我的父亲和母亲


毎月、同学のもといさんと同じ中国語文章の和訳をしています。どうして始まったのか、もう忘れてしまいましたが、今回の題材は映画の和訳にしましようと決めたものの、原文を起こすのは無理かなあ。と天井の染みを見ながら他人事のように考えていたところ、江南紅豆 さんや、当のもといさんから、テキストをいただきました。ありがとうございます。と感謝をしながら、自分の家にある中国で買ったVCDを見たところ、肝心の中国語字幕が無いではないですか。これでは、さすがに今回の和訳は無理かしらんと思っていたところ、お二人の作ってくれたテキストを読むと、映画のセリフが聞き取れるではないですか!
映画に字幕はないのですが、テキストをちらちら読みつつ画面を見ていると、内容が殆ど理解できました。
ということで、殆どお二人の文章を頼りに、雪道を章子怡が先生を探して出かけたところから最後まで和訳をしました。
きちんと和訳をするという機会は、本当にもといさんとの和訳をいっしょにするくらいしか機会がないのですが、やる度に、和訳は中国語の習得にはとてもいいと実感できます。
中国語の学習方法として、中文和訳を薦めている人をわたしは知らないのですが、練られた中国語を和訳する作業は、総合的な中国語の提高になると思います。
和訳こそ、何度も精読をすることになり、読解やヒアリングだけでなく、日本語にしてこど、中国語の表現方法が理解できて、中国語作文に一番効果があると感じられました。


映画の中身について解説をするのは省略しますが、昔々に映画館で見たときに感じられなかった、この作品の巧妙に張られた複雑なつづれ織りのような糸たちの仕組みの幾らかには気づくことが出来たと思います。
この日本語タイトルをつけた人のセンスは原題を凌ぐほど、日本人的であり、また作品の主題を突いていると思います。また、何度も出てくる、朗読の文章自体も、映画に巧妙な効果を与えています。ピンインを書きましたので、みなさんもぜひ、この子供たちと一緒に音読をしてみてはどうでしょう!


初恋のきた道 [DVD]

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―― ここから ―――

那天母亲没走到县城就晕倒在半路上了。有过路人看见给村里捎了信儿。村长和夏大叔他们套上马车连夜把母亲拉了回来。我记得村长后来我说过一次,说那天母亲的两手冰凉冰凉的。在马车上,他用皮袄暖了一路,都没暖过来。


その日、母は県城には着けず、途中で気を失って倒れてしまった。通りかかった人が見つけて、母が倒れていたことを村人に教えてくれた。村長と夏おじさんが馬を車につけて、その夜すぐ母を連れて戻ってきた。村長が後でこう言ったことを私は覚えている。
あの日母の両手はとても冷たかった。馬車の上で村長が毛皮で温めたがずっと暖かくならなかったのだと。


大夫;不要紧,冻着了,虚火上开。气血淤滞,歇两天就好了。
姥姥;村长,你说说,这先生到底还能不能回来?
村长;这城市人的事,我也讲不清楚。照理说,他也该早回来了。
姥姥;你们有谁方便,给先生捎个信?他不回来,招娣怎么办?我也拦不住她。就让先生回来,看上她一眼也好。


医者:大丈夫だ。凍えていてのぼせているんだ。血管が詰まって滞っている。二三日休めばすぐよくなるよ。
婆さん:村長、話してください。先生は結局戻ってくるのかい?
村長:都会のことは、俺にもよくわからないさ。普通はもうとっくに戻っているはずだ。
婆さん:あなたたちの誰か、先生に伝えてくれないか?先生が戻ってこなかったら、招娣はどうなる?あたしは、招娣を止められやしないよ。ただ先生が戻ってあの娘を一目見てやってくれるだけでいいんだよ。


春天来了,念。
春天来了。
春风吹化了冰雪,念。
春风吹化了冰雪。
吹绿了草地,念。
吹绿了草地。
农民在种庄稼,念。
农民在种庄稼。
牛在耕田,念。
牛在耕田。
大雁飞来了。
大雁飞来了。
青蛙结束了冬眠。
青蛙结束了冬眠。


(訳は省略して、みなさんも大きな声で音読をしてみましょう。そして、うまくできたら、ネットにあげてみましょう!!)


姥姥;娣儿,你醒了?你都睡了两天了。你还不知道,先生回来了。先生回来了。先生昨晚就回来了。一回来就上咱们家来了,就在这儿守了你半宿。娣儿,这下可好了,先生回来了。它这是为你回来的呀。


婆さん:娣儿、目が覚めたか?おまえは二日間も寝ていた。まだ知らないかもしれないが、先生は戻ってきたよ。先生が戻ってきたよ。
先生は昨日の夜戻ってきた。戻ってくるとすぐに家に来て、ここでおまえをずっと看病していたんだ。娣儿、よかったな。先生が戻ってきたよ。おまえのために戻ってきたんだぞ。



充满勃勃的生机。
我们的心情也跟万物一样。
我们的心情也跟万物一样。
充满新的希望。充满新的希望。
充满新的理想。充满新的理想。
春天来了。春天来了。
春风吹化了冰雪。春风吹化了冰雪。
吹绿了草地。吹绿了草地。
农民在种庄稼。农民在种庄稼。
牛在耕田。牛在耕田。
大雁飞来了。大雁飞来了。
青蛙结束了冬眠。青蛙结束了冬眠。
小燕子在欣喜地喳喳叫。
小燕子在欣喜地喳喳叫。
春天是播种的季节。
春天是播种的季节。
万物都在生长。万物都在生长。
充满勃勃的生机。


生気盛んに満ちている
私たちの気持ちも万物と等しい
新しい希望に満ちている
春が来た
春風が雪を溶かす
草地は緑ふく
農民は畑仕事をする
牛は田を耕す
大雁は飛んでくる
蛙は冬眠から目覚める
燕は喜んで啼く
春は種まきの季節


村人;骆先生,骆先生,招娣来看你了。先生,先生,招娣来了。

儿子的独白)天鄢前,刚刚回来的父亲就又被叫走了。因为他是偷着跑回来的。他是听说了母亲的情况后,实在忍不住私自跑回来了。由于父亲的这次行为,使他和母亲最后见面的日子又推迟了好几年。后来我听乡亲们说,当父亲真正和母亲相聚的那一天到来时,母亲又特意穿上了那件父亲喜爱的红棉袄,站在路边等着父亲。从那天起,父亲就再没离开过母亲一步。
这就是父亲和母亲的故事。他们相识,相爱的过程都和这条路有关。这是我们村通往县城的一条普通的山路。也许是因为母亲曾经那么殷切,那么长久地在这条路上等待过父亲,所以她还想陪着父亲再从这条路上走过来。


村人:骆先生,招娣が先生に会いに来たよ。先生、先生、招娣が来た。
息子の独白)暗くなる前に、帰って来たばかりの父はまた呼び戻された。父が抜けだして来たからだ。父は母の具合を聞いて、本当に我慢できなくなって帰ってしまったからだ。父のこの行為によって、父と母が最後にまた会う日が何年も伸びてしまった。
その後、みんなから聞いたところでは、父が本当に母と逢うというその日が来たとき、母はあの父が特に気に入っていた赤い綿入れの服を着て、道端に立って父を待っていた。その日から父は二度と母のそばから一歩たりとも離れなかった。
これが父と母の物語だ。彼らが知り合い、お互いを愛した過程とこの道は全て繋がっている。この道は村と県城を結ぶ普通の山道だ。でも母があれほどにも切実になり、あれほどにも長い間父の帰りを待っていたので、だからこそ母はまた父と連れ添って、再びこの道を帰って来たいのかもしれない。


儿子;村长。村长。
村长;谁呀?
儿子;我,生子。
村长;生子,有事吗?
儿子;有事。
村长;有事快进屋说,来,挺挺冷的。有什么事啊?
儿子;我妈的心事我想明白了。咱们还是抬吧。
村长;你也要台?可是咱们村还有点困难。
儿子;不就是忍受不够吗?你看这样行不行,村长?咱们到邻村雇点人来。
村长;雇人,邻村倒是好雇。现在就得钱?
儿子;那没关系。您帮我算算得多少人。
村长;人嘛,要是近点有十几多个人就够了。因咱们这儿离县城太远,这个你必须得十六个人的杠子。得两班,两班就得三十二个。三十二个人呢,再有几个闲人,拿凳子放在路中,有的累了可以搁上歇歇。这总共得个人三十五个人吧。
儿子;那一个人得多少钱呢?
村长;一个人,现在咱们就给他一百块钱就可以了。
儿子;三十五六个人,那你给算算总共得多少钱。
村长;人呢,三十五六个人,三千五六百块钱。算上有抽烟的,咱们还要给他买点烟,又喝酒的,这酒我也得买点,因为天太冷。要有点什么事,也担不住用两个钱。这总共我算一下,大概下来可能有四千多块钱就差不多了。
儿子;村长,还是五千块钱,够不够?
村长;足够了,用不了。



息子:村長、村長。
村長:誰だ?
息子:私です。生子です。
村長:ああ、生子、何か用なのか?
息子:ええ。
村長:用事があるなら、さあすぐ中に入って話そう。そとはとても寒いぞ。いったいどうした?
息子:母の考えていることが、私にもわかりました。われわれは、やはり父を担いで行きたいのです。
村長:おまえも担ぐって?しかしわれわれの村でやるには問題があってな・・・
息子:人が足りないっていうのでしょう。こういうのはどうですか、村長、われわれが隣村から人を雇うのです。
村長:隣村の人を雇うのはできるが、ああ、金がかかるな・・・
息子:それは問題ないです。どれだけの人が必要なのか教えてください。
村長:人はなあ、もし近かったら10数人で足りる。ここは県城からかなり離れているので、そうだな、16人で担ぐだろう。二組必要だ。二組で32人。32人で、また何人かは休むためも腰けを持つ者もいる。途中で疲れるだろう、そうすれば腰かけを置いて休める。全部合わせれば35,6人だな。
息子:その一人にはいくらかかるのですか?
村長:今なら一人に百元払えばいいだろう。
息子:ああ。35,6人ですね。ちょっと計算してください。全部でいくらかかりますか?
村長:人は、どうせ35,6人なのだから3千5百、6百元だろう。煙草を吸うやつがいるとすると、煙草も買わないといけない。酒を飲むやつもいるので、酒も買うだろう。こんなに寒いから、万一のことがおきて、担げなくなったらまた金がかかる。全部合わすとだいたい4千元ってところだな。
息子:村長、これが5千元になります。足りますか?
村長:ああ、足りるさ。十分だ。


