由紀さおりに中国語を学ぶ

わたしは以前から由紀さおりふぁんを続けたいたのですが、あ、ついでに平山みきのことも好きで、眺め方によっては、今のお二人の容姿が重なって見えることもあるのですが、それはまた別の話です。
で、ご存じのように、由紀さおりは、昨年あたりから欧米で注目されるようになり、ようやく世界が由紀さおりにおいついたね。とそれまで由紀さおり宣伝委員長の声に聴く耳をもたなかった人々の間でも、「なんか外国で由紀さおりがすごいらしい」という、「なにか感」が漂うところまでにはなりました。
そんな、「すごいらしいね」の人たちからNHKのドキュメンタリ番組で、昨年のコンサートの模様や多くの専門家たちの由紀さおり分析が放送されるという情報をもらい、白菜鍋を食べつつガン見をしました。
世の中には、いろいろな専門家がいるもので、音声分析の専門の方が彼女の母音の波長について説明をしたり、音声心理学の方が、心理的要素について解説をしていました。
また、同じステージにあがる姉の安田祥子さんが、妹である由紀さおりの、日本語の傑出した表現力についての説明を聞かされて、また彼女のJAZZホールでの歌を聴くと、たしかに一語一語が特別な響きを持っているような気がします。
アメリカ人のプロデューサは、「今までも多くの日本人がアメリカで成功しようと、アメリカを見て、アメリカ人に受け要られようとした音楽を作ってきたけど、どれも成功しなかった。本当にアメリカ人を振り向かせるには、アメリカ人に合わせる必要などなく、アメリカ人の知らない日本語の美しさがあればよかったのだ。」
というような説明では、そうそう。そうだったんだよね。と膝を何度も打ちながら、今までは、中国の人にはこんな文章が受けるのでは?とか、中国語的物語ってこういう感じだよねえ。というささやかでたぶん見当違いの媚を売っていたところを反省しつつ、またもや作文を書いてみてもらいました。


中国風構造から日本人本来の。。というか、今の日本にも無くなってしまったかもしれないけど、わたしにとっての純日本的世界というと安易に浮かぶのが小津安二郎的家庭。
というより、もはや山田太一かしらん。「咖啡」としか言わないような人たちだけの話を書いてみました。
また例によって、中国語テキストのある課に出てきた単語や語法ばかりを使って書いたところも同じです。
“带上了天长地久的光环”という一説はまさしくテキストに出てきたビタミンを摂取することの効用についての表現だったのですが、“天长地久”だけを使うのではなくて、その周り毎引用させてもらう(パクるとも言う)のもポイントです。
ただ、自分としては毎回、結構無理に語法や成語をあてはめて使っているのですが、書いている本人が思いもしない「ぴったり感」をもたらすこともあるようです。


由紀さおりの番組で、本人が「『小さい秋みつけた』の歌では、小さい秋をみつけたで終わってはいけないのよ」と言った言葉もとても印象的でした。小さい秋を見つけただけでなくて、では、彼女はどう表現をしているのかも説明をしていた気がするのですが、そこは白菜鍋の底に沈んだエノキを取るのに夢中で聞き逃してしまいました。


何か言語表現の本質について説明されているような、あるいはそこで番組が終わっていたような気もします。


≪天长地久的咖啡≫


我在汉语课本里读过好几篇的微型小说。
看上去课本里的中国小说有教训的特色。
我所读的那些小说,别说学习汉语的外国人,即使中国人来说那样的故事也是令人感到厌烦
因此我发觉,只要自己用中文语法写微型小说,就可以省得觉得窝憋。
对我来说,与其读道紱的恋爱小说,宁可自己写无内容的三角恋爱小说。
显然我写的内容偏偏是无意义。再说你难免觉得没趣。

他们三个人(两个人和它)现在谁也不认识谁于是后果最终谁也不认识谁。
不过只要你愿意他们就认识的。
然而现在要写的是别的故事。


(故事)是这样的:
有一家店的正门上悬挂着一个巨大的招牌,上面写着《咖啡》。
既没有店名,又没有吸引人的词句
只是白板鄢字写着《咖啡》二字。
又加上招牌稍微向上倾斜,简直像是面向天空亮出的一封挑战书。
为何特意安了那样的招牌,我不太明白。
对来来往往的路人来说,招牌的位置太高,而且连字也太大了。
我发现那个招牌的原因,也不过是那时偶然从车窗无意识地仰视了一下天空后罢了真可算既幸运又偶然发现的结果罢了
那次我们在远行后的归途中,已累得筋疲力尽。
掌握方向盘的朋友每隔20秒打一次哈欠,他的女朋友则在旁边睡得香甜。
烟灰缸里装满了烟头。从汽车内的立体声装置的喇叭里传出不知是谁的、有关2月和5月气温差的歌。
我读道:“咖啡。”
“咖啡?”朋友问。
“有写着咖啡的招牌”。
“那样的东西,到处都有”
“但是那张招牌有约6张榻榻米那么大小的招牌上,上面只写着咖啡两个字,还朝向冲着天空呢。”我抗议了。
“那是为了避开轰炸机。”他打了个哈欠后说,“像红十字的记号那样的东西啦。谁也不会轰炸咖啡店。不是吗(→你说呢)?”
“那倒是。” 我说。
在北方国道尽头的一个小的古城里,有一家挂着很大招牌的咖啡店,今天人们依旧在那里喝着咖啡。
在那里,有着咖啡般的和平,还有温暖美味的咖啡。


