中国語がある週末

週末の老師とのレッスンというのは、曜日も時間もお互いの都合を連絡しあって決めるのですが、先週は土曜日の午後のレッスンでした。
また、わたしは、この「小橘灯」の暗唱に一週間使えるだけの気力を注いでいたのですが、レッスンでは寧ろ、ついでに暗唱の場がある程度です。メインは北京大学のテキスト「漢語中級口語教程」を使いはじめました。感覚的には、このテキストを使うのは1,2年早すぎるように思え、とにかく知らない単語の洪水となっているのですが、テキストの内容がかなり面白いです。
一週間の間、全くこちらのテキストの準備をしていなかったので、3時間ほどかけて、テキストの単語の意味やピンインを調べたり、音読をしました。このピンインを調べるという作業は、また中途半端に知っているという単語にまで及んで四声を確認などしているので、かなり時間がかかってしまうのが、ピンイン無しのテキストの辛いところでしょうか。
また、知らない単語や、単語としてそのままでは辞書に載っていない語句も結構あるので、その周辺を調べたり、また使い方が気になって例文検索をよく使うなど、辞書を使っている時間がとても長いです。
しかし、それが全く苦にならないのが、このテキストの内容が面白かったためかもしれません。今回は「左眼跳财,右眼跳唉」という俗語に関する話題でした。二人の会話のやりとりが、まさしく相声のように絶妙で、落ちも効いています。

レッスンは、老師が授業を組み立てているというのではなく、老師から具体的な説明がされるということはありません。なので、こちらが質問内容を決めておいて、授業全体を組み立てておくような準備も必要なので、辞書を使いながら、これを聞こうとか、これは調べたけど、聞いてみよう。などなど、老師とのレッスンを想定しては、ニコニコしながら準備をしました。
たとえば今回は、碰运气の使い方や、踏踏实实、老实巴交、拾金不昧の意味とか、瞎扯,胡说,废话,のニュアンスとかとか。

また、午後は2時間ほどかけて、じっくりと暗唱の確認をする予定でした。今回は冰心の「小橘灯」の前半部分の暗記だったのですが、その後半の続きが気になり、結局後半部分を辞書をひきひき読みだしてしまい、この文章の素晴らしさに圧倒されてしまいました。
わたしの高校時代に英語でオスカーワイルドの「幸福の王子」を読んだときの感覚をすっかり思い出させられました。
それは、英語の学習ではなく、ただ完璧な小説が何なのかを知った。という感覚であったのと同じように、中国語の学習をしているのではなく、中国語で書かれた完璧な文書を知った。という感覚でした。


老師によると、「中国の小学5年生あたりに学校で習った文章なのだから、特に複雑な構文や単語はないでしょ」とのことですが、もちろん、初学者にとっては、敷居の高い語句も多いのですが、とにかくわたしにとって、中国語を学習してきたのも、ここで冰心の文章を読めただけで、お釣りが出るくらいだと思えました。
北京大学も留学生向けの、奇妙で読んでいて苦になるような小説を出すくらいであれば、この冰心のような、中国の少年少女向けに書かれた文章を提供すればいいのに。と遙か海の向こうから視線をやりました。


また、肝心の背诵の結果については、何カ所か老師に助けてもらって、マアマアな感じで終わりました。次回はネイティブの早さで5分あまりの長さの音読ですが、なんとなく、出来てしまうような予感をもちつつ、週末の夜もまた、初級用のテキストの音読をしながらドーパミン的な何かを出し続けて過ごしました。というわけで、結局この土曜日は12時間くらい中国語に触れることができました。