再访上海


「再访」という中国語は無いのかもしれませんが、昨日老師と話していて、「再别康桥」の「再别」が詩人の作った言葉のようなもの、と教わったので。であれば、「再访」くらいわたしが作っても罪にはならないのでは。。とフイツジェラルドの「バビロン再訪」のようなニュアンスで。


我住在上海的时候,最奇怪的事是没什么在海外的感觉。
高层建筑或者小胡同的样子都与日本不同,当然食物和语言也都完全不一样,不过不知为什么,我没怎么感觉到自己身处外国。
这是为何呢?在上海的期间经常都在考虑这个事情。返回日本到现在已经一周了,我却还会突然有种徘徊在散发香草味儿的上海胡同中的感觉。
简直像被谁招唤一样,我无数次回到上海,漫无目的地走在陌生的胡同中。


上海にいて、一番不思議だったことは、海外に来ているという感覚があまり無かったことです。高層ビルも、あるいは小さな路地の形も違うし、もちろん食べ物も、言葉も違うのですが、なぜか、外国という違和感はあまり持ちませんでした。
これは、なぜなのだろう。と上海にいる間よく考えていました。
また日本に戻ってから一週間もたったのに、今でも突然、あの香草の匂いがする上海の路地裏を歩いている気もちにさせられます。
これからも、思い出したように、上海の出来事は書いてみたいです。


上海にいる間、多くの人たちと自由に会話をしたというわけでは勿論なく、本当に簡単な言葉を並べる程度の中国語です。大雑把な感覚では、初級テキストを完璧に使いこなせて、必要な単語の知識さえあれば、相当自由な会話ができるのではないかと思いました。
中国には、日本から4冊のテキストを持って行きました。「汉语口语速成 提高篇」と「博雅汉语 中级冲刺篇」と「通訳メソッドを応用した中国語短文会話800」と「初級を超えるための中国語単語BOOK」です。


「汉语口语速成 提高篇」は昨年から、かなり使ったつもりになったのですが、このテキストをまだまだ消化できていないことを気づかされました。と同時に、このテキストの会話を自由に使えれば、もう用事を足すという意味においては十分だと思います。
「英会話は中学英語で十分」とよく言われている中学英語は、まさしくこの「汉语口语速成 提高篇」か、もしくは「汉语口语速成 基础篇」なのかもしれません。
「博雅汉语 中级冲刺篇」は、今年になって結構読んだり音読もしたいたのですが、現地の人の前で音読をすると、かなりボロボロでした。
「通訳メソッドを応用した中国語短文会話800」と「初級を超えるための中国語単語BOOK」は、7月から初めて、9月までの三か月で終わらそうと、本当に真面目に毎日続けていました。右にある100冊プロジェクトが7月から止まったのは、まさしくこの2冊を真剣にやっていたためです。
そして、中国に行く前に、毎日中国でも続ければ、無事に9月で終わる。というペースだったのですが、中国では殆どこの2冊のテキストを開くことはありませんでした。あまり時間も無かったとも言えるのですが、このようなトレーニング系のテキストを中国に来てまで続ける気持ちが湧かなかったのです。
「通訳メソッドを応用した中国語短文会話800」は、評判もいいし、「初級を超えるための中国語単語BOOK」については、比較的新しいテキストですが、単語集というより、于美香さんと于羽さんが作られて例文が読み応えのある面白さのテキストです。両方とも丁寧に読みこなしてから、何度も音読やシャドウイングをしていました。
しかし、中国に来ていると、こういった練習を重ねていく方法は、わたしには必要がないのではないのではないだろうかとも感じてきました。


効率的学習という観点では、日本で売られている、こういったトレーニング系のテキストは、きっと効果的なのかと思います。
ただ、現地での会話や、最近読み始めた、散文や短編小説と比べてしまうと、これらの脈略が無い短文を暗記していくことの退屈さが際立ってしまうのです。
とはいえ、貧乏性でもあるので、10月いっぱいは、しつこくこの2冊を続けて、それなりに内容を消化し、また大量にあるピンインつきの日本の大学生用教材や、市販の初級教材を、年内にさっとやっつけたいものです。中国語をはじめて2年目になる、来年の1月からはテキストではない、中国語の散文や小説やDVDを使っている自分を想像してみるのでした。