村长:哎,高举点啊。老嫂子,去看看骆先生吧。
村人:去看的时候可别哭。别让眼泪掉在骆先生身上,不好。
村子;骆先生,咱们回村了,要走好。
儿子的独白)那天抬棺来了一百多个人。听村长说,他们都是父亲的学生。他们知道了这件事就都褰来了。有很多人都是从外地褰回来的。也有从市里坐着小车来的。村长说最远的从广州褰过来的。还有几个人被风雪误在了半路上,没有来得及。来的人大部分我都不认识,有的人比我大得多。我不知道他们都是父亲哪一年的学生。也不知道该怎么称呼他们。村长说,反正都是骆先生的学生嘛。


村長:おい、もっと高くあげて。奥さん、骆先生を見に行きましょう。
村人:先生を見るとき、泣いてはだめだ。涙が先生の体に落ちると縁起が悪い。
村長:骆先生、わたしたちは村に帰って来たよ。さあ、歩いていこう。
息子の独白)その日、父の棺を担ぎに百人以上の人がきた。村長が言うには、彼らはみな父の教え子なのだ。彼らはみなこの父が亡くなったことを知って駆けつけてきてくれたのだ。多くの人たちは、遠方から急いで駆け付けて来たのだ。市内から車に乗って来た者もいる。一番遠くから人は広州から来た人がいたそうだ。また風雪のために途中で止められて来られなかった人もいた。
来た人の殆どを私は知らない。私よりとても年上の人もいた。彼らがみな父のいつの時の学生なのかは分からない。また彼らを何と呼べばいいのかも分からない。村長は、いずれにしろ彼らは骆先生の生徒なのだと言った。


村长;生子,这些钱还给你吧。
儿子;怎么能不要啊。不是说好的吗?
村长;来的人都不要,就连咱拿钱雇的人也不要。也就是一分钱也不要。你还是装起来吧。
儿子的独白)按着母亲的意思,父亲就安葬在前井旁边。村里有了自来水,井就荒了,早就没人再挑水了。母亲说,在这儿父亲可以天天看到学校。母亲还说,将来她也要跟父亲埋在一起。办完父亲的后事,村长特意来说起了盖学校的事。他说县里拨了款,村里家家户户也都捐了钱,说乡亲们无论如何也要完成父亲的心愿。


村長:生子、この金はおまえに返すよ。
息子:要らないだなんて。
村長:来た人はみな要らないという、われわれが雇った人ですら一銭も要らないという。やはりこれは収めておいてくれ。
母の願いによって、父は前井戸の傍に埋められた。村にはもう水道があった。だから井戸は荒れてしまい、誰ももう水を汲まなくなった。母が言うにはここなら毎日学校が見える。また将来は母もここで父と一緒に眠りたいとも言った。
父の葬式が全部終わって後、村長がわざわざ来て、また学校を再建することを話し出した。県からも割当金が出て、村の人々もまた寄付をしてくれた。彼らもどんなことがあっても、父の願いを叶えるのだと話した。


母亲;生子;你带来的钱呢,给妈。村长,你看,这些钱都是我这几十年积攒的。你吧它收起来盖学校吧。
村长;这怎么好意思呢。这,你又不在了。你的年纪也大了。
母亲;这钱你一定得收下。
村长;那好,那我这些钱先拿上。咱们村你们母子俩算的一份。

儿子的独白)明天我就要走了。母亲让我陪她再去一趟学校。母亲说,等下次我再回来时,这所学校就看不到了。


母:生子、持ってきたお金を出して。村長、この金はあたしが何年もかけて貯めたの。このお金を受取って、学校を立て直すのに使って。
村長:何を言うのですか。これは。。あなたも、ここにいないし。もう歳なのだし。
母:このお金はどうしても受取ってください。
村長:わかりました。
息子の独白)明日、わたしは帰る。母はもう一度一緒に学校に行かせた。母が言うには、わたしが次に来たとき、この学校はもう見られなくなっているらしい。


母亲;生子,你看这学校都几十年了。你爸就在这学校教书,在这里比在家待的时间还长。长余,你都听到了嘛?村长说啦,要给盖个新学校,按你的心愿去盖。盖一个高大赫赫亮亮硬砖吊顶,一个好学校。为了完成你的心愿,按你的意思去干。明年开春就动工了。这回你放心了吧。新学校盖好了,我亲手织一个红挂上去。你就放心吧。
你看看你爸,实心实意成天的跟我唠叨,想叫你教书,接他的班。把你送到师范学校念了。一天书你也没教上。哪怕上一天课,教一天书。唉,也是你爸爸这一片心都没有实现了。你就干别的工作去了。你看看学校,连上课的人都没有了。听不到孩子们念书的声音了。


母:生子、よく見てみな。学校は建てられてからもう十年以上たった。あなたの父さんはここで教鞭をとっていたんだよ。ここにいたのは、家にいる時間よりも長かったんだ。
長余、村長は言っただろ。新しい学校を建てるそうです。あなたの願いであった学校が建つ。高く大きく、とても立派で明るくて硬いレンガ天井の、素敵な学校になるわ。あなたの願いを叶えるために、あなたの希望通りに、来年の春になると工事が始る。今度は安心してください。新しい学校は素敵になって、あたしが紅を織って梁に掛けます。だから、安心してください。
(息子に)父さんを見て。父さんは本気でわたしに何度も何度も話していたよ。おまえを教師にさせたがっていた。父さんの仕事を継がせたがっていた。おまえを師範学校に行かせたが、おまえは一日も教えなかった。たとえ一日でもいいから、お前が授業をしてくれたら。ああ、父さんのこの願いは全く実現できなかった。おまえは他の仕事についてしまった。この学校を見てごらんよ。教える人さえいないし、子供たちが本を読む声さえ聞こえやしない。


儿子;听村长说,这两天可能县里还会派个新老师来。
母亲;新老师来,再上课也没有你爸声音好听啊。特别的响亮。四十多年我都没听够,听呀,你爸爸读书。
儿子;吗,我考虑好了。这次你跟我回成里咱们一块儿住。
母亲;我不去。有你爸在这儿,哪儿我也不去。
儿子;把你自己留在这儿,让我怎么放心呢?
母亲;甭为我担心,我自己会照顾我自己的。你在城里工作都好吧?
儿子;好,妈,特别好,你放心吧。
母亲;有女朋友吗?
儿子;到时候再说吧。
母亲;你看你都那么大岁数了,别挑剔了啊。你听妈告诉你,有顺心的自己搞一个,搞一个领回来叫妈看看。可是你爸不在了,你爸,就为你的是事担心。儿女大了到时候拴不住了,爹娘远了,就看不着了。做父母的。。。。儿女出了门,什么都担心哪。你看你爸,一直的都挂念你,急你。
儿子;别哭了,妈。
母亲;你看他。。
儿子;老哭老哭,你身体都该坏了。
母亲;你看,他去了,把咱娘俩撂得孤孤单单的。
儿子;别哭了。
母亲;你呀,在外边好好工作。


息子:村長が言うには、ここ数日で県からまた新しい先生が来るらしいよ。
母:ああ、新しい先生が来るのだね。でも授業で父さんほど素敵な声を聴くことはできない。特別に響くんだよ。四十年以上もずっと聞いても聞き足りないくらい、ああ素敵だったよ、おまえの父さん朗読をする声は。
息子:母さん、よく考えたのだけど、今回は私と町へ戻って二人で暮らそう。
母:あたしは、行かないよ。父さんはここにいるだろ。どこへも行かないよ。
息子:母さんがここに残ってしまったら、私はどうしたって安心できないよ。
母:あたしのことは心配しないで。自分のことは自分で出来るよ。おまえは町での仕事はどうなの?
息子:大丈夫だよ、母さん。格別うまくいっているから、安心して。
母:恋人は?
息子:その話はいいじゃないか。
母:おまえはそんな年になったのだから、もう選り好みをしてないで。母さんの言うことを聞きな。自分に合う人がいたら、その彼女を連れてきて母さんに見せてごらん。
ああ、でも、父さんはもういないんだ。おまえの父さんは、おまえのことを心配していたよ。子供が大きくなったら、もう自分のところに置いていけないだろ。父さんと母さんはおまえと離れてしまい会えなくなった。親と言うのはね、子供が出て行ったら、なんだって心配するものなんだよ。
父さんはね、父さんはずっとおまえのことを心配して。おまえのことが気になって。。。
息子:泣かないでよ、母さん。
母:父さんはねえ。。
息子:いつもいつも泣いてばかりだから、体を壊してしまうんだよ。
母:父さんは行ってしまったんだ。あたしたち二人を置き去りにして。二人だけにさせて。。
息子:泣かないで。
母:おまえは、外で立派に働くんだよ。


长幼尊卑,敬重有序,念。
长幼尊卑,敬重有序。
彬彬有礼,有情有意,念。
彬彬有礼,有情有意。
人生在世,要有志气, 念。
人生在世,要有志气。
能写会算,是件好事,念。
能写好算,是件好事。
大事小情,提笔就记,念。
大事小情,提笔就记。
知近知古,知天知地,念。
知近知古,知天知地。
春夏秋冬,一年四季,念。
春夏秋冬,一年四季。
东西南北,四方天地,念。
东西南北,四方天地。
风霜雪雨,事事在意,念。
风霜雪雨,事事在意。


