聴き取れなくなるたくさんの原因の中のひとつ


「妈妈和儿子」を読み終わりました。正確には、最初にCDで聴いてから読みました。500文字水準であるので、基本的には単語も構文もやさしいのですが、所によって、全く意味がつかめなくなります。

文字を見れば、「ああ」と思ってしまうのですが、その原因をもう少し丁寧に考えてみました。
そもそも、中国語を聴き取る。というのはどういうことなのか。学習を始めた頃は、わたしにとっては、文字が最初にあったので、音から中国語の漢字をイメージして、それを頭の中に映し出す。もしくは、既読済みのテキストを想像する。という行為に近かったかもしれません。
それが次第に音は音として、なんとなくその中国語のまま解釈するようになったと思います。ただ、それも中国語学習という順序では、先にテキストで読んだものをCDで聴く。となると、完全ではなくとも、中国語の文字や意味が先にインプットされているので、比較的あとから本を閉じてのリスニングとなったとしても、どういう内容であったのかがイメージしやすくなります。
それが、全く予備知識がないところから、音を聞くだけで、意味を捉えることが難しくなってしまいます。
よく、中国語のリスニングが悪いのは、自分の発音が悪いから聴き取れない。という説明をされています。たしかに、その部分でji,qi,chi,zhi の区別が出来ない、間違えるということもあります。また、単語をまだ音として定着していないなど、単語の問題もあるのかもしれません。
ただ、この北京大学の小説シリーズでよく感じたのは、単語は聞き取れているのに、何故か意味がわからなくなる。という感覚がよくありました。そういう文が現れると、試験でもないのに、一方で聴き取れなかった部分を考えていて、一方で今流れる音を聞こうとして、次第に焦ってしまい、今の音を聞き取れるようになるのにも時間がかかってしまいます。


たとえば、今回読んだ「妈妈和儿子」では、
有一些东西,你有它的时候,可能不觉得好;可是没有了,才知道没有它不行。
ここの何処の意味が取れないかと言うと、「你有它的时候」あたりから、これはどういうことだろう?となり、もう前の「有一些东西」の関係がとれなくなり、続く「可能不觉得好」への繋がりも把握できなくなります。
文を読むと、「ta」が「它」とわかるのですが、それでもやはり、「你有它的时候」「才知道没有它不行」の、它の使い方がひっかかったのか、文の意味を追えなくなってしまいました。「,」で切れている文の関係。特に最初の2句の繋がりが即座に理解しないと、思考があたふたと迷ってしまい、後ろの単純な句でもある「可是没有了,才知道没有它不行。」の意味にもついて行けなくなってしまいます。
と、こういう、すぐには理解できなかった箇所すら、一人反省会を開いて、意識して頭に入りやすくさせないといけません。


この小説の内容自体は、またゲームで遊んでばかりいて怒られた子供が家でをする。しかも2年!というしょうもない話で。ただその2年はないだろう。と奇妙に思うまま、あまりに安易に終わってしまう物語は、今回もつっこみ所満載でした。


また、ここまで北京大学の中国語学習者初心者向け小説を5冊読んでみて、その内容は率直に言ってあまりにも酷いです。本来の小説にある読み終わったあと、どこか違うところへ連れて行ってもらえるような気持ちの変化を全く感じさせてくれない物でした。
いくら、語彙数を抑える制限があるにしろ。これは小説としてはありえない。と小説が好きな人であれば必ず憤りすら覚えてしまうような水準だと思います。
国語学習であれば、ここらへんの物語でいい。というような感覚があったのだろうか。と北京に向かって首を捻ってばかりの夏でした。