“咖啡。”
在天空中,年轻的轰炸手念着招牌上的文字。
“咖啡?” 驾驶员说。
“可以看见写着‘咖啡’的招牌”
要是在满是积雪的二月的下午的话,那或许能够带上天长地久的光环。

お試し中国語オンラインレッスン

阿香さんのブログ「阿香の廣東話日記」をすっかり真似して、わたしも、結構な数のオンラインレッスンを受けてみました。
阿香さんの記事には、四つの教室についてのレッスンをとても細やかに報告されていますので、本当に入会を考えされている方はぜひこちらの記事を参考にされてはいかがでしょうか。
また、褒めてばっかりですが、阿香さんのサイトでは、よく中国語テキストや一般的な外国語習得に関する本を紹介してくれて嬉しいです。


オンラインレッスンについては、わたしは、全く個人的な趣味でいくつものレッスンを受けてみました。
すでに、去年はオンラインレッスンをかなり受けていたので、わかっていたのですが、老師の殆どが女子大生のアルバイトであることと、専門の外国人への中国語教育を受けていないということを、ある意味、中国語を教わることの利点と感じて、そこをより長所と感じられるような老師とレッスン内容を探すような気持ちで受けました。
基本的な印象は、阿香さんが書かれていることと同じなのですが、体験レッスンで選ぶのは、そこで体験したオンライン学校を選ぶのではなく、より自分に合った老師と、自分に適した授業を作れるかにかかっているかと思います。
とはいえ、それは決して簡単なことではないのですが、実は老師の問題ではなく、自分自身のレッスンの工夫とレッスン外の準備などの刻苦ではないでしょうか。


具体的に書くと
・定額制のところが多いので、できるだけ毎日のレッスンを取る。レッスンをたくさんすればするほど得!レッスンを一日でもしないと損感覚にする。
・テキストを使ったレッスンだと進行が楽になるので、敢えて自由会話をお願いする。なぜかテキストを使ったレッスンの方が高くて、自由会話が安いというところが多いです。また、なぜか入門テキストが安くて中級テキストを使うと高いというのが解せません。
・自由会話として、油断をすると、ゆるい日本語まじりのテレビや芸能人ネタで終わってしまいますので、自分でテーマを決めて、自分で準備をします。そんな綿密に準備すればするほど話題はあらぬ報告にそれてしまいますが、それたりそれなかったりもしつつ、ある程度レッスンとしての満足度を得られる、真剣でいてそれでいて硬くない、そんなあなた好みの老師を選べられれば最高ですね。


で、わたしにとっての理想的なオンライン自由会話レッスン
・緊迫感のあるレッスンをすることだと思います。
敢えて意見の異なる話題について、これは「レッスンである」という相互認識のもとに、できるだけ本音でいいあえる。時には本音を越えた相手を挑発するような会話をする。とはいえ、「これはレッスンである」という認識が強すぎると、何を言っても「ごっこ」の枠を出ないのですが、それでも人間そんなに器用ではないので、どこかで素の自分を出さざるを得なくなります。
次第にエスカレートして、災害に会ってエレベータに二日間閉じ込められた男女とか、宇宙人に侵略されて地球最後の日に長城で太陽を眺める男女という設定も過去にやってみたことがあるのですが、ここまで緊迫感がある場面を設定してしまうと、もはや何をしているのかわからなくなるので、さじ加減も大切です。


また、今回のオンラインお試しレッスンでは、ある老師が普段の基本的な行動を流暢な日本語で言われてから、「ハイ、中国語で言ってみて!」と言われると、実に身の回りの基本的な物の中国語を知らないし、また基本的な動作の動詞も出てきませんでした。
また、初対面だと(この人が何を言うのか想像できないから)やはり聞き取れない用語も多かったです。チャット画面で打ってもらうと「ああ、ああ」と画面を指さしてしまう言葉ばかりだったような気もしたのですが、お試しレッスンのあとに、メールで「もっと日常の語彙量を増やしましょう」というメッセージまでいただいてしまいました。
お試しレッスンで、そんな自分の無知に箔をつけさせられてしまったので、やはり目に映るすべての物や自分の毎日の行動くらい中国語に出来なくてどうするの?と思い、例の朝から夜シリーズが早くもブックオフに出ていたので、またもや買ってしまいました。


起きてから寝るまで中国語表現700



今回のお試しレッスンで中国の老師たちに聞いたことに、「日本語の学習方法」もありました。みんな優秀な現役大学生だったのですが、意外なことにのんびりとした方法で、期待したような音読数十回とか小説丸暗記というような方はいませんでした。
殆どの方が、そもそも日本の芸能が好きなので、歌やテレビで楽しみながらやった方がつづけられるンダよというのと、日本の友達と沢山話すこと。とにかく単語を覚えて、文法的なことは、あとから学んで、知識を繋げた方がよいとか、中国語教育歴数十年という方にも、中国語の小説を読むなら、文法の分析よりもまず中国人の友達を作ってたくさん話した方がいいのだとも言われました。