儿子的独白)我一大早就让村长把学生门集合起来,我说我要给学生们上一节课。村长问我为什么,我说我是为了母亲,也为了父亲。
我就站在父亲常站的那个地方,父亲在这站一辈子。我想此时此刻,父亲一定能听见我和孩子们念书的声音吧。我念的就是当年父亲在开学第一天念的那篇课文,其实这不是正式的课文,这是父亲自己编的一段识字歌。


息子の独白)私は早朝から村長に生徒たちを集めてもらった。わたしは生徒たちに一時間授業をしたいというと、村長に理由を聞かれたので、母と父のためだと説明した。
私は父がいつも立っていたあの教壇に立った。父はここの生涯立っていたのだ。私はちょうどこのとき、父は私と生徒たちの本を読む声が聞こえたに違いないと考えた。私が読んだ本はあのとき父が学校を始めた最初の日に読んだ教科書だった。そしてそれは正式な教科書ではなく、父が自分で編んだ音読用の文章だった。


能写会算,是件好事。
能写好算,是件好事。
大事小情,提笔就记。
大事小情,提笔就记。
知近知古,知天知地。
知近知古,知天知地。
春夏秋冬,一年四季。
春夏秋冬,一年四季。
东西南北,四方天地。
东西南北,四方天地。
风霜雪雨,事事在意。
风霜雪雨,事事在意。
长幼尊卑,敬重有序。
长幼尊卑,敬重有序。
彬彬有礼,有情有意。
彬彬有礼,有情有意。
人生在世,要有志气。
人生在世,要有志气。


Néng xiě huì suàn, shì jiàn hǎoshì。
Néng xiě hǎo suàn, shì jiàn hǎoshì。
Dàshì xiǎo qíng, tíbǐ jiù jì。
Dàshì xiǎo qíng, tíbǐ jiù jì。
Zhī jìn zhī gǔ, zhī tiān zhī dì。
Zhī jìn zhī gǔ, zhī tiān zhī dì。
Chūn xià qiūdōng, yìnián sìjì。
Chūn xià qiūdōng, yìnián sìjì。
Dōng-xī-nán-běi, sìfāng tiāndì。
Dōng-xī-nán-běi, sìfāng tiāndì。
Fēng shuāngxuě yǔ, shìshì zàiyì。
Fēng shuāngxuě yǔ, shìshì zàiyì。
Cháng yòu zūn bēi, jìngzhòng yǒuxù。
Cháng yòu zūn bēi, jìngzhòng yǒuxù。
Bīn bīn yǒu lǐ, yǒuqíng yǒuyì。
Bīn bīn yǒu lǐ, yǒuqíng yǒuyì。
Rénshēng zàishì, yào yǒu zhìqì。
Rénshēng zàishì, yào yǒu zhìqì。


      • 終 ---


と、これだけの量をまさかここまできちんと読んだ人はいないと思いますが、そもそも、これだけのテキストを送っていただいた江南紅豆 さん、もといさん、ありがとうございます。きっと、もといさんのサイトでは、さらに修正された中国語とこなれた日本語が読めると思います。
また、この映画の音読文章を実際に声に出して読むと、とても気持ちがいいです。
わたしも、この音読をネットにあげたいのですが、「それだけはやめてくれ!」という声がどこからか聞こえるので、しばし一人で、聞くだけにしておきます。

朱自清 「匆匆」の和訳

こちらも、同学もといさんと同じ作品の和訳です。最初、さらっと読んだときは、あまり難しくは感じませんでした。しかし、改めて日本語にしようとすると、最初の一文からして、どう訳すのかわからなくなり、出だしをもといさんの和訳を参考にし、あとは自力で訳してみたのですが、こまごまと日本語にしづらい箇所がありました。
わたしも、これからはきちんとした作品を和訳したり、作文を書いたりしたときは、ここに置いて、日々自分のいたらなさを反省するようにします。


 ≪匆匆≫ 作者: 朱自清


  燕子去了,有再来的时候;杨柳枯了,有再青的时候;桃花谢了,有再开的时候。但是,聪明的,你告诉我,我们的日子为什么一去不复返呢?——是有人偷了他们罢:那是谁?又藏在何处呢?是他们自己逃走了罢:现在又到了哪里呢?


燕は去って行っても、また戻ってくる。柳は枯れても、また緑づく。桃の花は散っても、また咲き誇る。しかし、聡明な君よ、教えてほしい。わたしたちの過ぎ去った日々はなぜ戻らないのか。誰かがわたしたちの日々を盗んだのだろうか。だとしたら、盗んだのは誰なのか?またどこに隠したのか?それとも時間は自分たちで逃げて行ったのか。だとしたら、今はどこへ行ったのだろうか?


  我不知道他们给了我多少日子;但我的手确乎是渐渐空虚了。在默默里算着,八千多日子已经从我手中溜去;像针尖上一滴水滴在大海里,我的日子滴在时间的流里,没有声音,也没有影子。我不禁头涔涔而泪潸潸了。


時がわたしたちにどれだけの日々を与えたのかは分からない。しかしわたしの手の中は確実に段々と空いてきた。人知れず計算してみると、8千余りの日々がすでにわたしの手の中から去って行った。針の先ほどの一滴が大海に落ちるように、わたしの日々は、音もなく、影も形もなく、時間の流れに落ちていった。わたしは、はらはらと汗が流れさんさんと涙が流れるのを禁じえない。


  去的尽管去了,来的尽管来着;去来的中间,又怎样地匆匆呢?早上我起来的时候,小屋里射进两三方斜斜的太阳。太阳他有脚啊,轻轻悄悄地挪移了;我也茫茫然跟着旋转。于是——洗手的时候,日子从水盆里过去;吃饭的时候,日子从饭碗里过去;默默时,便从凝然的双眼前过去。我觉察他去的匆匆了,伸出手遮挽时,他又从遮挽着的手边过去,天鄢时,我躺在床上,他便伶伶俐俐地从我身上跨过,从我脚边飞去了。等我睁开眼和太阳再见,这算又溜走了一日。我掩着面叹息。但是新来的日子的影儿又开始在叹息里闪过了。


去るものは去り、来るものはやって来るのだが、この行き来する真中では、どんなに忙しいことだろう。朝、わたしが目覚めたとき、部屋の中には四方から斜めに陽がさす。太陽には足があるのか、軽々と移動する。わたしもぼんやりとして、太陽について回る。そしてわたしが手を洗っていると、太陽はたらいから去っていく。食事をしていると、茶碗から去っていく。黙っていると、じっとして動かない両目の前から去っていく。彼が慌ただしく去っていくように感じたので、手をのばして遮ろうとすると、彼はまた遮る手から去っていく。空は暗くなり、わたしは床に横になると、素早くわたしの体を跨いで、足下から去っていく。わたしが目をさまし、太陽と再会すると、また太陽は逃げ去って一日がすぎる。わたしは俯いて溜息をつく。しかし新しく来た日の影はまた溜息の中きらめいた。


  在逃去如飞的日子里,在千门万户的世界里的我能做些什么呢?只有徘徊罢了,只有匆匆罢了;在八千多日的匆匆里,除徘徊外,又剩些什么呢?过去的日子如轻烟,被微风吹散了,如薄雾,被初阳蒸融了;我留着些什么痕迹呢?我何曾留着像游丝样的痕迹呢?我赤裸裸来到这世界,转眼间也将赤裸裸的回去罢?但不能平的,为什么偏要白白走这一遭啊
  你聪明的,告诉我,我们的日子为什么一去不复返呢?


飛ぶようにして逃げていく日々の中、多くの家々人々がいるの世界でわたしは、何ができるのだろう?ただ行き来するだけだ。ただあわただしくしているだけだ。8千余りのあわただしさの中、行き来をする以外に、他に何が残っているのだろうか?過去の日々は薄い煙のように風に吹かれて散り、微かな霧のように朝日に照らされて蒸発していった。わたしはどんな傷痕を残したのだろうか?わたしはかげろうのような傷跡を残しただろうか?わたしは真っ裸裸でこの世界にやってきて、あっという間にまた真っ裸で戻って行くのだろうか?しかし落ち着いてはいられない。この一回きりの人生をただ無駄にはできない。
聡明な君よ、おしえてほしい。わたし達の過ぎ去った日々はなぜ戻らないのだろうか。


http://www.youtube.com/watch?v=axnY0DFpFWM&feature=player_embedded

老舍 《养花》 全訳

わざわざ全訳と書くほど長くない文章なのですが、これも「もとい」さんとの中文和訳競作になります。実は去年、大学生の第2外国語用教科書で若干編集されたこの文章を暗唱していたので、今までの和訳競作シリーズと比べると、とても簡単に進みました。とはいえ、教科書に省略されていた箇所や、日本語にし辛い箇所が何か所かありましたし、さらに自覚出来ずに誤訳してしまっている箇所もあるかもしれません。


昨年この文章を暗唱して、近所の老師の前で読んだのですが、自分の記憶では、同じテキストの他の文章の暗唱と比べて、「出来た」ような記憶もあったのですが、ちょうど去年の今頃の記録を読んでみると、ぼろぼろだったようです。
去年の「心に残る中国語」という教科書を暗唱していた記録を読んでみると、結局毎回、暗唱は途絶え途絶えだったように書いてあります。毎日の時間がたつのはとても早く感じるのですが、この毎週テキストの一課を暗唱していた時のことは、とても昔のような気がします。
また、この時の老師は中国文学を専門的に学ばれてはいましたが、決して外国人へ中国語を教えることを習ってはいないようでした。しかし、逆にそのような老師だったからこそ、文法的なことや、練習問題をやるようには言われず、小説や文章についての話ばかり教えていただき、それがわたしにはとても合っていました。
おそらく中国語の触れ初めが別の手段だとしたら、中国語熱も一時的な物で終わっていたような気がします。まだまだ中国語習得について何も言える資格はありませんが、間違いなく実感していることは、「好きなことを見つけて長く続けること」だけでいいのではないでしょうか。ただただ続けさえすれば、どうにかなるような気もするのですが、たとえどうにもならなくとも、例え見当違いな道に迷っていても、好きなことをしているからいいんですウ、という境地に達しています。



