記憶に向いていない脳

と、本当に暫く中国語暗記のことについてばかり書いています。
ここでわたしが考える中国語暗記とは、できうる限り長い記憶に残ることで、一週間かけて暗記した文章を、一度だけの暗唱の披露会に成功させることだけでもなく、暗記した文章については、何時でも何処の箇所からでもひっぱり出せるような、そんな暗記をしたいと考えています。「精深学英语」の影響です。
ただ、それはもはや中国語学習に必要なことというより、趣味の世界に近いのかもしれません。
まあとにかく、暗記をしようと試み続けて思うことは。。
本当は方法に拘らず、ただひたすら暗唱する。ただひたすら聴き取る。ただただひらすら筆写する。というのも、さらに膨大な回数と時間をかければいつかは可能なのかもしれませんが、わたしが今のところ、それなりの回数と時間をかけた実感は、そんな音読や聴き取りの回数を増やしていくと、わたしの脳は意識が飛んでしまうということです。
たとえば、たった2分程度の音読CDを聴いていても、最初は意識してよく意味を捉えられるのですが、そのテンションが続きません。次第に後半では違うことを考えていたり、聴いているのだけど言葉が頭に入らない状態になります。
これは、相当わたしの個人的な問題のような気がしますが、音楽を聴いても同じことになります。最初は歌詞を覚えようと意識するのですが、何故かいつのまにか、歌詞を聴けなくなってしまうのです。
そして、音読についても、「あなたはおかしい」と老師に言われたことがあるのですが、テキストで文字を追いながら、懸命に正しい発音を意識して音読をしていると(とはいえ、4声を正確にとか、有気音と無気音の明確な区別とか、ごくごく基本的なレベルです)、これまた次第に意味をとられないまま発音をしてしまうのです。それは、老師の前だけではなく、一人で音読をしていても同じです。しかも、音読は回数を多くしないと!と意識すると、なぜか回数をこなすのは苦にならないのですが、もはや次第に意味をとらえないまま発音をしている自分に気づきます。
これでは、さすがに音読やCDを聴く回数を増やしても、覚えられないわけです。
かなりの音楽好きであるはずのわたしなのですが、殆どの日本語の歌詞は何度聞いても頭に入らず覚えれらないことと同じように、やはりわたしの脳は、多くの欠陥があるようなのです。


それでも、こんな欠陥だらけのわたしの脳でも、ごくごく限られた音楽の歌詞だけが頭に入り込むことがある。ということも意識した上での中国語暗記の工夫を、きっといつか、書いてみたいです。