と、今回もあまりにも参考にならないことをうだうだ書きましたが、わたし自身もある時期に集中した自由会話をやってみたのは、効果があったような気がします。
ただ、テキストを使って一人で学習をするより数倍楽しいけど、自ら自分に負荷をかけられるという時間にも精神的にも余裕がある時でないと難しいです。
また、4月になっておちついたら、連休の前後あたりから毎日オンライン自由会話を再開したいものです。


今回もスペースがあるので、中国語作文を載せます。
これも、ネイティブの老師に見てもらったのですが、この作文についてだけで2時間くらいの会話になってしまいました。
とはいえ、文法の説明とか作文の音読というよりも、この作文に関する感想やまたもや何故か中国人論や日本人論や、そのネイティブの方が小学生の子供がいるので、日本の国語の授業についての会話でした。
作文自体にもかなり赤を入れてもらったのですが、そもそも一人で進めている博雅汉语の作文の練習問題が、「他人の意見をあげて、それに例を挙げて反論をする方法で文章を書け」という課題だったので、ところどころ論文調の文章とくだけた文体が混在しているという最もな指摘を受けました。
あと、かなり意識して補語を使っているつもりなのですが、もっともっと補語を使うというか、補語を覚えないといけないと言われました。
たしかに、中国語の補語は自分で発明してはいけなくて、まず補語を覚えた通りに何度も自分の言葉で使ってみるしか定着しようがない気がします。


猫钟
有个模特儿住在我家。
日本有很受欢迎的杂志——《anan》。
有时候很受女性读者欢迎的福山雅治被选入了封面了。
现在住在我家的模特儿也被登载在那月号杂志的正中。
这是那时候的照片。


 



由于有缘,他来我家已经两年了。
现在他完全失去了昔日的风貌。
这简直不是人类所说的老头子吗?



不少人认为猫随心所欲地生活,猫不能过规律的生活。
我不同意这种观点。
虽然我的猫也每天过着懒懒散散的生活。
的确不可能知道,他什么时候做什么,这样的生活规定。
然而整天观察他生活的话,就可以发觉他有他的一定的生活规律。
猫之所以过着无规律的节奏,是因为猫钟和我们戴着的手表有点儿不一样。
猫午睡一会儿就起来喝水,然后移动到别的地方就又开始午睡,然后又吃一点儿就午睡•••。
如果他看到我,为了跟我玩儿就急冲冲地跑了过来。
但是他不知不觉地玩儿腻了,于是就跑走了。
我爱读的杂志是《猫的心情(ねこのきもち)》。这本杂志在某月出了猫钟的专集。
据那篇新闻说猫在体内有猫钟。
猫每天晒太阳。
他根据那时感觉的太阳来判断季节的转变,选择适合于他的掉毛时期等等。
从那以后每次我看到他晒太阳,我就想到太阳能电池的电板。


有人认为狗可以跟人会话,猫却不能跟人会话。
这样的想法也是完全错误的。
我父亲喜欢养狗,养的狗的确是会理解父亲的话。
父亲与他养的狗简直就像父子。
我离开父母家的时候,父亲强烈劝我养一条聪明的狗。
不过我怎么也不想养狗?
父亲老了,住进养老院,又建议我应该养狗,给了我一大笔钱。
我勉强收下了钱,到宠物商店有没有聪明的狗。
然而我偶然发现的猫对我特别亲近,于是我把他领了回来。
我对父亲说,在宠物商店里没有聪明的狗,然后我把钱还给父亲。
我因父亲扫兴得要命而告诉他说我领回了一只猫来。
父亲说,猫都不聪明,不能说话。
我撒谎说:“这只猫会跟我说话”
父亲听了这句话,就面带笑容。
因此我每次去医院看望父亲,我告诉他我和猫的会话。
我确信原来父亲不相信我的话,但是我至少不担心跟父亲说话了。
几年以后,父亲先去世了,然后父亲养的狗死了,然后跟我说话的猫也死了。
通过撒谎而联系起来的他们相继去世了,我把他们和有关他们的撒谎言一块儿埋在地下。
几年后,开头我说的猫到我家来了。
我总是不明白,谁、什么时候、以什么样的顺序死的。。。
肯定是我体内的钟不准了。
最近我经常每个周末想起过去的事来,我躺着午睡,猫就过来挨着我。
我醒过来时,猫睡着得简直像我一样的睡觉姿势。
这可真是我和猫钟的针完全重叠的瞬间。