去年この文章を何度も音読をすると、最後の畳み掛ける美しさに自分でも読んでいて酔いしれらされました。
また、この文章は老舎の趣味でもある「花を育てる」ことだけを書いているようですが、勿論それだけではない「养花」です。


老舍 《养花》


我爱花,所以也爱养花。我可还没成为养花专家,因为没有工夫去作研究与试验。我只把养花当作生活中的一种乐趣,花开得大小好坏都不计较,只要开花,我就高兴。在我的小院中,到夏天,满是花草,小猫儿们只好上房去玩耍,地上没有它们的运动场。


わたしは花が好きなので、花を育てるのも好きです。しかし研究や試験をする暇はないので、花を育てる専門家にはなりませんでした。
わたしには花を育てることはただの楽しみでしかありません。花が開く大きさや良し悪しには、こだわらないし、ただ花が開きさえすれば、嬉しいのです。庭にいると、夏になると草花で満ち、猫たちは、地面には彼らの遊び場が無くなってしまったので、家にあがって遊ばざるをえなくなります。


  花虽多,但无奇花异草。珍贵的花草不易养活,看着一棵好花生病欲死是件难过的事。我不愿时时落泪。北京的气候,对养花来说,不算很好。冬天冷,春天多风,夏天不是干旱就是大雨倾盆;秋天最好,可是忽然会闹霜冻。在这种气候里,想把南方的好花养活,我还没有那么大的本事。因此,我只养些好种易活、自己会奋斗的花草。


育てている花は多くても、不思議な花や珍しい草はありません。珍奇な草花を育てるのは易しくありません。立派な花が病気になって枯れてしまうのを見ているのは辛いことです。わたしはいつでも涙を落としたくありません。北京の天気は、花を育てるにはいいとは言えません。冬は寒く、春は風が強く、夏は乾燥せずに大雨になります。秋の天気は最もいいのですが、突然霜害になります。この天気では、南方の花を育てたくなっても、わたしはまだそれだけの技術がありません。そのため、わたしはただ育て易い、自分で頑張れる草花を育てているだけです。


  不过,尽管花草自己会奋斗,我若置之不理,任其自生自灭,它们多数还是会死了的。我得天天照管它们,象好朋友似的关切它们。一来二去,我摸着一些门道:有的喜阴,就别放在太阳地里,有的喜干,就别多浇水。这是个乐趣,摸住门道,花草养活了,而且三年五载老活着、开花,多么有意思呀!不是乱吹,这就是知识呀!多得些知识,一定不是坏事。


しかし、草花は自分達で頑張れても、わたしが構わずに放っておいて、勝手に自然に任せておけば、花たちはやはり殆ど枯れてしまいます。わたしは毎日花たちの面倒を見なければなりません。まるでいい友達のように彼らの世話をします。そのうちに、わたしは手探りでコツをつかみます。日影が好きであれば決して日の当たる場所に置かないし、乾燥が好きであれば水をやりすぎないようにします。こういうことが面白いのです。コツを探しながら草花を育て、4,5年ずっと育ってきて花が咲く。なんて面白いのでしょう。でたらめを言っているのではありません。これこそ知識です。たくさん知識を得ることは、絶対に間違ったことではありません。


  我不是有腿病吗,不但不利于行,也不利于久坐。我不知道花草们受我的照顾,感谢我不感谢;我可得感谢它们。在我工作的时候,我总是写了几十个字,就到院中去看看,浇浇这棵,搬搬那盆,然后回到屋中再写一点,然后再出去,如此循环,把脑力劳动与体力劳动结合到一起,有益身心,胜于吃药。要是褰上狂风暴雨或天气突变哪,就得全家动员,抢救花草,十分紧张。几百盆花,都要很快地抢到屋里去,使人腰酸腿疼,热汗直流。第二天,天气好转,又得把花儿都搬出去,就又一次腰酸腿疼,热汗直流。可是,这多么有意思呀!不劳动,连棵花儿也养不活,这难道不是真理么?


知ってのとおり、わたしは足の病気があるので、歩き辛いだけでなく、長く座るのも辛いです。草花たちがわたしの世話を受けて感謝しているかどうかは分かりませんが、わたしは草花たちに感謝しています。わたしが仕事をしている時は、いつも数十文字を書いては庭に出て彼らを眺め、水をかけてやり、鉢を運び、その後にまた部屋に戻って少し書いて、その後にまた庭に出ます。このような繰り返しは、脳と体の運動を一緒に結びつけ、薬を飲むよりも心身には有益です。もしも折悪く暴風雨や天候の突然変化にあったら、すぐに全員総動員で草花への緊急措置をとることになり、とても緊張します。数百の盆栽は素早く部屋の中に運び、これでみんなの足腰は痛くなり、大汗が流れます。次の日、天気が良くなると、また花たちを外へ運び出さなければならず、またもや足腰が痛くなって、大汗を流すことになります。しかし、これがまたとても面白いのです!労力を惜しむと、花すら育てられません。これこそ真理でしょう。


  牛奶的同志,进门就夸“好香”!这使我们全家都感到骄傲。褰到昙花开放的时候,约几位朋友来看看,更有秉烛夜游的神气——昙花总在夜里放蕊。花儿分根了,一棵分为数棵,就赠给朋友们一些;看着友人拿走自己的劳动果实,心里自然特别喜欢。
  当然,也有伤心的时候,今年夏天就有这么一回。三百株菊秧还在地上(没到移入盆中的时候),下了暴雨。邻家的墙倒了下来,菊秧被砸死者约三十多种,一百多棵!全家都几天没有笑容!
  有喜有忧,有笑有泪,有花有实,有香有色,既须劳动,又长见识,这就是养花的乐趣。


牛乳配達の方がわたしの家に入ってきた途端に「いいにおい!」と言ってくれることは、わたしたち家族全員の誇りです。「月下美人」が咲くときになって、友人数人を花見に招待し、いっそう蜀を持った夜遊び(時節に合った楽しみ)の面持ちが増すのは、「月下美人」が夜咲く花でもあるからです。花は数株に分けられ、一本の花は数株にもなります。その何株かを友達にあげます。その友人が、わたしが一生懸命育てた花の成果を持って行くのを見るのは、自然と格別な喜びに溢れます。
もちろん、悲しい時もあります。今年の夏は、こんなことがありました。三百株の菊の苗が地面に置かれ(鉢の中に移し終わっていなかったのです)大雨に見舞われました。隣家の塀も倒れ、菊の苗は30あまりの種類、百あまりの花が下敷きになってしまいました!家族全員から数日間笑いが消えてしまいました!
花を育てることは、喜びも心配もあり、笑いも涙もあり、花も実もあり、香りも色もあります。働かなければなりませんが、またその分知識をもたらしてくれます。これこそ花を育てる楽しみなのです。

荷塘月色 朱自清

わたしの唯一の同学、もといさんと同じ文章の和訳をすることになって、3,4回目の「荷塘月色」全文和訳です。この作品は、去年暗唱をした「心に残る中国語」に一部が掲載されていたのですが、どうしてもこの文章だけが難しくて暗唱を諦めていました。
そして、このテキストに掲載されていなかった個所は確かに難しい、、というか特に後半の詩の個所は和訳できそうもありません。そもそもテキストに載っていた箇所も未だに難語と感じる単語が多いです。よく一年前にこれを暗唱しようとしたものです。。一年たって、自分が進歩しているのか、わからなくなってきましたが、一年前よりも丁寧に辞書を引いたので、ここにその単語解説までつけてみました。


荷塘月色  朱自清


  这几天心里颇不宁静。今晚在院子里坐着乘凉,忽然想起日日走过的荷塘,在这满月的光里,总该另有一 番样子吧。月亮渐渐地升高了,墙外马路上孩子们的欢笑,已经听不见了;妻在屋里拍着闰儿,迷迷糊糊地哼着眠歌。我悄悄地披了大衫,带上门出去。
  沿着荷塘,是一条曲折的小煤屑路。这是一条幽僻的路;白天也少人走,夜晚更加寂寞。荷塘四周,长着许多树,蓊蓊郁郁的。路的一旁,是些杨柳,和一些不知道名字的树。没有月光的晚上,这路上阴森森的,有些怕人。今晚却很好,虽然月光也还是淡淡的。


颇pō:〔副詞〕すこぶる.甚だ.
【参考】古い用例では「少し」「やや」の意味で用いられることもある.「すこぶる」も本来は「少し」の意味.
宁静níngjìng:(環境が)静かである;(心が)安らかである
带上门:通ったあとついでにドアをしめる.
幽:奥深い;ひっそりした;ほの暗い;かすかな.
僻pì :辺鄙である.
蓊wěng :草木が茂るさま.
郁yù :(草木が)茂る.
阴森森yīnsēnsēn:かげり暗いさま.薄暗くて不気味なさま.陽光なく薄暗くひんやりとするさま.


ここ何日も気持ちが少したいへん落ち着かない。今晩、庭で夕涼みをしていると、急に毎日通って来ている蓮池のことを思い出した。蓮は満月の光を浴び、きっと少し違った様子のはずだ。月はだんだんと高くなり、壁越しに外の道からした子供たちの笑い声は、既に聞こえなくなっていた。妻は部屋の中で息子の潤を軽くたたき、子守唄を口ずさみながら自分でもうとうととしていた。わたしはそっと上着を羽織り、ドアをしめて外に出た。
蓮池にそって、曲がりくねった石炭屑の道があった。ひっそりと鄙びた道であり、昼の人通りは少ないが、夜はさらに寂しい道である。蓮池の周りは、多くの樹が植えられ、鬱蒼と茂っている。道の傍らには柳や名も知らない樹が植えられている。月が出ていなかった夜は、薄暗くて不気味で恐かった。今晩は素晴らしいしかし、淡い月の光ではあるけれど。。、今の蓮池はとても素晴らしい。

  路上只我一个人,背着手踱着。这一片天地好像是我的;我也像超出了平常的自己,到了另一个世界里。我爱热闹,也爱宁静;爱群居,也爱独处。像今晚上,一个人在这苍茫的月下,什么都可以想,什么都可以不想,便觉是个自由的人。白天里一定要做的事,一定要说的话,现在都可不理。这是独处的妙处,我且受用这无边的荷香月色好了。


踱duó :そぞろ歩きをする.漫歩する.
天地 tiāndì: 天と地.(2)〈喩〉境地.世界.天地.
苍茫 cāngmáng: 蒼茫たる.見渡す限り青々としている.広々として果てしない.
妙处 miàochù:(1)よい場所.(2)すぐれたところ.妙味.
受用 shòu•yòng: 利益を受ける.役に立つ。楽である.心地よい
无边wúbiān: 際限がない.
且qiě :〔副詞〕しばらく.ひとまず.長時間(…する).長期の使用に耐える.〈書〉まさに…せんとす.


