お試し中国語オンラインレッスン

阿香さんのブログ「阿香の廣東話日記」をすっかり真似して、わたしも、結構な数のオンラインレッスンを受けてみました。
阿香さんの記事には、四つの教室についてのレッスンをとても細やかに報告されていますので、本当に入会を考えされている方はぜひこちらの記事を参考にされてはいかがでしょうか。
また、褒めてばっかりですが、阿香さんのサイトでは、よく中国語テキストや一般的な外国語習得に関する本を紹介してくれて嬉しいです。


オンラインレッスンについては、わたしは、全く個人的な趣味でいくつものレッスンを受けてみました。
すでに、去年はオンラインレッスンをかなり受けていたので、わかっていたのですが、老師の殆どが女子大生のアルバイトであることと、専門の外国人への中国語教育を受けていないということを、ある意味、中国語を教わることの利点と感じて、そこをより長所と感じられるような老師とレッスン内容を探すような気持ちで受けました。
基本的な印象は、阿香さんが書かれていることと同じなのですが、体験レッスンで選ぶのは、そこで体験したオンライン学校を選ぶのではなく、より自分に合った老師と、自分に適した授業を作れるかにかかっているかと思います。
とはいえ、それは決して簡単なことではないのですが、実は老師の問題ではなく、自分自身のレッスンの工夫とレッスン外の準備などの刻苦ではないでしょうか。


具体的に書くと
・定額制のところが多いので、できるだけ毎日のレッスンを取る。レッスンをたくさんすればするほど得!レッスンを一日でもしないと損感覚にする。
・テキストを使ったレッスンだと進行が楽になるので、敢えて自由会話をお願いする。なぜかテキストを使ったレッスンの方が高くて、自由会話が安いというところが多いです。また、なぜか入門テキストが安くて中級テキストを使うと高いというのが解せません。
・自由会話として、油断をすると、ゆるい日本語まじりのテレビや芸能人ネタで終わってしまいますので、自分でテーマを決めて、自分で準備をします。そんな綿密に準備すればするほど話題はあらぬ報告にそれてしまいますが、それたりそれなかったりもしつつ、ある程度レッスンとしての満足度を得られる、真剣でいてそれでいて硬くない、そんなあなた好みの老師を選べられれば最高ですね。


で、わたしにとっての理想的なオンライン自由会話レッスン
・緊迫感のあるレッスンをすることだと思います。
敢えて意見の異なる話題について、これは「レッスンである」という相互認識のもとに、できるだけ本音でいいあえる。時には本音を越えた相手を挑発するような会話をする。とはいえ、「これはレッスンである」という認識が強すぎると、何を言っても「ごっこ」の枠を出ないのですが、それでも人間そんなに器用ではないので、どこかで素の自分を出さざるを得なくなります。
次第にエスカレートして、災害に会ってエレベータに二日間閉じ込められた男女とか、宇宙人に侵略されて地球最後の日に長城で太陽を眺める男女という設定も過去にやってみたことがあるのですが、ここまで緊迫感がある場面を設定してしまうと、もはや何をしているのかわからなくなるので、さじ加減も大切です。


また、今回のオンラインお試しレッスンでは、ある老師が普段の基本的な行動を流暢な日本語で言われてから、「ハイ、中国語で言ってみて!」と言われると、実に身の回りの基本的な物の中国語を知らないし、また基本的な動作の動詞も出てきませんでした。
また、初対面だと(この人が何を言うのか想像できないから)やはり聞き取れない用語も多かったです。チャット画面で打ってもらうと「ああ、ああ」と画面を指さしてしまう言葉ばかりだったような気もしたのですが、お試しレッスンのあとに、メールで「もっと日常の語彙量を増やしましょう」というメッセージまでいただいてしまいました。
お試しレッスンで、そんな自分の無知に箔をつけさせられてしまったので、やはり目に映るすべての物や自分の毎日の行動くらい中国語に出来なくてどうするの?と思い、例の朝から夜シリーズが早くもブックオフに出ていたので、またもや買ってしまいました。


起きてから寝るまで中国語表現700



今回のお試しレッスンで中国の老師たちに聞いたことに、「日本語の学習方法」もありました。みんな優秀な現役大学生だったのですが、意外なことにのんびりとした方法で、期待したような音読数十回とか小説丸暗記というような方はいませんでした。
殆どの方が、そもそも日本の芸能が好きなので、歌やテレビで楽しみながらやった方がつづけられるンダよというのと、日本の友達と沢山話すこと。とにかく単語を覚えて、文法的なことは、あとから学んで、知識を繋げた方がよいとか、中国語教育歴数十年という方にも、中国語の小説を読むなら、文法の分析よりもまず中国人の友達を作ってたくさん話した方がいいのだとも言われました。