運命の子

わたしの、中国語は二年やっただけとはいえ、それなりに時間をかけているつもりなので、第2外国語で中国語をちゃらちゃらと専攻している大学生よりは、ましなはず!?と根拠なく思っていたところ、遠い親戚にいました大学2年生で中国語専攻している野郎が。
その野郎に新年に会ったところ、今2年生で来年は中国の大学に留学が決まっているというので、新HSK5級を受けるらしいです。新HSK5級に受かるかどうかで本科に入れるかどうかが決まるというので、なんとか試験も受かりたいけど、他の試験もあってサークルもデートもあって、と大学2年生はたいへんらしい。
中国語歴において3か月先輩のわたしとしては、ナンチャッテ中国語で話しかけたところ、抑揚のある中国語で返されてしまいました。「本場の中国語みたい」とは、思っても口にしません。
6月に試験があるので、一緒に受けようと野郎が言うと、外野がわたしの方が「三か月も先輩なのだから受かるに決まっている」という納得できない理屈を言われ、全く関心が無かったのに断れない雰囲気になってしまいました。と、その場では全く関心が無いふりをしたものの、隠れて受けて「ふらっと試験受けたらふらっと合格してたよ。ヘラヘラ〜」みたいなことを言って、今どきの学生の鼻をへし折りたいと思ったものの、こちらのただでさえ低い鼻をへし折られるような気もします。
今どきの政治経済をわたしより詳しく語られ、かなり片手間でやっているらしい中国語ですら、わたしより流暢に話されるとは。。。
いったいわたしは何をやっていたのだろう。2、30年前のロックと映画なら詳しいんだけどねとお節を頬張りながら、恋愛だの恋だのわたしの中では死語となった言葉が出てくる野郎の口元を見ながら思ったのでした。



そういえば、年末にチェン・カイコーの映画、「運命の子」(赵氏孤儿)を見ました。
映画としては、良くも悪くも本当に「ああ、中国娯楽映画だねえ」という感じでした。
どこかに書かれていた、チェン・カイコーの「自分の子を犠牲にできるか」というメッセージも、中国の若い人へ中国文化を伝えたい。という想いも、恐らくこの映画では伝わらないでしょう。
娯楽映画として、面白い面白くないというような文脈でしか語られないような映画でしたが、この中国では有名な京劇である物語と内容を変えてあるというのですが、いったいオリジナルはどういう話なのか、どう終わったのかという点だけが気になりました。
ただ、中国映画の代名詞にもなっている、ワイヤーアクションというのは、逆に映画を安っぽくさせているだけのような気がします。ワイヤーアクションを有名にさせたのは、アン・リー監督とも言われているのですが、荒唐無稽さが前提の映画ならば、爽快感という免罪符もあるのかもしれませんが、リアルな文芸物?を作りたいのであれば、人間の本物の動きだけで作って欲しかったです。
でも、今の张艺谋にしても陈凯歌にしても、映画というビジネスを成立しなければいけないのだろうなあ、とそんなことを考えたりした年末でした。



と、どう読んでもあまり映画を褒めていないみたいですが、決して悪くは無い映画です。
で、この予告編を見ると、なんだか懐かしくなってきました。
テレビで放送したら、もう一度見てみたい。あるいは中国語字幕で見てみたい気がします。



また、スペースが余ったので、作文を載せます。


去年的年底,我读了几本中国小说,看了几部中国电影。
从书和电影中我感到,中国历史上有过好几次重大的变革,每一次都好像彻底改变了中国人的价值观念。
举几个例子,古代有很多次大规模的战,其中好几次使中国发生了重大的变化。
现代经济改革也使中国大众发生了从未有过(前所未有)的巨变。
除此之外,电影导演陈凯歌写的 “文化大革命还没完成。
中国大众一直在朝着某个方向奔腾向前。文化大革命的确是愚蠢的运动,文革的时候前往政治,而现代是前往经济”。
这个句子也给我留下了深刻的印象。
现代的年轻人也认为,西方文明的进入使他们和传统的中国有了“断裂”。
拿食来说,快餐厅成了他们的最爱。
再拿住来说,大家庭变小了。
总之,建立在传统社会秩序上的中国,其基础的部分正在发生很大的改变。
其中的一个原因是网络的普及而引起的年轻人意识的变化。
我感觉,世界人民的价值观念被因特网的发展所统一化了。
于是不适应新环境的事就会被淘汰。
已经决不把所谓“国民气质”只憋在国内了。
现代的中国是否有重视礼貌的国民气质?
现代的日本是否有舍己为公地打仗的国民气质?
毕竟早就把那气质捆扎起来而埋入地下了。
一起说那些关于“国民气质”的中国朋友送给我他的近照。
那照片竟然好像功夫片的明星。
他说“现代中国毕竟是从古代中国延续下来的”。


前にも何度も書いたように、生まれて初めて書いた中国語の作文を、跡形もなく直されたのに、面白いとか格好いいと煽てられたのが、今でも中国語を続けられている理由のひとつただと思います。
そのおだててくれた中国人の老師は、少し前のメル友から今はskype友達となりました。前は熱心にわたしが書く作文についてコメントをしてくれたのですが、次第に現代中国社会の拝金主義批判を聞く会のようになってきました。
上の作文も少ししか赤が入っていないのは、老師の気力が無くなっただけかもしれません。
ただ、外国人の文章だとわかるけど、それでいいんじゃなあい。とか「把那些气质捆扎起来而埋入地下了」は、格好いいと言われたのですが、それは昔、あなたに教わった中国語ですよと口には出せませんでした。中国語を初めて数か月なのに、なぜか補語の「起来」の使い方ばかりを教わりました。また、今でもなぜか老師がよく直す「而」の使い方を意識して真似しているような気がします。
その時の話をして、「也许是老师在银行里把不少钱存起来」と言うと、そういう言い方はしないと言われました。と曖昧な記憶なのですが、存起来は、「集めて貯める」というニュアンスなので、銀行という言葉を使うのなら、「到银行存钱」とかなんだとか。。。で、また起来を使った言い方で、「〜に」とか「〜へ」という表現を入れると、把○○V起来は、使えなくなるとかなんとか。。なんだか一年前とあまり進歩がないねえと、結局いつもの、「とにかくいい中国語をたくさん読め」で終わった中国語3割日本語7割の聊天儿でした。