对了,我看到上海到处都有这样的桌子。使用的人是小宝宝?这是非常小又矮的桌子。
不过,在上海的处处地方都有卖,大学的校园也卖的。
有一次,我问在夜市卖这些桌子的人,这到底是什么?他回答,这些叫做“懒虫桌”。也就是说,那些很懒的年轻人,不起床,而是在床上吃饭和读书和游戏,都用的是这个。
你们知道吗?



これは、上海で買ったDVDと本ですが、恥ずかしくて公表できません。
本も、DVDも4,50冊程度を買ってしまい、スーツケースは体感重量30kgを超えていたのですが、なぜかお咎めがありませんでした。

中国で愛を語る (三日目)


昨日の盲人マッサージの人は、体が横にも縦にも大きく、声も太くて大きく、ちょっと恐かったのですが、本当にマッサージをしているときは、これで治るのではないかと思って、腰を押されて唸りながらも、完全にこの腰痛が直ってしまい、毎日このお店にお礼と世間話をしに立ち寄る自分すら想像してしまいました。
しかし、現実はなかなか厳しく、結局は明日こそ、病院へ行く覚悟を決めました。
果たして中国の医者とコミュニケーションがとれるのか?そもそも、受付をどうするのか、支払いは、などなど、謎だらけです。。


そんな状況ですが、朝は書店で大量の本とDVDを買いました。もう中国語の教材は、何も買わず。しいていうと天声人語の中国語訳が教材っぽいのですが、後はいろいろな方が紹介してくれた作家たちの本と、DVDです。はたしていつになったら読めたり見たりできるのか、という疑問もありますが。無事に日本へ持って帰れるのかなあ。という漠然とした不安もあります。
あと、カシオの中国製電子辞書も見せてもらいましたが、値段が日本より高い、約3000元とだいたい同じ金額の2500元というのでは、手が出ませんでした。

今日、大学院生に教わったこと。
毕淑敏の本を買ったということを話すと、彼女が軍人出身であった話やチベットのことなど。また岩井俊二が好きで、彼は中国でとても人気があるとか。
発音は、unのときは、uenのeをさりげなく響かせて。
再•••不过了は、别提多•••了と、全く違う。再•••不过了には、最、唯一、というニュアンスがある。また、他人に対して言う言葉。
と、興味を持ったり、説明をしてほしい単語やフレーズを、わたしが別の言葉に置き換えて、同じ意味ですか?と聞くと、たいていは、こういうニュアンスがあるから違うと言われ、そこでわたしが、こういう文章では正しい?これは?などとすり合わせたりして、OKをもらうまで、例文を作ったりします。
実際には今日教わったことも、忘れてしまうことも多いと多いのですが、4時間話しっぱなしというのは、かなり密度が高い中国語会話が出来ていると思います。
ただ、腰が痛くて、何度か立ちあがっての会話となったのですが、それはそれで、臨場感のある会話練習でした。
前から感じていたのですが、漢字を見れば何の問題が無いような、たとえば不是•••就是•••。という文章も、耳で聞くと、意味がつかめなくなります。
二人だけの会話なので、いろいろと脱線し放題なのも楽しいです。それと似た成語があったなあ。というと、なんとかその成語をあててもらえて、また似た成語をおしえてもらうというのは、記憶に残ります。
また、「一番」という量詞の説明で、でも、これは必ず数は「一」しか使わないという説明で、例文を作ったり、わざと違う例文を作ったりして、でも例外で「三番两次」がある。という所で、そうそう、その成語は習ったことがありました!という繋がり方も、またとても面白いです。
「基本上」の言い換えで、十个•••有九个•••。という常套句の例文は作っているだけで楽しいです。


