡そうとすると、こう言われます。
他摇了摇了头,一脸真诚地说“我们俩在路上相遇,这是缘份。你给我钱没劲了。祝你早日恢复健康,回头见!”
老師も、これは中国人らしい文章とのこと。まあ、たしかに。。
テキストにも魯迅の両方とも、多くの方向補語が出てきます。これら方向補語の派生的使用法たちを自分で適切に使える日が、果たして訪れてくれるのか全く見当がつきません。


漢詩は杜牧の赤壁。杜牧という人のことを初めて知りました。


中国の小学生向けの物語や教科書も読みました。「心に残る中国語」のいくつかの文章は小学生の教科書に載っている。という話から、そういう文章があるのかという期待は全く叶えられなかったのですが、それでも当然手ごたえのある中国語と、中国の教科書が何を学ばせようとしているのかの一部がわかって面白かったです。
そういえば、自分でも未だに小学生のときに触れた物語や音楽のいくつかはしっかり覚えています。斯様に、子供時代をどう過ごしたかが、今に与えている影響の大きさを自ら思い知ら去られる日でありました。

中国語がある週末

週末の老師とのレッスンというのは、曜日も時間もお互いの都合を連絡しあって決めるのですが、先週は土曜日の午後のレッスンでした。
また、わたしは、この「小橘灯」の暗唱に一週間使えるだけの気力を注いでいたのですが、レッスンでは寧ろ、ついでに暗唱の場がある程度です。メインは北京大学のテキスト「漢語中級口語教程」を使いはじめました。感覚的には、このテキストを使うのは1,2年早すぎるように思え、とにかく知らない単語の洪水となっているのですが、テキストの内容がかなり面白いです。
一週間の間、全くこちらのテキストの準備をしていなかったので、3時間ほどかけて、テキストの単語の意味やピンインを調べたり、音読をしました。このピンインを調べるという作業は、また中途半端に知っているという単語にまで及んで四声を確認などしているので、かなり時間がかかってしまうのが、ピンイン無しのテキストの辛いところでしょうか。
また、知らない単語や、単語としてそのままでは辞書に載っていない語句も結構あるので、その周辺を調べたり、また使い方が気になって例文検索をよく使うなど、辞書を使っている時間がとても長いです。
しかし、それが全く苦にならないのが、このテキストの内容が面白かったためかもしれません。今回は「左眼跳财,右眼跳唉」という俗語に関する話題でした。二人の会話のやりとりが、まさしく相声のように絶妙で、落ちも効いています。

レッスンは、老師が授業を組み立てているというのではなく、老師から具体的な説明がされるということはありません。なので、こちらが質問内容を決めておいて、授業全体を組み立てておくような準備も必要なので、辞書を使いながら、これを聞こうとか、これは調べたけど、聞いてみよう。などなど、老師とのレッスンを想定しては、ニコニコしながら準備をしました。
たとえば今回は、碰运气の使い方や、踏踏实实、老实巴交、拾金不昧の意味とか、瞎扯,胡说,废话,のニュアンスとかとか。

また、午後は2時間ほどかけて、じっくりと暗唱の確認をする予定でした。今回は冰心の「小橘灯」の前半部分の暗記だったのですが、その後半の続きが気になり、結局後半部分を辞書をひきひき読みだしてしまい、この文章の素晴らしさに圧倒されてしまいました。
わたしの高校時代に英語でオスカーワイルドの「幸福の王子」を読んだときの感覚をすっかり思い出させられました。
それは、英語の学習ではなく、ただ完璧な小説が何なのかを知った。という感覚であったのと同じように、中国語の学習をしているのではなく、中国語で書かれた完璧な文書を知った。という感覚でした。


老師によると、「中国の小学5年生あたりに学校で習った文章なのだから、特に複雑な構文や単語はないでしょ」とのことですが、もちろん、初学者にとっては、敷居の高い語句も多いのですが、とにかくわたしにとって、中国語を学習してきたのも、ここで冰心の文章を読めただけで、お釣りが出るくらいだと思えました。
北京大学も留学生向けの、奇妙で読んでいて苦になるような小説を出すくらいであれば、この冰心のような、中国の少年少女向けに書かれた文章を提供すればいいのに。と遙か海の向こうから視線をやりました。