道ではわたし一人だけが、手を背にして漫歩する。この世界はわたしのもののようだ。わたしは普段の自分を越えて、別の世界へ行けるようなるような気がした。わたしは賑やかなのも、また静かなのも好きだ。大勢でいるのも、一人でいるのも好きだ。今晩のように、一人で蒼茫たる月の下で何を考えてもいいし、何も考えなくてもいい。このようにわたしは、自由人であるかのように思う。昼にやらなければならないこと、話さなければならないことも、今は全て気にかけない。これは一人である妙味であるが、わたしはこの無限に広がる蓮の香りと月の光を暫く楽しめば、それでいいのだ。


  曲曲折折的荷塘上面,弥望的是田田的叶子。叶子出水很高,像亭亭的舞女的裙。层层的叶子中间,零星地点缀着些白花,有袅娜地开着的,有羞涩地打着朵儿的;正如一粒粒的明珠,又如碧天里的星星,又如刚出浴的美人。微风过处,送来缕缕清香,仿佛远处高楼上渺茫的歌声似的。这时候叶子与花也有一丝的颤动,像闪电般,霎时传过荷塘的那边去了。叶子本是肩并肩密密地挨着,这便宛然有了一道凝碧的波痕。叶子底下是脉脉的流水,遮住了,不能见一些颜色;而叶子却更见风致了。


弥望míwàng:見渡す限り
田田:形容荷叶相连的样子。
亭亭tíngtíng: (樹木などが)まっすぐに伸びているさま.(女性が)しとやかでしなやかなさま.
层层céngcéng:幾重(いくえ)にも.とえはたえに.
零星líng:xīng:はしたの.こまごました.まばらの。
缀•綴zhuì:(糸と針で)つづり合わせる.つなぎ合わせる.飾る。
袅娜niǎonuó〔袅婷〕:なよなよとしなやかなさま.
羞涩xiūsè:たおやか。はにかんでもじもじしている.恥ずかしがって固くなる.きまりが悪い.
朵儿 duǒr:花.【補足】花の数や大きさについていう.つぼみ.
碧bì :碧玉(へき ぎょく).青色の美しい石.青緑色.
缕缕 lǚlǚ:ひと筋ひと筋と続いて絶えないさま.
清香qīngxiāng:かぐわしい香り.芳香.
渺茫miǎománg:水面(海面)が果てしなく広々としている.渺茫としている(夢や望みが)果てしない.かすかである.ぼんやりとしてはっきりしない.
颤动 chàndòng: 小刻みに揺れ動く.震える.
闪电 shǎndiàn: 稲妻(が走る).
霎时(间)shàshí(jiān):=〔煞时〕ちょっとの間(に)。一瞬の間に
肩并肩jiānbìngjiān:肩を並べる.肩を並べて一緒になってする
挨āi :触れる;寄りかかる;隣りあう;並ぶ.そばに寄る;すれすれに近づく
宛然wǎnrán:仿佛。
凝níng:凝る.凝結する.
脉脉mòmò:这里形容水没有声音,好像饱含深情的样子。
风致fēngzhì: (1)美しい顔立ちと立ち居振る舞い.(2)趣.味わい.ユーモア.


曲がりくねった蓮池の水面には、見渡す限り蓮の葉が連なっている。葉は水面より高く、しなやかな踊り子のスカートのようだ。幾重にも重なった葉の間でまばらに散らばって咲いている白い花は、たおやかに咲いている花もあれば、恥じらいで蕾のままのもある。まさしく一粒の真珠のようでも、青天の星のようでも、湯からあがったばかりの美人のようでもある。微かな風が通る所に、一筋の芳香が残り、遠く高き楼からかすかに聞こえてくる歌声のようだ。そのとき、蓮の葉と花はわずかに揺れ、稲妻が走ったように、一瞬にして蓮池の向こう側まで揺れが伝わった。肩を並べるようにして繋がっていた蓮の葉に、濃い青緑色の波痕が一本できたようだった。葉の下には音もせずに水が流れ、葉に遮られて水の色を見ることが出来ないが、葉の方は却って趣がある。


  月光如流水一般,静静地泻在这一片叶子和花上。薄薄的青雾浮起在荷塘里。叶子和花仿佛在牛乳中洗过一样;又像笼着轻纱的梦。虽然是满月,天上却有一层淡淡的云,所以不能朗照;但我以为这恰是到了好处——酣眠固不可少,小睡也别有风味的。月光是隔了树照过来的,高处丛生的灌木,落下参差的斑驳的鄢影,峭楞楞如鬼一般;弯弯的杨柳的稀疏的倩影,却又像是画在荷叶上。塘中的月色并不均穀;但光与影有着和谐的旋律,如梵阿玲上奏着的名曲。


泻(瀉)xiè :速く流れる.
笼(籠)lóng かご.
笼(籠)lǒng :覆う.包む.立ちこめる.
轻纱 qīngshā: 細い綿糸.細い紗(しゃ).
酣眠 hānmián: 熟睡(する).
固gù :もとより.もともと.
小睡 xiǎoshuì:短い睡眠をとる.短時間仮眠する.
丛生cóngshēng:(草木が)群がりはえる.群がり生ずる.同時に発生する.
参差cēncī: (長短・高低・大小が)まちまちである,不ぞろいである.
斑驳bānbó:色彩の入り交じった.まだら模様の
峭qiào:山の険しくそびえるさま.険しい.巌格である.厳しい.
棱 =〔楞〕物体のかど.物体の上に盛り上がった筋.
稀疏xīshū:(物や音が)まばらで薄いさま.
倩影qiànyǐng:麗しき面影.
均穀jūn:yún:平均.均等.
梵婀(ē)玲:英语“violin”的音译,即小提琴。


月の光は流水のようであり、静かに一本の葉と花に光が流れ注ぐ。薄く青い霧が蓮池に立ち込めている。葉と花は牛乳の中に入れて洗ったようであり、細い綿糸で覆われた夢のようだ。満月ではあるのだが、空には薄い雲がかかり、月が明るく照らすことはできない。しかし、わたしはこれがちょうどいいと思う。熟睡するのはもともと欠かせないが、まどろぐのもまた、趣がある。月の光は樹木を隔てて照らしているので、高い所で群がってはえている灌木が葉に不揃いでまだら模様を落とし、くっきりと盛り上がって見える幽霊のようだ。曲がった柳のまばらな美しい姿は、蓮の上に書かれた絵のようだ。池の中の光は均等というわけではない。しかし、光と影がもたらす調和がとれたメロディは、バイオリンが奏でる名曲のようだ。


  荷塘的四面,远远近近,高高低低都是树,而杨柳最多。这些树将一片荷塘重重围住;只在小路一旁,漏着几段空隙,像是特为月光留下的。树色一例是阴阴的,乍看像一团烟雾;但杨柳的丰姿,便在烟雾里也辨得出。树梢上隐隐约约的是一带远山,只有些大意罢了。树缝里也漏着一两点路灯光,没精打采的,是渴睡人的眼。这时候最热闹的,要数树上的蝉声与水里的蛙声;但热闹是它们的,我什么也没有。


漏lòu :(入れ物に穴があいて液体や光などが)漏る,漏れる,しみ出る.(秘密などを)漏らす.漏洩(ろう えい)する.抜け落ちる;抜かす.
段duàn :〔量詞〕[a]長い物の区切りを数える.[b]一定の距離や時間を表す.[c]事物の段落・段階を数える.
特为tèwèi:特に.わざわざ.
一例:一概,一律。
乍zhà:……したばかり.……しはじめ.
烟雾yānwù:煙や霧.
丰姿:风度,仪态,一般指美好的姿态。也写作“风姿”
辨得出biàn•dechū:見分けがつく.
隐约yǐnyuē:はっきりしない.ぼんやりとしている.
大意dàyì:大意:だいたいの意味.
瞌睡kēshuì:=〔渴 kě 睡〕居眠り.眠い.