と、そんな本日の中国語テンションがさらに上がった理由のひとつに、書店での本探しが楽しく、また荷物が多かったので帰りはタクシーに乗ったのですが、運転手さんとの会話がほぼ100%成立したことでしょうか。
奥さんの仕事や息子の大学のこと、親子の関係や夫婦の関係を保つ秘訣を話してくれたので、わたしも自分の人生でも、本来は全く存在しない自分の明るい冗談好きな性格を無理やり作り出して応対して「結婚は愛が無くなっても親切が少し残っていればいい」とか適当なことを言っている内に、自分でもわけがわからないまま、ありえない早口な中国語を話している自分がいました。
しかし、未だに食堂の人たちと会話が上手くできないことは、忘れておきます。

中国でもひとりで出来た(二日目)

お昼から紹介していただいた大学院生の方と会って、中国語で街を案内してもらうという予定だったのですが、あまりに腰が痛いため、どこにも行かず教室のような場所での自由会話で過ごしたのですが、これが全く正解でした。
また、本当は週末だけの予定だったのですが、いろいろあって他の方までを紹介してもらい、結局中国にいる間は午後はずっとどなたかに相手をしてもらうことになりました。


会話は、共通の知人のことから、小説やアニメの話しだったのですが、注意されたことを忘れないうちに書いておくと。
発音はanとangとengの区別。Uの発音。他にもよく言われることを指摘されました。
文法のようなことでは、
離合詞を正しく使えてない。〜不惯を使えてない。砸了は、動詞の後ろにつけて使え。大饱口福を使えるなら、大饱眼福も使って。不至于と至于。下来と下去。
他にも、うんうん頷いてばかりだったのですが、自分のノートを見ても、宮崎駿とかラピュタとかナウシカとかで、もう他の字がよく読めません。
また、それは、こういう意味でしょうと、わたしが別の単語を使うと、大抵は、その意味は違うと言われました。そこで、説明をしていただいた例で造句をしたりする内容でした。
例えば、一下子は马上に意味が近いですよね。と言うと全く違う。一下子は、「量が多い時に使う」という説明をされました。それは全く知らなったし、辞書にもそんな説明は載っていないのですが、確かにどの例文を見ても、そこには「量が多いから、急には」という使い方ですね。
普段から外国人に中国語を教えている方でしたが、どうしても意味が分からないところは結局は英語で意思の疎通をしたりしたのですが、またその英語の単語がわからなくなって、中国語で説明をしてもらったりして、今は何をしているのかわからなくもなりましたが、中国語を教えることにとても情熱的な方だったので、そんな様を見ているだけでも元気をもらいました。


話の流れで、腰痛の話になり、知り合いのドイツ人は盲人のマッサージ(ここでanの発音について何度もやりなおされる)に行って、評判が良かったということを教えてもらいました。そういえば、途中で盲人の人に会ったなあということを思い出し、調べてみたら、宿の近くに盲人のマッサージ店がありました。
かなり、行くのを躊躇したのですが、夜になって、さらに痛みが増したので、思いきって店に入ってみました。
なんとか、フロントで、「腰が痛くて歩くのも辛い」と言っては見たものの、容赦ないスピードで返されたので、なんとなくわかったふりをしていると、個室に案内され、彼は日本人が嫌いだよ、と聞きたくもない説明をされてマッサージを受けました。
例によって、1割2割くらいしか、話す内容がわかりませんでしたが、マッサージの力で何度か悲鳴をあげつつ、「まだ腰は痛むか?」と聞かれると、「いやあ、治ったみたい」と言ってしまう調子物でもあるわたしです。実際にその直後は、大丈夫かも。。と思えたのですが、それは体の別の部分にもマッサージをされた痛みを感じただけで、やはり腰痛は、あまり快方に向かえていません。


あと、交通卡を作ったり、スーパーに行ったりという、目いっぱいの一日でしたが、またここらへんを老師に、「一人で出来ました!」報告をする準備を横になりながらします。という、わたしの中国語の大部分は老師のためにしている気がしないでもないこの頃です。