無言歌

いつのまにか年をとってしまうと、身近には、様々な健康に問題がある話を聞くことが多くなります。命の質は同じなはずなのですが、そんな話を身近な人から聞くほど、一日の貴重さを実感させられます。
いろいろと時間が無くなっていた時に、中国の方に声をかけられて手作り餃子をご馳走になって、小説などなどの話をしては、また作文を見てもらいました。


わたしにとって今年の小説の一番の発見は、ショーン・タンが全てだったのですが、

The Arrival

The Arrival

遠い町から来た話

遠い町から来た話

また作品を全て読んでいると思っていた、カズオ・イシグロに短編集があることを知って、

夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語

夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語

ようやく最近読み終わるや、マイ大切な短編作家の10人に入れることに決定しました。
中国にも紹介されているらしい、石黒一雄は普通に日本人だと思われているらしいです。
勿論、どうして日本人でないのかを説明できません。もしかしたら、本人にもそれは説明できないのかもしれません。
中国の歴史の話になると、何も知らないも同然のわたしに、古代中国から現代までの歴史を一気に独特な解釈で教わりました。また、旧約聖書で説明されていた中国の話から、しつこく文革のことも聞きました。わたしにとって、文化大革命に関することで、一番理解できず、それでいて今とても興味があるのは、多くの中国の方にとって「文革は間違いだった」と断言する一方で、毛沢東を高く評価していることです。わたしが直接中国の方から聞く、文化大革命のニュアンスはどうも、wikiに書かれているような説明とは違うようです。
そして、文革をとりあげている、映画「無言歌」と陈凯歌 の「少年凯歌」を紹介しました。


わたしは、ワン・ビンのことは、今年の秋の全作品特集で知ったばかりなのですが、劇映画監督というより、やはりドキュメント作家という作風であった彼の新作が、普通に劇場公開されること自体がニュースかもしれません。
わたしが以前どこかで読んだ記憶のある、この映画の挑発的な宣伝コピーは、「毛沢東は政府へ反対意見を求めた。そして意見を言った者たちを全員投獄した」というような文句だった記憶があるのですが、今はあまり見かけません。



わたしが、文革に興味を持ってしまうのは、ここらへんにもあります。
朝日新聞では、何人かの人が今年の映画ベスト1にあげていましたが、決してドラマとして感動をよびかける映画ではないはず。


また、陈凯歌の「少年凯歌」は、もといさんといっしょに和訳をしようと話をしていたのですが、あまりにわからない名詞が多すぎで、こっそり翻訳本を手に入れてしまいました。この翻訳本の帯にある、また挑発的なコピー「文革はまだ終わっていない」と、それを説明している文章で、さらに文革と中国の歴史への興味が深まり、今月ようやく日本で公開される「運命の子」こと「赵氏孤儿」は、すでに中国で公開されていて、やはり张艺谋のように、若い人たちからは、終わった監督のように思われていることや、原作にあたる有名な京劇の話を大幅に変えているらしいということを聞いて、ああ、これも見に行かないとおっ、と思ったのでした。



わたしの今年残されたイベントは、映画の「無言歌」と「運命の子」を見ることと、「少年凯歌」を翻訳本の力を借りてでも読み切ることです。


またスペースがあまったので、添削していただいた作文を載せます。
作文については、発音と同じように、同じことを何度も何度も指摘されています。
大雑把に整理すると、
−量詞を使えていない
−了を正しく使えていない
−補語を殆ど使えていない
−这个,那个の間違い
などなど。最初の頃は、「まだ出来なくてもいいのでは」くらいに考えていたのですが、そろそろ同じ間違いばかりする自分が情けなくなってきました。
ただ、わたしにとっては、発音と同じなのですが、何度も何度も同じことを言われ続けて、ようやく、自分の間違いの様がわかってくるようです。また間違いがわかってくることと、それを訂正できることに、さらに時間差があるのも悲しいことのひとつです。
作文については、去年最初に見ていただいた中国語作文が、一番面白かったと言い続けられ、そんなビギナーズ作文ラックを越えるためにも、もう少し「奇妙な面白」に磨きをかけたいものです。
ちなみに、今回も中国語のテキストの重要語句と文法説明の句を全て使って作ったのですが、そんなルールを内緒にすると、語句の使い方の不自然さは指摘されなかったことだけが、わずかな救いです。
今回の指摘ポイントで「ほおお」と思った箇所。
中国的朋友とは言わない。違う意味になる。
发现了一条消息说,《大方》在发行两期之后被停刊了。の「说」の使い方。
ちなみに、これは雑誌の「大方」が中国当局(って何?)によって発禁処分となったニュースを知って、「大方」という言葉について書いた文章です。
文芸雑誌が政府(?)によって、発売中止となるのは、大きなニュースのような気がしたのですが、どうも一般的な小説を読まれる人たちにとっては、今回の事件は、そういう捉え方ではないようです。


