青风〜Green Phoenix

中国の小説は、「青風」を読みました。これは中国の昔からある有名な怪談。という説明があって、期待をしてしまったのですが。ヘン。とても変!でした。
そもそも全く恐くないし。へんな描写と感じるところが多く、それはわたしの中国語理解力が劣るためだろうと思って、読み返しても、やはりヘンで理解できない描写が多いです。
はじめて知り合った女性に勧めた本を放り投げられ、さらに彼女の気を惹こうとして、彼女の足に自分の足を乗せた。って、何?そんなことをするのか?そして、声を出さないから、これは脈がある?みたいな箇所は、中国の習慣なのか?と不思議がり始めたのは、まだまだほんの入り口でした。
また最大の謎は、主人公が長く思い続けていた、女性(?)と、ようやく再開できて思いを遂げることが出来た後に、一緒に住むのではなくて、近くに住まわせた。というのも、全くわかりません。絵や書のことで語り合って二人は楽しく過ごした。。っていう決着が、それだけでいいのか!と、同じシリーズの別の小説で、合ったばかりの銀行員とお手伝いさんの二人を一緒に寝させてしまう。という記述からしても、倫理コードがあるとも思えないので、ここには全く納得できません!
特にこの「青風」は、有名な物語を抜粋したり書き換えているのか、説明があまりになさ過ぎると感じるところが多数ありました。しかし、中国語で読んでいながら、そんな文句を思えるくらいだから、やはり読んでよかった。。。と思いたいです。


今読んでいる、「妈妈和儿子」の設定もまた、「なんじゃそりゃ」的なのですが、これが500字シリーズでは、一番読みやすいです。
また、このシリーズは音源があるので、最初に黙読をしてから、本を見ないで録音を聴く。という語学学習としては緩い方法をやってみたのですが、やはり話が頭に入ってから聴くのは、容易に物語を追えてしまいます。
そこで、その逆を試してみたのですが、500字基準でも、聴き取れなくなる言葉が多いです。聴き取れてこそ、その単語を修得した。という定義から量ると、一体わたしの修得している単語は何字なのだろう?と、絶望的になりますが、「聴き取れない」ということをじっくり分析すると、
・物語の展開がわからないから推測できない。
・単語が簡単でも、その組合せを見たことがない还是記憶にない。
という問題だったりもします。


また逆にこれが、視覚をともなったテレビやドラマだと、知らない単語でもなんとなくわかった気がする。という現象にもなります。
あるいは、テレビでなくても始めて聞くCDでも、話の流れがわかると、ある程度は、その合間の語句や語法を推測することもできます。
ここらへんを強引に埋めていく、ひとつの手段として、やはり多読と多聴があるのではないか。という適当な推測のもと、急ぎ100冊を目指します。


しかし、こんなポツポツと呼んでいるのは、全く多読・多聴とは言えません。
100冊も、1年以内に読めば、少しは読んでいる。という感じになるような気がするので、一ヶ月に10冊近く読むペースを作りたいです。が、そのためには、そもそも易しい小説というのが、そんなには無いので、もう雑誌やテキストの通読で、量を積み上げたいものです。
願わくば100冊目には、外国語学習者向け小説や中国の子供向け教材でなく、当然日本人の中国語学習テキストでもなく、中国人による中国人のための本を読んでみたいものです。