そしてインプットにこだわる

なんだかんだとこちらの「はてな」に中国語関連のことを書き始めて、1年がたちました。
書き始めた頃は、もっと中国語を早く習得することについて、ガツガツというか逼迫感のようなものがあったように思います。
去年の7月は会社の夏季休暇として2週間休み、自宅留学をしました。ひたすら自分の家で「漢語口語速成−基礎編」の音読をしただけなのですが。。。今読んでも呆れるほど音読を繰り返していました。
ただ、この時の2週間は、かなり自分の中国語の基礎となったと思います。
はてな」に記録することが、中国語を続ける推進にもなるような気がして、実際に毎日のように記録をするためにも、ひたすら音読ができた点もあったような気もします。

今は、記録しなくとも、もう中国語を毎日続けられる体にはなったような気がします。


そして今は何をやっているかというと、主に中国の留学生向けの中級テキストを読んでいます。手元に4冊があるので、およそどれも3課が終わったあたりです。
その他にも、留学生向けの閲読テキストや日本の大学生用閲読テキストを何冊も持っているのですが、なかなか進みません。
あと、「聴く中国語」も、およそ2か月かけて1冊をなんとか終わりました。これは想像以上に手ごわかったです。
いったい、「聴く中国語」とはどのあたりを読者にしようとしているのでしょうか。冒頭の漫画で描かれた会話は本当の初心者でも十分に読める記事です。ただ、その他のインタビュー、新聞記事や各特集記事の内容は興味深いのですが、いかんせん容赦の無い中国語は手ごわすぎました。
おそらく「聴く中国語」を使って中国語を勉強したい初級の人にとっては、殆どの記事が難しく、また「聴く中国語」を十分読める人にとっては、もうわざわざ「聴く中国語」を買ってまで読みたいとは思わないのでしょう。
しかし、これも今こそ読まなければ。という思いで、今年の4月から遡って、読んだり、聴いたり、音読したりして、一年間でなんとか征服をしたいものです。


と、中国語のアウトプット練習は、ひと段落させて、また夏と秋は一気に大量のテキストを読みたいものです。
いつのまにか、面白い文章だけを、随便に読むという習慣になって、自分でも何をどこまで進んでいるのか把握しやすいように、ここに出来るだけ、頻繁に記録をしてみようと思います。
この夏のわたしの中国語の目標は、「簡単で面白い中国をたくさん聴き、たくさん読むこと」です。
やろうとはしたものの、わたしには無理だなと思ったのは、単語の暗記と、短文暗記です。いや、「ただ面白くないから」という理由ですが、わたしには、何が効率的かではなく、ただ人生は、あまりに短いと悟らせる事件が続いたことから、もう単純な暗記はやめるようにしました。
ただ、去年もやったような有名な小説や漢詩や散文の暗唱は、これからも続けたいと思います。
結局のところ、わたしはビジネスには向いていなかったのでしょう。何が効率的かではなく、何が面白いかに拘りたいです。

一年間で使ったテキストさんたち



と、写真にすると結構やっているような気がしてきました。
どれも有名なテキストだと思いますが、この中でかなりやりこんだのが、やはり、「漢語口語速成」の基礎編と「説漢語」の上巻でしょうか。301と「漢語口語速成」の入門編は、あまり丁寧にはやっていないかもしれません。しかも、下巻のみで上巻は持ってもいません。本人としては、ラジオ講座で入門的なことは習得できたと思っていたのかもしれません。しかし、今でも、301と漢語口語速成の入門編の、基本文型はよく出来ていると感じます。(マスターしていないとも言えます)
「漢語中級口語教程」は、約半分の第七課までで、テキストを変えることになりました。しかし、この第一課の文章は、わたしも老師も本当に好きです。この一課で作者たちは満足してしまったのかもしれません。


