中国語がわからないリスニング

週末は新幹線に乗って、しかるべき所で過ごさなければならなくなったのですが、知人がいないところで、人目を忍んで学習をする。という、我ながら、なんでそこまで?と呆れながらも、常にiPodとテキストは持ち歩きます。


そんなときにも「中国語がわかるリスニング」のテキストは、iPodより一回り大きくて、薄さは同じくらい。ポケットにも入ります。実際こんな小さな字で解説は全くなく、いくつかの単語に注釈がついているだけ。という体裁を、はたしてテキストと言えるのか、わかりません。が、人目を忍ぶ学習で、こそこそと4章まで読みました。
昔からの猫とネズミの話は、今まで読んできた定番の終わり方とは少し違って、お茶の話も、よくある中国語テキストで読んだことがある中国茶に関するどんな話よりも、かなり詳しく、また中国語に関する話や、中国を使った遊びの話では、まさしくわたしが苦手な「ang」と「an」の違いや有気音、無気音の話題や、歇後語のことなど。そう今使っているテキストで「説漢語」という中国のテキストがありますが、この内容を3倍くらい難しくした感じ。(倍の意味は不明)
それでも、何故か、このテキストが気に入ってしまいました。
と、その「何故か!」という部分とこのテキストのどこが、中国語検定4級レベルなのかと関係者にメールを出したいくらいの、「どこが!」を説明するために、一部勝手に文章を引用してみます。


有一户很大的农家,不知从那一天起,一只年轻的猫就开始住在家了。
这只猫手脚粗壮,一身黄色的虎班。
它在这户农家发现了很多猎物:
米仓就不用说了,在晒咸肉的小茅屋,在放酱油和酱菜坛子的房间,
在堆放着蔬菜的手推车附近,都有大群老鼠出没。
看到老鼠们窜来窜去,猫就禁不住扑上前去。
它抓了又抓,即使吃饱了肚子也不停手,还常把抓来的猎物放到它的主任---农夫能够看到的地方,向主任讨好。
主人见到猫抓来的老鼠,便不用得抿嘴一笑,对身旁的猫说,“好样儿的,你真是一只能干的猫,你就一直住在我家吧。””

この文章のどんなところが好きかというと、初心者向けテキストとしていながら、作者と編集の怠慢なのか、あるいは意図的なのか、初心者的な語彙に置きかえることができても、そうしないでいる様でしょうか。
また、まだわたしは、「不知从那一天起」と、既知の簡単な言葉の固まりですら、「いつのまにか」というような意味がすぐには把握できない、ところ。そう初見では、なかなか意味がおりてこないのですが、それでも各章を一回通読すると、全体の流れが把握できて、部分的には難しいと感じた用語も繰り返されるので、頭に入りやすくなります。
とはいえ、この本の売り?である、「聴き取りやすい」かというと、確かに話されるスピードはとてもゆっくりなのですが、なかなか音で理解をすることは難しいです。
最初は多読として使おうと思ったテキストなのですが、「テキストを見ずに、音だけを聴いて内容が完全に理解できる」ところまで、このテキストは使おうと思います。

と、「聴いて内容がわかる」と「読んで内容がわかる」の間には、男と女の間の河以上に深くて遠き距離のようなものを感じます。


また、あれだけ集中的に学習をした「漢語口語速成」ですが、内容をすっかり覚えてしまっているので、全体の流れは頭に入ってしまっていいるものの、今になって聞き返すと、意味を理解できない単語がぼろぼろ出てきます。
と、せっかくあんなにやったので、と、日曜日の夜は、また第一課から一通り、25課までCDと一緒に音読をしたりしました。
これがまた、一気に一冊のテキストを通読(CDに手伝ってもらうも)する快感も味わえました。
それは単なる一冊のテキストを読んだ。という達成感とは違って、一冊最初から最後まで読むという行為で、何かメッセージのようなものを受け取れた感覚がありました。


と、まだ殆ど開いてもいないのですが、ヤフオクで注文していた、北京大学で作成された中古の、300語水準、500語水準で書かれた中国の小説も大量に届いたので、これこそ、大量に読み進めたいです。


というわけで、簡単なテキストや簡単な用語で書かれた小説を、100冊くらいはとりあえず読んでみようではないかいプロジェクト。略して「中国語本を100冊読んでみる」を開始してみようと思いました。