と、今回もあまりにも参考にならないことをうだうだ書きましたが、わたし自身もある時期に集中した自由会話をやってみたのは、効果があったような気がします。
ただ、テキストを使って一人で学習をするより数倍楽しいけど、自ら自分に負荷をかけられるという時間にも精神的にも余裕がある時でないと難しいです。
また、4月になっておちついたら、連休の前後あたりから毎日オンライン自由会話を再開したいものです。


今回もスペースがあるので、中国語作文を載せます。
これも、ネイティブの老師に見てもらったのですが、この作文についてだけで2時間くらいの会話になってしまいました。
とはいえ、文法の説明とか作文の音読というよりも、この作文に関する感想やまたもや何故か中国人論や日本人論や、そのネイティブの方が小学生の子供がいるので、日本の国語の授業についての会話でした。
作文自体にもかなり赤を入れてもらったのですが、そもそも一人で進めている博雅汉语の作文の練習問題が、「他人の意見をあげて、それに例を挙げて反論をする方法で文章を書け」という課題だったので、ところどころ論文調の文章とくだけた文体が混在しているという最もな指摘を受けました。
あと、かなり意識して補語を使っているつもりなのですが、もっともっと補語を使うというか、補語を覚えないといけないと言われました。
たしかに、中国語の補語は自分で発明してはいけなくて、まず補語を覚えた通りに何度も自分の言葉で使ってみるしか定着しようがない気がします。


猫钟
有个模特儿住在我家。
日本有很受欢迎的杂志——《anan》。
有时候很受女性读者欢迎的福山雅治被选入了封面了。
现在住在我家的模特儿也被登载在那月号杂志的正中。
这是那时候的照片。


 



由于有缘,他来我家已经两年了。
现在他完全失去了昔日的风貌。
这简直不是人类所说的老头子吗?



不少人认为猫随心所欲地生活,猫不能过规律的生活。
我不同意这种观点。
虽然我的猫也每天过着懒懒散散的生活。
的确不可能知道,他什么时候做什么,这样的生活规定。
然而整天观察他生活的话,就可以发觉他有他的一定的生活规律。
猫之所以过着无规律的节奏,是因为猫钟和我们戴着的手表有点儿不一样。
猫午睡一会儿就起来喝水,然后移动到别的地方就又开始午睡,然后又吃一点儿就午睡•••。
如果他看到我,为了跟我玩儿就急冲冲地跑了过来。
但是他不知不觉地玩儿腻了,于是就跑走了。
我爱读的杂志是《猫的心情(ねこのきもち)》。这本杂志在某月出了猫钟的专集。
据那篇新闻说猫在体内有猫钟。
猫每天晒太阳。
他根据那时感觉的太阳来判断季节的转变,选择适合于他的掉毛时期等等。
从那以后每次我看到他晒太阳,我就想到太阳能电池的电板。


有人认为狗可以跟人会话,猫却不能跟人会话。
这样的想法也是完全错误的。
我父亲喜欢养狗,养的狗的确是会理解父亲的话。
父亲与他养的狗简直就像父子。
我离开父母家的时候,父亲强烈劝我养一条聪明的狗。
不过我怎么也不想养狗?
父亲老了,住进养老院,又建议我应该养狗,给了我一大笔钱。
我勉强收下了钱,到宠物商店有没有聪明的狗。
然而我偶然发现的猫对我特别亲近,于是我把他领了回来。
我对父亲说,在宠物商店里没有聪明的狗,然后我把钱还给父亲。
我因父亲扫兴得要命而告诉他说我领回了一只猫来。
父亲说,猫都不聪明,不能说话。
我撒谎说:“这只猫会跟我说话”
父亲听了这句话,就面带笑容。
因此我每次去医院看望父亲,我告诉他我和猫的会话。
我确信原来父亲不相信我的话,但是我至少不担心跟父亲说话了。
几年以后,父亲先去世了,然后父亲养的狗死了,然后跟我说话的猫也死了。
通过撒谎而联系起来的他们相继去世了,我把他们和有关他们的撒谎言一块儿埋在地下。
几年后,开头我说的猫到我家来了。
我总是不明白,谁、什么时候、以什么样的顺序死的。。。
肯定是我体内的钟不准了。
最近我经常每个周末想起过去的事来,我躺着午睡,猫就过来挨着我。
我醒过来时,猫睡着得简直像我一样的睡觉姿势。
这可真是我和猫钟的针完全重叠的瞬间。