《他们很大方》


听说在中国的传统里,“大方”是评价人的重要标准之一。
即使有的人很有能力,可是小气的话,可能没有朋友,而大方的人,则会有很多朋友。
在日本没有请客的习惯。
我的朋友随着在中国待的时间的,跟中国朋友吃着吃着不知不觉地请客了。
似乎和中国人一样越来越在乎“面子”了 。
他自己也说“我大方起来了”
今年我读楊絳的小说《林奶奶》,我知道的“大方”的意思是“気前がいい”。
这个日语是“毫不吝啬”的意思。
不料根据翻译本,在这篇小说里不是“不吝啬”的意思,而是像“稳重”似的意思。
我记住了“大方”和“大大方方”的用法。
这夏季这个夏天我去上海的时候,在书店看到了一本大号的杂志。
那本杂志是安妮宝贝编辑的,名字叫《大方》。
我哗啦哗啦地翻看本杂志,不料大致的内容是有关村上春树的采访。
我喜欢得不得了。
我从来没看过这么多关于他的采访,连日本杂志都没有这么详细的采访。
我毫不犹豫地去收银台买了那本杂志。
对我来说,虽然那本杂志的中文很难,但是看有兴趣的文章是我的乐趣之一。
那本杂志的名字《大方》的意思是“风格清雅”吗?

但是昨天我在网上发现《大方》在发行两期之后,被停刊的消息(→发现了一条消息说,《大方》在发行两期之后被停刊了)。
我在网上怎么查也不清楚被停刊的理由。
被停刊的原因究竟在哪里呢?
我没看《大方》的第二号的内容。
是因为艺术风格那么低吗?
依我看,现在中国经济的迅速发展把中国人推到两个极端。
听说在中国的传统里,“大方”是评价人的重要标准之一。
本杂志的《大方》是什么意思?
编《大方》的人是不是大方
使《大方》停刊的人是不大方吗?
我怎么也不知道大方的意思。

女優魂で中国語

オタクの中国友達と話をしていて、わたしに合う映画は、周星驰ではないかと言われました。彼の映画は、逆に日本の作家、馳星周が映画評論家だった頃に知って、「食神」

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のあたりから日本公開された作品は結構見ました。
日本でヒットをした「少林サッカー」は、結構楽しめたのですが、中国では、この映画から彼の作品はつまらなくなったとかで、邦題「チャイニーズ・オディッセイ」
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チャイニーズ・オデッセイ <其の弐> [DVD]

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を激しく薦められました。
丁度、中国語を学習されているサイトで、この映画のことを細かく解説されている方の記事を読んだばかりだったので、
この記事を頼りに、わたしも周星驰を巡る旅に出てみようと思います。
ネットで探してみると、周星驰の中古DVDが16枚入っているBOXが、1000円くらいだったので、またまた注文してしまいました。


しかし、11月は発音強化月間として、個々の発音を見直したりと地道な努力もしているつもりなのですが、なかなか「コレは」という感覚がつかめていなかたのですが、心から尊敬するxiaoqさんの中国語ブログの、この日のかなあああり、長いコメントの下ああの方に、「女優になりきって発音をすればいい」というアドバイスをいただきました。(もしかしたらアドバイスではなかったかも?)
そんな試すのもアホらしゅうと一瞬だけ思うものの、一度女優の気持ちでCDに合わせて朗読をすると、妙にノリノリで流暢に(自社比150%)うまく出来るではないですか。
そこで、「コレだ!わたしが求めていた発音はコレなのよ!!」と、家の中でもどこを歩いても電車の中でも会社の昼休みでも、女優の心で、なぜか「Yesterday Once More」がBGMになっている中国人ネイティブによる「匆匆」をノリノリで、真似し続けました。


そして、ついにこの女優魂をネイティブの老師に聴いていただいたのですが、読んでいる途中で、「そういえば、わたしってば女優ではなかったかも?ああ、女でもなかったわ。。」ということに気づいてしまい、やはりボロボロになってしまいました。詳細は省略。
ここで、女優魂発声方法の失敗として、学んだのは、CDと同時の発生や、少し遅れのシャドウイングは、自己陶酔はできても、発音の上達はできないということでしょうか。
なんとなく、「Yesterday Once More」の雰囲気の中で女優のスポットライトを感じられるかもしれないけど、やはり自分の声がしっかり聞こえないので、冷静に自分の声を確認できなくなります。やはり、気持ちは女優になりきっても、冷静にCDを止めて、自分で大きな声で発生して、きれいに「ou」とか「uo」や「ng」と「an」の区別や「ri」を出しては、自分の声を確認しないといけません。
また、今回はSkypeで、レッスンの模様を録音できたので、毎日寝る前に腹筋をしながら、この録音を聞いては、再度女優としての、「匆匆」の朗読に挑みます。
明日は休日なので、もう朝から女優として顔を洗い、女優としてご飯を食べて、なんとか、老師に女優魂を届けたいものです。


