「家有儿女」のレッスン


ここしばらく、「心に残る中国語」の暗唱にばかり力を入れていたので、「家有儿女」のネットでのレッスンを一回休みました。23日のレッスンが9日ぶりだったのですが、やはり、「好久不见」と言われてしまいました。
しかし、あのテキストが難しいとか易しいとか面白いとかつまらないとか日々書いている気がしますが、何はともあれ、わたしが持っている語学テキストとして一番難しくてかつ一番面白いテキストは、この「家有儿女」です。中国語テキスト散布図のグラフを作りたくなってしまいますが、特にこの難しさでもわたしにとっては、かなりのものです。
久々に前回の課に出てきた単語や成語を見ると、全く意味を忘れています。ただ、会話文として読んでいくと、ようやく記憶の堅い扉が開き始めるのですが、やはり難しいです。
このドラマ自体も児童向けで、同じ内容がアニメでもさらに幼児?向けで放送をされているらしいのですが、やはりこの成語パレードには驚きます。さらに、辞書には載っていない言い方などは、レッスンでようやく意味がとれる点も多いです。
そしてここでも、他の文章での使い方などを辞書で調べ始めると、かなり時間がかかってしまいます。また、レッスンではこの会話を音読するので、朧気な単語の四声を確認するという、いつまでも入門クラスの作業をしています。そこまで準備をして、さらに前回の練習問題をやってみる。と一回のレッスンの準備だけで、3時間程度かかってしまいます。
それだけ準備をしても、練習問題では、単語の使い方も間違えるし、四声の発音も間違いだらけです。
ちなみに、ネットでの中国語レッスンというのが、一般的にどういうものなのか、わからないのですが、わたしのこのテレビドラマを使ったレッスンは、音読につぐ音読。そして、ぼろぼろの音読が終わると、質問コーナーへ。おお、なるほど。と頷くことも多いのですが、「それはどうなのだろう」と思うところも議論をすると時間がもったいないので、あまりこだわらずに進みます。(わたしの人生のようですが)
時間があれば、今回の課での出来事についての、自分の意見を言ったりと、聊天儿になると、またぼろぼろで、本当に自分の言葉がないし、おまけに口頭でのやりとりになると、呆れるくらい文法の間違い、四声の間違いを指摘されます。


と、そこでようやく気づいたのですが、わたしは同じような間違いを何度もしている。文章の作り方でも、発音でもそうだし。この、「ああまた間違えてしまった」をレッスンの満足度と感じていたところもあったのかもしれません。
わたしが思う個人語学レッスンの最大の効果とは、自分の間違いの気づきであるとは思うのですが、これを修正していかなければ、進歩がないのでは!ということで、レッスン時の自分の発音を録音することにしました。指摘されたまちがい部分を繰り返して修正をしていこうと、あと一回のレッスンで「家有儿女1」がようやく終わるころにようやく気づきました。
しばらくは、このテキストで自習を繰り返し、そこそこ意味がとれるようになったら、「家有儿女2」へ進みたいと思います。果たして、2へ進める日が来るのだろうかしらね。と思いつつ。。