「説漢語」は301の次にやるテキストと紹介されていて、よく中級テキストの扱いになっていますが、実際には301のあとにすぐ始められる初級クラスかもしれません。
「漢語口語速成」のシリーズはテキストとして、文法や語彙の出し方や自然に繰り返すやりかた等、とてもよく出来ています。
「漢語初級口語教程」のテキストは、あまり口語テキストらしくないですが、朗読部分には、エッセイのような文章があるのですが、これが面白いと言えば面白いのですが、単語が容赦ないです。初級なのに、HSKの丁や丁にも入っていない語があったりします。
「初級漢語口語」は、わたしにはこの会話が面白くないのと、これだけ評判で広まっているテキストなのに、かなり誤植も多かったの不思議でした。
しかし、まずテキストを見ずに、CDで聞きとろうとするのですが、この入門編クラスの、初級漢語口語2ですら、聞き取れなかったりします。それは、テキストをみれば、簡単な語彙であるのがわかるのですが、まだ音が意味と結び付かないという問題と、言葉の組み合わせを、まだまだ分かっていないことに気づきます。
また、練習問題が多く、わたしはどのテキストも練習問題も隅から隅までやるのですが、特に「初級漢語口語」は、言い換え問題が好きで、ここにCDの音が無いのが残念でしたが、この文型を今度老師との会話で使いましょう。とたわいもないことを考えてたりして、使っていました。
「301」のテキストは練習問題も音声になっていましたが、やっていた時はしつこさを感じてしまいました。そういえば「新中国語」にも、練習問題まで音声に入っていたのが、偉かったです。やはり、いちばんテキストとして完成されていると思わせてしまう風格があるのは、「新中国語」だったのかもしれません。


そして、これらとは別にまた大学生用のテキストも10冊くらい使ったのですが、それらとこの中国のテキストを3月まで復習して4月からは中級のテキストを使ってみようと思います。
漠然とした復習では、とりとめもなくなるので、3月まではそれなりに、スケジュールを立ててサクサクやっています。また、ankiなどのツールや、ネットで特に声調に特化したゲームのようなツールを見つけたので、これで知っている単語達に声調を合わせてやる作業もしています。
今までは意識していなかった語彙量を正確な声調を意識して増やし、3月までにHSKの約3000を確実に。今年中にHSKの丙2202を足すくらいの語彙量を確認しながら増やしたいです。
ただ、語彙は知っている単語についてはツールなどで、比較的容易に記憶付けができるのでしが、知らない単語はツールで覚えても身に入らないので、やはりテキストが中心です。


この写真の初級テキストには、全て中級テキストがあるので、続きのそちらを使おうと思ったのですが、口語について言えばこの初級クラスの内容が完全に使えられるようになれれば十分だし。。というよりもっと口語ではない文章を読みたいわ。
ということで、何人かの老師が共通して薦めてくれました「発展漢語・中級漢語」「博雅漢語・中級冲刺篇」「橋梁」の三つを使ってみようと思います。
老師とは、「博雅漢語・中級冲刺篇」を一緒に使ってみて、発展漢語と橋梁は、自分でやるようにと仰せられました。
これら中級テキストの共通点は、厚いところでしょうか。
本当はテキストは数少ないものを徹底的にやる方が、効率がいいのかもしれませんが、こればかりは、性分なので、量が質を凌駕することを期待するのみです。

何時から、ピンインがないテキストを使えばいいのか

と、そんなことを説明している文章を見たことがありませんが、いったい中国語の学習を始めてからどのくらい経ったところで、ピンイン無しのテキストを使いはじめればいいのでしょうか。