蓮池の周りは、遠くも近くも高いも低いも、全て樹であり、特に柳が最も多い。この樹たちは蓮池を何重にも取り囲んでいる。ただ小路の傍らに、隙間から光が漏れ、まるで月の光のためにわざわざ残しておいたかのようだ。樹の色は一律に陰鬱で、見たばかりだと煙や霧のようである。しかし、柳の姿は煙と霧の中でも見分けがつく。梢の上にかすかに見えるのは遠くの山々であるが、それもぼんやり見えるだけだ。樹の隙間から数点の光が漏れるが、元気が無さそうで、居眠りをしている人の目のようだ。今、最も賑やかなのは樹の上の蝉と水の中の蛙をあげることができる。しかし、賑やかなのは彼らであって、わたしには何もない。


  忽然想起采莲的事情来了。采莲是江南的旧俗,似乎很早就有,而六朝时为盛;从诗歌里可以约略知道。采莲的是少年的女子,她们是荡着小船,唱着艳歌去的。采莲人不用说很多,还有看采莲的人。那是一个热闹的季节,也是一个风流的季节。梁元帝《采莲赋》里说得好:


约略yuēlüè:大略.あらまし.
荡dàng: 揺れる.揺れ動く.さまよう.
艳歌 yàngē:专门描写男女爱情的歌曲。
风流:这里的意思是年轻男女不拘礼法地表露自己的爱情。


突然、蓮を摘み取る場面を思い出した。蓮を摘むのは、江南の古い習慣で、随分前からあったようだが、六朝時代が盛んであったらしい。それは詩歌からおよそ知ることができる。蓮の葉を摘むのは若い女の子たちだ。彼女たちは揺れる小舟に乗り、恋歌を唄いながら進む。蓮を摘む人が多いのは言うまでもなく、蓮を摘むのを見る人もいる。それは賑やかな季節でもあり、また恋の多い季節でもある。梁元帝の「採蓮の賦」には、このように見事に描かれている。


  于是妖童媛女,荡舟心许;鷁首徐回,兼传羽杯;櫂将移而藻挂,船欲动而萍开。尔其纤腰束素,迁延顾步;夏始春余,叶嫩花初,恐沾裳而浅笑,畏倾船而敛裾。

  可见当时嬉游的光景了。这真是有趣的事,可惜我们现在早已无福消受了。
  于是又记起,《西洲曲》里的句子:
  采莲南塘秋,莲花过人头;低头弄莲子,莲子清如水。


・妖童媛yuàn女,荡舟心许:艳丽的少男和美貌的少女,摇着小船互相默默地传情。妖,艳丽。媛女,美女。 许,默认。
・鹢 yì首:古时画鹢于船头,所以把船头叫鹢首。鹢,水鸟。
・櫂 zhào:通“棹”,划船的一种工具,形状和桨类似。
・敛裾liǎnrèn:这里是提着衣襟的意思。裾,衣襟。
・没福消受|幸福の少ないこと.
・《西洲曲》:南朝乐府诗,描写一个青年女子思念意中人的痛苦。


「きれいな少年と美しい少女 彼らは心と心を通じ合わせ揺れる船に乗って蓮を摘みに行く。船が回ると何度も杯を交わして笑いを愛情として伝える。 櫂に浮草がからまっても分けて進む。女の子たちの体は美しく白じゅすのひとえを腰に巻き。愛情が長く続き別れがたくなり 名残惜しく振り返る。春の末と夏のはじめが素晴らしい季節で、葉は柔らかく花はようやく開く。水が跳ねては楽しく笑う 水に服が濡れないようにと身をかわす」
当時の遊び戯れている風景を見ることが出来る。これは本当に趣のあることだが、残念なことに、わたしたちはもうこれを楽しめない。するとまた、「西洲曲」の中の句を思い出した。
「 南塘の秋に蓮を摘む 蓮の花は人の高さになり 蓮の実は低くうなだれる 蓮の実の下に流れる水は美しい   」


  今晚若有采莲人,这儿的莲花也算得“过人头”了;只不见一些流水的影子,是不行的。这令我到底惦着江南了。——这样想着,猛一抬头,不觉已是自己的门前;轻轻地推门进去,什么声息也没有了,妻已睡熟好久了。


过人guòrén: 人よりまさっている.


今晩もし蓮を摘む人がいたら、蓮の花も人の高さより高くなっていることに気づいたろう。ただ、流水の様子が見えないのは、残念だ。わたしは結局江南を懐かしく思ってしまう。
こんな風に考えていて、ふと頭をあげると、いつのまにか自分の家の玄関にいた。そっとドアを押して中に入った。何の音もしなかった。妻はすでにぐっすり寝込んでいた。

即使所有的青藤树都倒了


この文章も「博雅汉语」というテキストの課文です。中国語の全文を打つのは、面倒だからとこの課文をネットで探してみると、テキストの1/2くらいの量になっている文章がみつかりました。テキストの文章はさらに長くやっかいなのですが、これだけ短くなるとさらに文章の道徳臭さばかりが強調されてしまって、前後の流れがつかめられないような気がします。テキストの方の長い文章を読むと、もう少し女性らしい作者の日々の生活の描写があり、その日々の生活と昔の同級生や昔の自分の対比が上手く描かれています。
しかし、例によって、わたしは上手く日本語に出来ず、意味不明は日本語の箇所も多々あるのですが、将来の自分のために、そのまま今の日本語訳能力を正直に載せてしまいます。


また、先生に一部間違いを指摘いただきました。ありがとうございます。


“即使所有的青藤树都倒了,你也要站着。即使全世界都沉睡了,你也要醒着。“六年前,我把这样的句子写在他的笔记本上,然后告别母校,各奔东西。他留给我最深的印象是沿校园长跑的背影,拖着残疾的右腿,一跛一跛的迎接一张张表情各异的面孔,一双双好奇的眼睛。足球场上,他在“跛子,射门”的叫喊声中,跌到又爬起......


たとえ全ての藤の樹が、倒れても、あなたは立っていなければならない。たとえ世界が深く眠っていても、あなたは起きていなければならない。
6年前、わたしはこのような言葉を彼のノートに書いた。そのあと、母校に別れを告げて、皆は各々の場所へ去って行った卒業で離ればなれになった
彼がわたしに最も印象を深く与えたのは、校庭に沿った長距離走をしたときの後ろ姿だった。そこで他人のいろいろな表情や、好奇な眼差しに彼は迎えられ、不自由な右足を引きずって、一歩一歩歩いていた。またサッカー場で、彼は「びっこ、シュートを打て!」と叫ばれた声で転んでしまいという叫び声の中、彼がまた起き上がってきた場面だ。


六年的光阴不算长,忆起从前,却恍如隔世。这期间,我与许多同龄人一样承受了不少原以为承受不起的东西。但即使在绝望的时候,也不曾用勉励别人的英雄主义诗句来自勉,仿佛那种气概已全部赠与别人,而不再属于自己。倒是记得他一跛一跛的背影,于是很艰难地学会将痛苦与耻辱变成人生的财富,咬咬牙,俨然真正的英雄那样对自己说:“我不入地狱,谁入地狱。”为此,我对他充满感激。不想,六年后的今天相遇,他竟真诚的告诉我,直到现在,他还在读那几句留言。“即使所有的青藤树都倒了。。”他脱口而出。六年来他的工作和生活都经历了不幸,他说是这几句留言使他初衷未改。我一下子怔住了。原来,我们每个人都可以在有意或无意中留给别人很多很多。同样,也可以剥夺别人很多很多。岁月流逝,我们抓住了什么,又放弃了什么?


6年という時間は長くはないだろう。しかし、あのことを思い出すと隔世の感がある。この時期、わたしは多くの同年齢の人たちと同じように、本来は耐えられないような事すら我慢できるようになっていた我慢できないようなことも我慢してきた。しかし、たとえ絶望をした時ですら、他人を英雄主義の詩句で励ましたようには自分を鼓舞できなくなっていた。あの言葉はもうわたしの物では無くなっていたのだ。しかし、彼が一歩一歩足をひきずる後ろ姿を思い出しては、苦しみや恥辱をも人生の財産に変えて苦難に満ちた習得をし、歯を食いしばって、あたかも正真正銘の英雄が自分に対してこう言ったものだ。「私が地獄に入らずして、誰が地獄に入ろうか」と。これが故に、わたしは彼に対して感謝の気持ちで溢れている。
六年たった今日、また彼に会うとは思いもしなかった。しかし、なんと彼は真摯にわたしに教えてくれた。今でも、わたしが書いたあの言葉を読んでいたことを。
「たとえ全ての藤の樹が、倒れても、、、」彼はすらすらと言い出した。6年間の彼の仕事と生活はついていないことが多かった。ただ、彼が話したこの句は、彼の初志をまげさせなかったようだこの句があったから初志をまげなかった、と彼は話した。わたしは、あっと言う間にぼっとしてしまった。もともとわたしたちはみな、意識的にせよ、無意識にせよ、他人に多くのものを残すのだ。また同様に多くの物を奪う。年月が流れたが、わたしたちは何を掴み取り、また何を捨てたのだろうか。


每一个旁人都同自己一样,充满一种渴望,一种呼唤,一丝微笑,一道目光,一纸信笺,一次电话,一种关注,一个会意的眼神,甚至仅仅是那么一种认可或宽容,而我们常常忽略。每个人心目中都有一片绿荫,却不能汇成森林;每个人都在呼唤,却总是不能互相答应。


他人もみな、自分と同じなのだ。渇望に、呼びかけに、微笑みに、視線に、便りに、電話に、関心に、そして納得した眼差しに満ちている。あの僅かな認可と寛容にすら満ちているが、わたしたちはよく、これらをなおざりにしてしまう。すべての人の心の中には決して森にはなれないが、ひとかけの緑がある。すべての人は、呼びかけの中にいるが、いつもお互いに答えることが出来ない。


其实,论年龄,我们都还年轻,但究竟是什么使我们的感觉日渐迟钝,使我们常常忘记年轻的本来内涵,忘记曾经有过怎样的初衷、梦想和志向。偶尔失眠,于夜深人静时扪心自省,疼痛会于内心深处漫起,记起许多业已淡漠、遗忘或丢弃的东西。然而,早上醒来却无暇拾起什么,甚至忘记曾在梦中哭泣。唯一可做的事情便是将自己绑在生活的车轮上,碾过一个又一个相同的日子。“即使所有的青藤树都倒了。。。”这回轮到我自己来读了,读别人的话时很轻松;读自己的话时,很沉重,很痛苦,也很必要。


実際に、年齢のことを言えば、わたしたちはまだ若い。しかしいったい何がわたしたちの感覚を日一日と鈍くさせるのか、何がわたしたちの本来の若さを忘れさせるのか、このような初志、夢、志をかつて持っていたことを忘れてしまっている。
偶然眠れなくなり、夜が更けて寝静まったとき、胸に手を当てて自省してみる。苦しみとは心の内側の深い所にゆっくりと起きたものであり、すでに多くの印象が薄くなっていること、忘れ捨て去った物事を思い出す。しかし、朝起きても拾い上げる暇さえなく、かつて夢の中でしくしく泣いたことすら忘れている。唯一できることといえば、自分を日常の車輪に縛り付け、似たような日々を一日一日と挽き砕くことだ。「たとえ全ての藤の樹が、倒れても、あなたは立っていなければならない。。。」今度は自分がこの言葉を読む番になった。他人の話を読むのは気楽だ。しかし自分の話を読むとなると、とても重く、苦しいのだが、またそれでいてとても必要なことだ。