また、肝心の背诵の結果については、何カ所か老師に助けてもらって、マアマアな感じで終わりました。次回はネイティブの早さで5分あまりの長さの音読ですが、なんとなく、出来てしまうような予感をもちつつ、週末の夜もまた、初級用のテキストの音読をしながらドーパミン的な何かを出し続けて過ごしました。というわけで、結局この土曜日は12時間くらい中国語に触れることができました。

週末が待ち遠しいのは

最近は今までになく、週末が待ち遠しいのは中国語に触れる時間が多く作れるからです。とはいえ、以前は細かく、予定をたてていたのですが、次第にあまり予定を立てられなくなって、人生と同じく、成り行きの中国語練習となっています。
今日、明日の予定を書いてみます。
席慕容のエッセイ「贝壳」を暗記
汉语中级口语教程第一课の朗读「精深学英语」を飽きるまで音読
初级汉语口语の2と 提高篇を聞いたり音読したり。
あとは、週末に一冊のテキストか短編小説を通読したいです。あ、漢詩も暗記したい。
ここらへんは、やはり成り行きで。
初心者用の中国語小説があまりない。と思っていたのですが、まさしく日本から大学生向けや中国語学習者向けの短編小説がたくさん出ていることを、神田巡りで知りました。またそれぞれが古い本であるため、また殆どが絶版になっているので、なかなか書店では見つけらませんでした。ということで、またまたまた、中国語の古本コレクターとして、たくさんの中国語小説を購入してしまいました。


どの本も注釈つきであったり、対訳であったりで、またいくつかの本にはCDがついていたりで、とても読みやすいです。
書名を書くのも面倒なので、だいたい、これらを一度に買いました。



あまり考えたくはないことですが、すでに中国語関連の書籍は、雑誌を入れると200冊以上あるような気もします。何度も心の中で叫んでいることですが、もう中国語本は買いません!


村上春樹の翻訳本はたいてい揃いました。来年あたりから読み始めて、3年くらいで読み終えたいものです。

只要功夫深,铁杵磨成针


文化の日に、どこかで買ったのか、古いテキストの「修訂新中国語・上」をめくっていて、発音の練習になりそうかと思って、最初の課をCDと一緒に丁寧に読んでいました。
それが、結構面白く、結局このテキストの最後までを読んでしまいました。
特に、言い換え練習が、しつこいくらい繰り返されるのですが、これが本文の前にあるので、本文を読み上げるときには、すでに全ての文型が頭と体に入っているので、すらすらと読めてしまいます。
それが、あまりに面白かったので、また最初から二回繰り返しました。
ついでに、このまま下巻もやってしまおうとしたのですが、この下巻が、今のわたしの水準と同じくらいのようで、なかなか一気には進めるのがもったいない。というか進められないため、もう少しあとの楽しみにとっておくことにしました。


また、まえに古本屋で買った中には、この修訂の前にあたる「新中国語」の4巻もありました。で、これがまた、わたしの今の中国語水準よりかなり上なので、これを読むのは、もう少し先だろうと思ったところで、でもこのテキストはどこかで見たことがあるなあ。と記憶の扉を叩いたのですが、何度も読ませていただいた中国語学習ブログのこちらにありました。
http://ai-chan.cocolog-nifty.com/chinese/2004/11/post_1.html
そして、こちらのブログの作者はこの新中国語の4だけでなく、5も暗記をしていたのですね。これは、最近になってようやく暗記をはじめたわたしが想像するに、自分では、おそらく300回どころか、500回読んでもたどり着けないような気がします。


今は、一週間にほんとに薄い大学のテキストのたった一課分に苦労しているところです。
ただ、せっかく暗記をすすめていた文章も、今回が一番長いので、覚えたと思ったところが忘れて、また新しい部分を覚えると、前日の分がきれいに忘れ去られていたりします。恐ろしきは、わが頭脳です。


さらに老師の授業で、使う中級のテキストが難しすぎる。李白が、老婆婆 石头上磨一根铁棒を見ては、只要工夫深,铁杵磨成针とか豁然开朗とか锲而不舍とか持之以恒とか专心致志とか言ったりする課なのですが、多くの単語が頭の中に入ってくれません。音読が精いっぱいかもしれない。
ただ、この課で、まさしく中国語の学習には「最好要能背诵」と説明されていることに背中を押されながら、ほんと、ブログなんて書いていないで、もう少し音読と暗記をします。
世上无难事,只怕有心人。只要不怕艰难,勇敢攀登的人,就一定能到达风光无限的顶峰。