中国で作られテキストは入門書にはピンインがあるものの、すでに初級テキストからピンインはありません。ところが、日本の大学生向けのテキストや市販されているテキストでも、すでに1年以上中国語を学習している人向けと書いてあっても、殆どのテキストにピンインがふってあります。
わたしは、半年くらいで中国の初級テキストである「汉语口语速成」の基础篇を使い出したのですが、それが良かったのかどうかわかりません。明らかに急ぎすぎるペースで漢語会話301句と「汉语口语速成」の入门篇を終わらせたつもりになって、「汉语口语速成」の基础篇と「说汉语」を開いても、決して内容が難しくなったと感じなかったので、なんとかできるのでは?ということでサクサク進めてしまいました。
確かに、読めるしテキストを見ながらCDを聴けば、聞き取れるし。ということで、CDの音を真似した音読もかなりの回数をしました。
ただ、漢字がもっている四声をきちんと覚えようとしなかったので、また「说汉语」には四声の印があったので、それに頼り、「汉语口语速成」にいたっては、辞書をひいては、四声の印をつけていました。
実はそれは今でもそんな癖が抜けずに、四声記号がないと、かなり基本的な漢字ですら自分で調べてはテキストに印をつけてしまいます。四声記号なしでは生きられない体になってしまいました。ノー四声マーク,ノーライフです。


しかし、もしかしたら、四声マークがないと発音ができないと思っているだけ?実は無ければ無いで自然に口から正しい四声が出てくるのでは?四声は体で覚えろとかいうし、もう一年もやっているんだから実は四声も体にしみこんでいるかもよ!
と、妙に楽観的な考えが浮かび、まったく四声をふらずにネットでのレッスンをうけてみました。(予習をしなかったとも言えます)しかし、やはり気が弱いのでレッスンの最初に、今日は時間がなかったので、全く準備ができていませんでした。みたいなことを言うと、当然老師は、「没关系没关系」と言ってくれるのです。
ところが現実は、レッスンでは自分でも呆れるくらい四声がぼろぼろに。そして、「なんだか別人のようで驚いてしまいました。哈哈哈哈」と笑われてしまいました。
そもそも、今まではいちいちあなたは四声を調べていたのかと驚かれてしまいました。そうそうわたしの予習とは四声を調べることに他ならなかったのです。「四声を正確に覚えないと同じ発音でも意味が違ってくるのですよ」と優しい日本語で言われましたが、もうそんなことは知っていますよと涙目になりながら、我也不知道为什么我记不住。很难很难。みたいにへらへら対応してしまう日本人でした。


要は「わたしは四声が覚えられない」ということを、これだけの字数を使って書いてしまっただけなのです。数回出たことがある中国語発音教室では、殆どの人が一度発音を聞くと、何声何声と把握できるのに驚きました。あれから一年ほどたっても、未だに音声を聞いてもなかなか正しい四声を判別できない四声音痴にとっては、漢字を音で記憶するという単純らしい芸当ができないため、もう何が何でも漢字の四声を強引に覚えるしかないと覚悟しています。(あたりまえ?)


また、この「はてな」でコメントをいただいている先生の御厚意により、わたしの発音を聞いて貰い、貴重なアドバイスもいただきました。ただ、お送りした発音がまさしく、暗記しているくらいの練習済み発音であったので、まだまだあまりボロが出ていないことは、ここだけの秘密です。

一日中、中国語の音読をしてみた

前から建国記念日は、中国のネットレッスンを一日中やってみようと予定をしていました。朝の9時から夜の12時まで5コマのレッスンをお願いして、間に2時間以上あけるようにしました。
テキストは既に自習で使っている「汉语口语速成提高篇」の1課から、課文の音読だけをして、レッスンではただただ発音をチェックするようにお願いしていました。そのために先週はこのテキストの1課からかなり音読の練習をして準備もしました。
しかし、さらに小心者なので、当日もレッスンの時間だけでなく、レッスンの間の時間もひたすら音読をしていました。
CDと一緒に言ったり、シャドウイングをしたり、CDを止めてテキストを見ないで言ったり。もうひたすら音読です。この「ひらすら」感に酔ってしまい、音読ハイ?というくらい、音読機械になったかのように只管朗读でした。
しかし、4回目のレッスンでようやく気づいたのですが、レッスンで発音チェックをしてもらう朗読では、もう内容が全く頭に入っていません。ただ中国という暗号を口から発しているだけになります。
このピンインのないテキストだと、さらに声調を思い出したり、ここで変調ね、三声が続くけどもう全部三声でもいいじゃんとかとか。発音や四声でよく指摘されることを思い出したり、思い出せなかったりで、わたしの穴だらけの脳はたいへんです。
内容が頭に入らない音読って、意味無いのでは?と悩む時間も惜しむように、また最後の11時から12時までのレッスンのために音読をしていると、頭が痺れるように痛くなってきました。が、そんな頭痛を悩む間もなくレッスンになると、これがやはり最低の出来になってしまいました。
なんとなく、最初のレッスンが一番まともで、どんどん発音は乱れていってしまったかもしれません。本当に、基本的な単語の四声ですら、安定しなくなってきます。
やればやるほど自身がなくなってきてしまいましたが、これを運動と同じような理屈で考えて、筋肉の疲労が溜まってしまったからで、過度の筋肉疲労を起こすことで、超回復がやってくるのやも?と、都合良く運動理論と結びつけて考えたりしてしまいました。