スペースが余ったので(ウソ)、中国語作文を二つ載せてみます。
これも、中国語テキストの用語と語法を使いつつ、また中国語テキストっぽい幽默を意識したらしいです。


≪承受能力≫


本来我的人生就是一直在承受而已。反过来说一直承受很多东西使我的人生失败。
不管怎样艰苦,我只有忍受、容忍、承受。
我没因忍不住“叭”地一下把一罐咖啡扔在地上。我也没因熬不住,一下子把一个枕头扔在床上。
最多只是稍微低着头叹一口气,安慰镜子里的自己。我再重新考虑一下吧。。
我在学校吃了苦头,没退学。我在公司艰苦的生活中没辞去职务。跟女朋友,我感到委屈。
也许是我的忍耐力太强,使我的人生失败了。。
我未必总是有承受能力。有关这个,我想起来的第一件事是,我还是幼儿园小孩儿的时候,我拿来在乡下抓到的甲虫。但是一个男孩儿把我的甲虫弄死了。
虽然如此,我没有哭。我只把他的拖鞋扔掉了。
最近的事情是这样的。我一个月之内每天买贴有标签的茶饮料。
不过一直没抽中,所以我给同事这签。可是他告诉我,我给的签中奖了一年的茶。
他显得非常感谢我。所以我觉得他起码应该给我一瓶茶,结果却什么也没有。
但是我毫不在意。然后我悄悄地喝他刚才买的星巴克咖啡。
我当然是有承受能力的人吧.


≪戏说和猫结婚≫


据说最近中国的独身男女也越来越多了,特别是对住在大城市里的人来说结婚简直是件极为困难的事。
日本在经济世界已经被中国超过,不过在独身世界还算发达国家。很多日本人之所以选择独身,是因为一点也不觉结婚的必要性。
他们和猫一起过着幸福的日常生活,毕竟不觉得和异性结婚的必要。和猫生活的好处多得简直说不出来。
有人认为成人应该结婚,以后生了孩子才越来越幸福,这些是真的吗?
结婚和生孩子未必使人们幸福,而且和别人生活反而可能带来不安。
我就是自己的主人,应该认识到给妻子和孩子照顾并不是唯一能证明自己的方式。和猫生活将使我们的内心世界变得更丰富。
我将为和猫一起起床而喜悦,为听猫咪咪叫而激动。
日本20岁以上的独身者男女一共有2500万人。这些人中起码有四分之一养猫.其中两个人中的一个有情人和猫,因为如此他们愿意跟情人分手。
这样,为了和猫生活以致和情人分手。
日本的独身男女之所以找不到情人,并不是因为和猫生活得过于快乐,而只是觉得和猫生活更舒畅。
只有和猫生活,才能重新发觉自己内心的喜悦,并且向人家打开心灵的大门。只要爱小猫,就能体会到幸福。
也许你现在看不过去,不久你也会和猫结婚。
除了生人的孩子以外,猫什么都会。
我家的家规说,“天下无难事,只要爱猫”。
情猫跟情人相比,唯一的缺点是它们的寿命短了一点儿.

中国脳

よく外国語学習者の間では、英語脳だとか中国語脳という言葉を使って、主にその言語の発音をよくして、聴き取りをよくするために使われているかと思います。
わたしは、そういう「中国語」脳ではなくて、「中国」脳について、中国の朋友と話すと考えることがあります。
去年あたりは、中国語で話そうとすると、日本語で何を話すか考えたり、日本語の動詞、名詞、副詞を、中国語に置き換えようとしたり、あるいはときどき日本語ときどき中国語のまま話したりしていました。
まず、「日本語を作る」という意識が常にありました。
それが、一週間に、数時間でも興味を持てる会話をする癖をつけると、頭の中で翻訳という面倒な工程をしてはいられなくなります。
かといって、中国語で考えて中国語で話ができるようになったのではなく、「何か面白い話題がでてくる」→すかさず、「それを知っているよ」とか、「じゃあ、これはどう?」みたいに、すぐさま相手に何かを伝えたくなるのです。
もう、イメージとさえ言えないような概念をすぐ相手に伝えようと、気持ちが言語より早く出てくる感じです。
しかも、数か月話をしている間柄になると、それなりの共通認識の上での会話になるので、いろんなことがパターンとなったり、省略されたりして、会話も楽になります。
これは、いちいち日本語を翻訳しないという自然な癖にはなったような気もします。
そして、ああ、こういう日本語を頭に入れない時間を24時間続けられたり、一か月、一年と続けられたりすれば、きっとわたしの脳もじわじわと中国化されていくのではないかと思うのです。
ちなみに、わたしのPCにも、今いろいろな中国アプリが入ってしまったおかげで、何をアップグレードするときも、中国語の説明画面になったり、よく中国語のサイトがポップアップされたりするのですが、それはあまり見なかったことにしています。