史铁生 ≪我的梦想≫ 後半


わたしは、外国語現代小説マニアなのですが、本当に中国の小説については疎く、何も知らないにも等しいです。ただ、現実的にまだまだ日本では一般的な現代海外文学の紹介され方において、中国現代文学の紹介は、無いに等しいくらい少ないものだと思います。
中国語に興味を持っていることのひとつに、紹介されていないのなら、今の作家を原文で読んでみたいという願望もありました。そこで中国語に触れ始めてから、原文は「いつか」読みたいものだということで、書店やネットの片隅にある、中国語文学の翻訳本を集めてもいます。
その中にひつじ書房から出ている、「中国現代文学」という一年に二回出版される本があります。掲載作品を全て読んでいたわけではないのですが、また今日、この本を開いたところ、今まで全く興味が無かった、「随筆」という欄に、史铁生の作品があるのを発見しました。手元には、1,2,6巻しか見つけられなかったのですが、全ての巻に、この史鉄生の文章が掲載されていたので、一気に読んでしまい、さらにネットの古本で見つけられた、徳間書店の「現代中国文学全集」3巻が、この「史鉄生」だけの本となっているようなので、これも注文をしてしまいました。
これら、日本語で翻訳を読んだ铁史生は、鮮やかな切り口という印象すらあるのですが、このテキストに掲載された文章はどうも、うまく訳せない個所が多いからか、くどくとした文章になってしまいました。
特に、どうしても適切な日本語に出来なかった個所を赤くしてみました。
ただ、日本語にしてみなかったら、おそらくなんとなく理解できたと思って先に進んでしまったことでしょう。
と、またどなたかからの修正をいただけることを信じて、残りの中国語とわたしの日本語訳を載せます。


失意
  奥运会上,约翰逊战胜刘易斯的那个中午我难过极了,心里别别扭扭别别扭扭的一直到晚上,夜里也没睡好觉。眼前老翻腾着中午的场面:所有的人都在向约翰逊欢呼,所有的旗帜与鲜花都向约翰逊挥舞,浪潮般的记者们簇拥着约翰逊走出比赛场,而刘易斯被冷落在一旁。刘易斯当时那茫然若失的目光就像个可怜的孩子,让我一阵阵的心疼。一连几天我都闷闷不乐,总想着刘易斯此刻会怎样痛苦;不愿意再看电视里重播那个中午的比赛,不愿意听别人谈论这件事,甚至替刘易斯嫉妒着约翰逊,在心里找很多理由向自己说明还是刘易斯最棒;自然这全无济于事,我竟似比刘易斯还败得惨,还迷失得深重。这岂不是怪事么?在外人看来这岂不是精神病么?我慢慢去想其中的原因。是因为一个美的偶像被打破了么?如果仅仅是这样,我完全可以惋惜一阵再去竖立起约翰逊嘛,约翰逊的雄姿并不比刘易斯逊色。是因为我这人太恋旧,骨子里太保守吗?可是我非常明白,后来者居上是最应该庆祝的事。或者是刘易斯没跑好让我遗憾?可是九秒九二是他最好的成绩。到底为什么呢?最后我知道了:我看见了所谓“最幸福的人”的不幸,刘易斯那茫然的目光使我的“最幸福”的定义动摇了继而粉碎了。上帝从来不对任何人施舍“最幸福”这三个字,他在所有人的欲望前面设下永恒的距离,公平地给每一个人以局限。如果不能在超越自我局限的无尽路途上去理解幸福,那么史铁生的不能跑与刘易斯的不能跑得更快就完全等同,都是沮丧与痛苦的根源。假若刘易斯不能懂得这些事,我相信,在前述那个中午,他一定是世界上最不幸的人。
  在百米决赛后的第二天,刘易斯在跳远比赛中跳出了八米七二,他是个好样的。看来他懂,他知道奥林匹斯山上的神人为何而燃烧,那不是为了一个人把另一个人战败,而是为了有机会向诸神荽耀人类的不屈,命定的局限尽可永在,不屈的挑战却不可须臾或缺。我不敢说刘易斯就是这样,但我希望刘易斯是这样,我一往情深地喜爱并崇拜这样一个刘易斯。


失意
オリンピックで、ベン・ジョンソンがルイスを打ち負かしたあの午後、わたしはとても悲しかった。夜までずっと激しく落ち込んでしまい、よく眠る事も出来なかった。
目の前には、常にあの湧きおこった午後の一場面が浮かぶ。あらゆる人は、みなジョンソンを歓声で迎え、あらゆる旗と花はジョンソンに向けて振られ、記者達は波のように押寄せて競技場を出るジョンソンを取り囲んだが、一方でルイスはその傍らで冷たく扱われていた。その時にルイスの茫然自失となっていた眼差しが、可愛そうな子供のようで、またひとしきり残念な気分にさせられた。
数日間ずっと、憂鬱な気分が続き、ルイスもまたこのように苦しんでいるだろうと考えた。テレビであの午後の試合が再放送されるのは、もう二度と見たくなかったし、誰かがその出来事を話すのを聞きたくもなかったし、ルイスの代わりになって、ジョンソンを嫉妬すらした。
自分の中では、いくつもの理由を見つけて、今でもルイスが一番なのだと、自分に説明しようとした。しかし勿論こんなやり方は役に立たなかった。わたしは結局ルイス本人よりもさらに敗北感を味わい、ひどく自分を見失ってしまった。
これは、奇妙なことではないだろうかであろうかよその人からみたら、まるで他人にこんな風になってしまうのは、精神病ではないだろうかあろうか
わたしはゆっくりと、その原因を探してみようと思う。これは、わたしの美しい偶像がれてしまったからなのだろうか?
もしもただそれだけなら、わたしは暫くルイスのことを悲しみ惜しんでから次にジョンソンを受け入れる(を偶像とする)ことも完全にできるだろう。ジョンソンの雄姿もまたルイスと比べて、そう遜色がなかったのだから。
わたしは古きを愛しむ人間でもあり、骨の髄まで保守的でもあるからだろうか。いやそんなことない。実はわたしはとてもよく理解できたのだ。後から来た者が先を行く者を追い越すことこそ、祝うべきことなのだ。あるいは、ルイスが勝てなかったことが、わたしを残念がらせているのだろうか。しかし、9秒92が彼の最高の成績なのだ。いったい、なぜわたしはこんなに残念な感じをもったのだろうか。
わたしは、最後に理解できた。わたしは、いわゆる「最も幸せな人」の不幸を見てしまったのだ。ルイスの呆然とした眼差しはわたしの「最幸福」という定義を揺さぶり、そして続けて粉砕をした。神は未だかつて何人たりとも、「最幸福」という三文字の施しをしたことがない。神はあらゆる人の欲望の前に永遠に辿り着けない程の距離を設け、公平に一人一人に限界を与えたのだ。
もしも、自己の限界をも超えた、果てしない人生の道のり途上で幸福を理解できないのであれば、わたし史鉄生が走れないということと、ルイスがもっと速く走れないということは完全に同じことであり、そのことが双方の失望と苦しみの根源なのだ。
もしルイスがこのことが分からなければ、わたしはそう信じているが、先に述べたあの午後、彼は世界で最も不幸な人であっただろう。ただ100メートル決勝の次の日、ルイスは走り幅跳びの試合で8メートル72を跳んだのだ。彼は本当にたいした奴だ。
彼は理解していたようだ。彼はオリンパス山の神が何のために火をもやしているのかを知っている、それは一人の人間が別の人間を打ち負かすためではなく、八百万の神オリンバスの神々に対して、人類の不屈さを誇示する機会を持つためだ。宿命的な限界は永久に存在するのだが、しかし不屈の挑戦は一瞬も欠かすことが出来ない。
わたしはルイスもまたこう考えているとは言えないが、しかし、ルイスもこのように考えることを望む。このようなルイスにこそ、わたしはひたすら憧れ、しかも崇拝する。




梦想
  这样,我的白日梦就需要重新设计一番了。至少我不再愿意用我领悟到的这一切,仅仅去换一个健美的躯体,去换一米九以上的身高和九秒七九乃至九秒六九的速度,原因很简单,我不想在来世的某一个中午成为最不幸的人;即使人可以跑出九秒五九,也仍然意味着局限。我希望既有一个健美的躯体又有一个了人生意义的灵魂,我希望二者兼得。但是,前者可以祈望上帝的恩赐,后者却必须在千难万苦中靠自己去获取批我的白日梦到底该怎样设计呢?千万不要说,倘若二者不可来得你要哪一个?不要这样说,因为人活着必要有一个最美的梦想。
  后来知道,约翰逊跑出了九秒七九是因为服用了兴奋剂。对此我们该说什么呢?我在报纸上见了这样一个消息,他的牙买加故乡的人们说,“约翰逊什么时候愿意回来,我们都会欢迎他,不管他做错了什么事,他都是牙买加的儿子。”这几句活让我感动至深。难道我们不该对灵魂有了残疾的人,比对肢体有了残疾的人,给予更多的同情和爱吗


このように、わたしの白日夢は再度新しく作り直す必要があった。わたしが悟ったこの全て −ただ健康な体に変わりたいとか、1メートル90センチ以上の身長と9秒79ないしは9秒69の速さで走りたいとかは、少なくとも二度と望まなくなった。その原因はとても簡単だ。わたしは来世である午後に最も不幸な人になりたくないからだ。たとえ9秒59で走ったとしても、それは依然として限界があることを意味している。
わたしは健康で美しい身体を持つことと、また人が生きる意味を理解している魂を持つこと、この両者を共に得ることを望む。しかし、前者は神様からの恩恵を待ち望むことであり、後者は必ず困難や苦しみの中で自分の力を頼って白日夢を得ることであるが、いったいそれは、どうやれば作れるのだろう?
もし両者が得られなければ、どちらが欲しいかとは、どうか聞かないでほしい。それを言う必要は無い。人が生きることは、最も美しい夢が必要なのだから。
あとで知ったことだが、ジョンソンが9秒79で走ったのは、興奮剤を飲んだためであった。これについて、わたしたちは何を言えるだろうか?わたしは新聞でこのニュースを知った。彼の故郷であるジャマイカの人たちは、こう言ったのだ。「ジョンソンはいつでも戻ってくればいい。わたしたちは彼を歓迎する。彼がどんな過ちを犯しても、彼はもちろんジャマイカの子供なのだ」この言葉にわたしはとても感動した。わたしたちは、体が不自由な人たちより、精神の具合が悪い人たちへ、より思いやりや愛を与えるべきなのではないだろうか。