5コマの老師は、全部同じではないのですが、老師によって、発音の教え方やこだわり方が違うのは、面白かったです。「L」の子音に拘る方や、日本人の「u」が全然だめだと、細かく何度も反復させられるのも良かったですし、とにかく早く読む練習をした方がいい。と、ありえないくらい早く読まされるのも面白かったです。
最後のレッスンでは、知っている老師だったので、いつもより発音が良くないですね、と言われて、朝からずっと音読していましたと言うと、それは中国人より中国語を話しているね!と笑われましたが、確かにこのくらいの時間で、もう少し中身のある練習ができれば、上達するのやも?と不可能な希望を考えつつ、倒れるように寝てしまいました。


土日は、それなりに用事もあったのですが、またもや近所の老師とネットの老師のレッスンをしました。
土曜日の近所の老師のレッスンは、床屋の話から、「髪の毛を切る」という表現に把を使えないかと聞くと、自分の意思でないので使えないと言われ、では理髪師が客の髪を切るのなら?と聞いたところ、それも使えないと言われました。エー?と心の中では頭を捻り、寒くなったという時の表現でも、把を使うじゃん。と思うも、長くなりそうなのでレッスンではあまり拘りませんでした。
家で「把头发剪」を調べると、後ろに各補語をつけて使うような?こういう時の例文検索では、googleで調べるよりというかgoogleの検索をあまり使いこなせていないのか、わたしは、北京大学の「ここ」をよく使います。辞書に載っていない語法なども、これではかなりの数の例文を出してくれるので便利なのですが、ここに、「把头发剪」を入れると、気持ち少ないような?もしかしたら、やはり老師が言うように、自分の髪の毛を切るときだけに使う表現なの?と思って「把 的头发剪」としても、僅かながらヒットするので、ありな表現なのかもしれません。
肝心なレッスンの音読は、テキストにかなりの文字に声調記号を書いたのに、またもや無惨でした。。自分の中では、間違えるというより、スラスラ読めなくなる。声調や発音は間違えていなくても、中国語のリズムに全く乗れない。という感覚が嫌なのですが、ホンとうに今日、始めて中国語を習っている人のように、つっかえつっかえとなってしまいました。


日曜日は、さらに日本のピンインがあるテキストを読んだのですが、これは疲れた脳にやさしいです。と思うも、ピンインの声調記号に頼ってしまうと、いつまでも各漢字の声調が覚えられなくなるのかもしれません。
そして、まだやるのかというくらい、日曜もネットでのレッスンをお願いしたのですが、これは、何故か中国語っぽい発音ができました。自分でもわからないのですが、本当に出来にぶれがあります。
これも運動をしていたとき、毎日タイムにぶれがあったり、過度なトレーニングをしたあとに、暫くするといい結果に現れることと関係あるのやも?と、ヤモヤモと思うも、単にテキストの内容で発音し易いし辛いがあるだけなのかもしれません。
音読に明け暮れた週末でしたが、建国記念日の意味や、成り立ちも中国語の老師に教わったことは、内緒です。