ただ、そういう適当中国語会話を続けると、四声とか、有気音、無気音の区別とか、正しい文法なんて、一万光年向こうに放り出されます。そこは、ごまかし四声とか適当anとangが、まかり通る世界です。
なので、このままではいけないと、普通語の発音を意識したり、文法的に正しい文章を意識して書いたりするのですが、まだまだ「正しさ」のゴールすら見えません。
それをあまり意識すると、適当アウトプットをするのが怖くなり、常に中国の方に、チェックされ続けないと、なかなか進歩できない気もしてしまうのですが。。

ですが、それはそれで、これはこれと、適当会話もしたり、大量のインプットをしたり、正しい普通語を教えてもらいながら、しばらくはゴチャゴチャと面白そうな方向にキョロキョロしながら、進んで行こうと思います。


下の作文は尊敬する日本語学習者、栗粟さんに見ていただいた文章ですが、実は内容よりも、中国語のテキスト「橋梁」の第七課のタバコの話に出てくる重要語と語法を殆ど使って作りました。
真似をして作ったはずなのですが、真似が不十分なところを何か所も修正いただきました。
しかし、語法や単語だけでなく、わたしが一番意識して真似をしようとしたのは、中国語テキストにありそうな、「面白」を狙ったのですが。。そこらへんの感覚がどう伝わったのかはわかりません。


≪中国脑≫
学习中文的时间越长越觉得汉语难学。和家人一起的时间越来越少,而且家人越来越生气。其实学习中文成瘾的危害还不只这些。
经过科学家研究证明,长时间学习中文,还会影响脑的活动。每天学习两个小时以上学习中文的人都会觉得,学多长时间中文,中文水平就会学得多好有那么多得提高
然而实际上连基本的对话都说不好,和中国人交流更难,难怪学习汉语的人感到委屈。
科学家把这种现象叫做“中国脑初期现象”。
科学家用最新的仪器对三十岁以上的人进行脑波测试,发现那些长时间学习中文的人和正常人的脑有着明显的差异。
他们的前脑活动能力受到了抑制,而前脑是负责控制感情的。
科学家把处于这种状态的脑叫做“中国脑”。
这些人中有20%的人“前脑”根本就不活动,可他们却偏偏自寻烦恼。他们大胆地闯红灯,热情地劝酒,亲热地敬烟。
科学家发现,很多“学习中文瘾者”如果筯多学习中文的时间,会给生活态度带来更多变化。
科学家把处于这种状态的脑叫“真正的中国脑”。
他们理直气壮地问一个小姐的年龄今年多大,为什么跟男朋友分手了。不久就会觉得,如果你有“不可告人之事”,就一定是坏人。再过一会儿,他们居然发现没什么压力,也不再需要心理咨询师。
心中的苦痛渐渐消除,不知不觉精神就振奋起来了。在公司照常交流,已经不是难事。
不过科学家不能证明有“中国脑”的人会不会说好中文。现实不像他们想象的那么简单。

“Hold住”的用法

いままでは、中国語の文章を書く時も、自分の書きたいことを主にして中国語では、どう書くのだろうという書きかただったのですが、なかなか単語や語法を自分の物に出来ていないので、寧ろ中国語のテキストに出てくる単語や語法を使う方を主として、そこに「ついでに」書きたいことを載せてみました。
今回は博雅汉语第六课の史铁生の文章を出来るだけ真似してみました。
あまり文章全体としての意味はないのですが、もし何かしら意味を読み取れれば、それはあなたの寛容な読解力のせいでしょう。
また、今は第七課を読んだところで、七課の原文はここにありました。
http://www.china-review.com/cath.asp?id=14270


“Hold住”这个词我套用得很生硬。
“Hold住”的用法


也许是因为人不善于什么就更憧憬什么吧。
我虽然是个五音不全的人,但却是个音乐迷。
我不光喜欢摇滚乐,爵士乐,古典音乐,以及其他各种音乐,也喜欢听流利的汉语,总之,对我来说中文是音乐,我是个全能音乐迷。
我对中国人以外的人说中文特别感兴趣。
在我看来,说中文比说任何外语都好听。
我最喜爱和蚸慕的人是加藤嘉一,他是我心中的偶像。
他身高一米八八,长得肩宽腿长。。。不对,不对,不对。我喜欢他跟他的样子没关系。
他之所以汉语说得流利、写得通畅,是因为费尽了心血去学。
他现在是不是流行的人?
在世界上,所有的人都向最流行的人欢呼,所有的旗帜与鲜花都在向最流行的人挥舞,浪潮般的媒体簇拥着最流行人走出赛场,而已过时的人则被冷落在一旁。
听说现在在中国“Hold住”是流行词。
听说现在加藤嘉一在日本可能受到了许多批评。
其实我对流行词,流行人不感冒
不过我读过加藤嘉一写的有关日本的日语文章。
我觉得他的文章也很有个性。
加藤嘉一是好样儿的。
虽然他受了那么多批评,但是整个场面他肯定能Hold住



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现学现用挺不赖嘛,我相信你能hold住哩,加油O(∩_∩)O~