乐此不倦

「中国語の勉強も少しはした方がいい」というくらいがわたしの今の中国語のスタンスです。やはり試験のための勉強でも、勉強のための勉強とも違い、今はただ自然に楽しみながら中国語に接する量と質をあげられるような工夫をしています。
中国語の暗記にしても、誰に強制をされているわけでもなく、自分が暗記をしたい文章を一週間に一遍暗記しているだけです。
今、暗記をしている汪曾祺の文章に、この感覚に近い表現の箇所が幾つかあったので、思い出せるところを引用します。というか自分のために暗写です
「每日仔仔,手不释卷。
还是不疲倦的从事研究写作。
研究工作,在他是辛苦的劳动,但也是一种超级的享受。
他所以乐此不倦,我觉得,是因为他随时感受到语言和古文字的美。
一切科学,到了最后,都是美学」

この最後の一節は、とても好きです。それは科学だけでなくとも、何かを極めて、そこにたどり着く境地のようなものでしょうか。
とは別にこの文章の中で、本当に頭に入らず、すんなりと口から出せなかった言葉が「科学头脑和艺术家的气质」ですが、木曜日になってようやく口と脳に馴染んできました。


細切れ時間では、いろいろと勉強的なことをコツコツと重ねているのですが、楽しみながら時間を作り出しては、やろうとしていることの中心は、毎週一つの文書を暗記して、週末に中国人老師の前で流暢に披露すること。
また出来るだけ、ここでは暗唱で使った表現や、テキストに出てくる表現で会話をしています。最初は老師もこちらの水準に合わせて喋るのですが、次第に分からない言葉や表現が増えてくるので、わからないなりに聞き流すところもあったのですが、最近はよく会話をとめて、その意味を聞くことも多くなりました。それがまた恥ずかしいくらい基本的な言葉を聞き取れていないことに驚きます。


また作文も見てもらっているのですが、ここでは、テキストに出てくるような表現ではなく、わざと複雑な日本語らしい文を先に考えて、中国語にしたものを見てもらっています。
そこで大切なことは、「自分の言葉を作る」ことだと思っています。それは自分の文体。と言えるのかもしれません。
ただ、いかんせん語彙量が少ないので、辞書を使わないと、限られた言葉ばかり使うようになってしまいます。
たとえば、老師との会話で、自分でもこんな表現ばかり使っていると思うのが
「听说。我觉得。我不知道为什么。有机会。等等」とか、他にもあると思うのですが、同じパターンを使いがちです。そこで、前回の暗記文であった言い回し「一来二去我摸着,一些门到,这就是知识!多得些知识,一定不坏事」などを使うと、妙に喜ばれました。
本当に口語で使うのかよ。と思いながらも、こういう初級会話のテキストには出てこない会話を口にするのは、とても楽しいです。


楽しいといえば、やはり「家有儿女」のドラマが面白い。Lang-8で中国語の文章を書いて添削してもらっているのですが、これもまた面白すぎますが。またつづく。。
待续。。