史铁生≪我的梦想≫の前半【修正第四版】

早速、老師に修正をしていただきました。谢谢老师。


博雅汉语の第六課の課文で、史铁生という方について初めて知ったのですが、中国では知らない人がいないほどの作家であり、昨年の12月に亡くなったようです。
彼の名前で検索をすると、彼が亡くなったことを惜しむ文章と同時に、彼とカール・ルイスが一緒に写った写真を掲載した中国のブログ記事がいくつも見つかりました。
彼とカール・ルイスとの関係は、まさしくここの文章に現れています。


わたしが最初にこのテキストに書かれた文章を読んだときは、実はあまりいい印象は持てませんでした。まさしく、わたしにとっての典型的な中国教科書的な内容という印象だったのです。
それが、ネットでこの文章の完全版を見つけると、本当にわずかな言葉の追加や、変更なのですが、ようやく全体の流れが強く意識できました。
こういう文章を書きたいという感覚はないのですが、彼の他の文章や小説も読んでみたくなりました。しかし、その一方で、きちんと日本語にしようとすると、うまく日本語に出来ない箇所が何か所もありました。どんな単語も調べればわかるのですが、それでもあきらかに、うまく日本語に出来ないというのは、中国語をきちんと読み取る力がまだまだ無いことを思い知らされました。
和訳を載せるのは、中国語作文を載せるよりも恥ずかしいのですが、さらに、何年かあとになって、自分の出来なさぶりを実感できるように、中国語と並べて書いてみます。
また、同学の「もとい」さんに、一緒に和訳をしましょうと声をかけてしまったので、ひくにひけない。。というより、もといさんの丁寧な和訳を知りたいという願いもあって、ここに載せます。
今回は全体の1/3くらいの量になり、できれば明日には、残りを訳したいです。
前半のわたしの和文だけを読んでも、何も感じないかもしれませんが、残り半分の「失意」と「渇望」という段落に、この作品の全てが詰まっています。
とはいえ、まさしくそこが、全くうまく日本語に出来ないのが悲しいところです。。




我的梦想
史铁生


开篇
  也许是因为人缺了什么就更喜欢什么吧,我的两条腿虽动都不能动,却是个体育迷。我不光喜欢看足球、篮球以及各种球类比赛,也喜欢看田径、游泳、拳击、滑冰、滑雪、自行车和汽车比赛,总之我是个全能体育迷。当然都是从电视里看,体育馆场门前都有很高的台阶,我上不去。如果这一天电视里有精彩的体育节目,好了,我早晨一睁眼球觉得像过节一般,一天当中无论干什么心里都想着它,一分一秒都过得愉快。有时我也怕很多重大比赛集中在一天或几天(譬如刚刚闭幕的奥运会),那样我会把其他要紧的事都耽误掉。


おそらく人はどこかを欠けることによって、欠けたものをさらに求めてしまうのではないだろうか。わたしは両足を動かすことが出来ないが、わたしはスポーツ観戦が好きだ。
サッカー、バスケットボール、および各種球技の試合が好きなだけではなくて、陸上、競泳、ボクシング、スケート、スキー、自転車や自動車のレースが好きだ。つまり、わたしはあらゆるスポーツの観戦マニアなのだ。
体育館の入り口にある階段がわたしには登れないので、スポーツは当然テレビで見ることになる。
もしも、その日にテレビで素晴らしいスポーツ番組があれば、よし、と朝から目は祝日のようにお祝いのような気分で元気に見開いてしまう。一日中、どんなことをしていても、気持ちはスポーツ番組のことを考えてしまい、一分一秒が過ぎていくのも楽しいものだ。
ただ、大きな競技が一日か数日に重なってしまう(たった今わった了したばかりのオリンピックの閉会式のように)のがとても心配だ。そうなると、わたしはその他の重要な用事をみんなあとに回してしまうだろう。


田径
  其实我是第二喜欢足球,第三喜欢文学,第一喜欢田径。我能说出所有田径项目的世界纪录是多少,是由谁保持的,保持的时间长还是短。譬如说男子跳远纪录是由比蒙保持的,20年了还没有人能破,不过这事不大公平,比蒙是在地处高原的墨西哥城跳出这八米九零的,而刘易斯在平原跳出的八米七二事实上比前者还要伟大,但却不能算世界纪录。这些纪录是我顺便记住的,田径运动的魅力不在于记录,人反正是干不过上帝;但人的力量、意志和优美却能从那奔跑与跳跃中得以充分展现,这才是它的魅力所在,它比任何舞蹈都好看,任何舞蹈跟它比起来都显得矫揉造作甚至故弄玄虚。也许是我见过的舞蹈太少了。而你看刘易斯或者摩西跑起来,你会觉得他们是从人的原始中跑来,跑向无休止的人的未来,全身如风似水般滚动的肌肤就是最自然的舞蹈和最自由的歌。


実際、わたしが二番目に好きなのはサッカー、三番目に好きなのが文学で、一番好きなのは陸上だ。わたしは、あらゆる陸上の種目の世界記録がどのくらいあって、それを誰が保持していて、記録を保持していた期間がどのくらいなのかを話すこと諳んじてみせることができる。
たとえば、男子走り幅跳び記録はボブ・ビーモンが記録を作ってから、20年も誰にも破られなかった。
しかしこの記録はあまり公平ではなく、ビーモンは高地であるメキシコシティで8メートル90を跳んだ。それに対してカール・ルイスが平地で8メートル72センチを跳んだのは、ビーモンの記録よりもっと偉大な記録だ。しかし、これは世界記録では無いのだ。
これらの記録を、わたしはついでに記しているなんとなく気づいたら憶えていたのであって、陸上の魅力とは記録にあるのではない。人はしょせん神様にはかなわない。しかし、人間の能力、意志、優美さは、あの疾走や跳躍の中に充分に現れ、そこにこそ陸上の魅力がある。
また陸上はどんな踊りよりも美しく、それに比べれば踊りは作り物で気取ったところがあり、何か不自然なことをしているとすら感じる。もちろんそれは、わたしが踊りをあまり見ていなかったからなのかもしれない。しかし、あなたがルイスやモーリスが走るのを見たら、彼らは原始以来走ってきて、また休みなく人類の未来に向けて走り続け、全身が風と水の如く躍動する脈打つ皮膚と筋肉こそ、最も自然な踊りであり、自由な歌でもあるとわかるはずだ。


偶像
  我最喜欢并且蚸慕的人就是刘易斯。他身高一米八八,肩宽腿长,像一头鄢色的猎豹,随便一跑就是十秒以内,随便一跳就在八米开外,而且在最重要的比赛中他的动作也是那么舒展、轻捷、富于韵律,绝不像流行歌星们的唱歌,唱到最后总让人怀疑这到底是要干什么。不怕读者诸君笑话,我常暗自祈祷上苍,假若人真能有来世,我不要求别的,只要求有刘易斯那样一副身体就好。我还设想,那时的人又会普遍比现在高了,因此我至少要有一米九以上的身材;那时的百米速度也会普遍比现在快,所以我不能只跑九秒九几。作小说的人多是白日梦患者。好在这白日梦并不令我沮丧,我是因为现实的这个史铁生太令人沮丧,才想出这法子来给他宽慰与向往。我对刘易斯的喜爱和崇拜与日俱筯。相信他是世界上最幸福的人。我想若是有什么办法能使我变成他,我肯定不惜一切代价;如果我来世能有那样一个健美的躯体,今天这一身残病的折磨也就得了足够的报偿。


わたしが最も憧れる人、それはカール・ルイスだ。彼の身長は188CM、肩は広く、足は長く、チータのようだ。自由に軽く走れば10秒を切り、自由に軽く飛んでも8メートルを超える。さらに最も重要なのは、大切な試合中彼の動作があんなにも伸び伸びとし、軽快で、豊かなメロディに溢れているところだ。それは決して流行歌手達が唄う歌のようにではなく、彼が彼らの歌を最後まで唄うと聞いてもいつも彼はいったい何を唄っているのかわからないしているのだろうかと思わせてしまうのだ。のと、ルイスとは全く違うのだ
読者の皆さんに笑われるのを恐れずに言うと、わたしは密かにいつも神様にお願いしている。もしも、人間に来世があるのなら、わたしは何も他の物は求めないから、ただルイスのあんな身体になって生まれたいと。わたしはまたこうも思う、生まれ変わったその時の人類は、すでに普通の人の身長が今よりももっと高いだろう、だからわたしは少なくとも1メートル90センチ以上が必要であり、その時には100メートルの走る早さは今よりもっと速くなっている。だからわたしは9秒9で走るだけではだめなのだ。
小説を書く人の殆どは白日夢を見る病人だ。幸い、この白日夢はわたしをがっかりはさせない、現実のこのわたし史鉄生にはがっかりさせられるので、の方が失望させられてしまうので、こんな考えを思いついてこの白日夢の考えはわたしに安心安らぎと憧れを与えてくれる。
わたしのルイスへの憧れと崇拝の気持ちは日増しに増える。カール・ルイスこそ、世界でもっとも幸せな人であるとわたしは信じている。
もし何かの方法で彼に変身できたとしたら、わたしはどんな代価を払っても惜しくない。
もしも来世であの健康的で美しい体を得るのなら、今日の病の苦しみも、健康な体を得るための補償と考えればそれで十分事足りる報われる