歩きながら中国語

今週末は天気が良かったので、今まではジョギングをしていたコースの途中までを歩きました。そして、歩きながら中国語のテキストを手に持って暗記の仕上げをしてみました。
運動をしながら、iPodで中国語を聞いて覚えよう、というのは経験的に全く効果がなかったことから、今回は音無しにしてみました。
テキストを一文読んで、次にテキストを見ないで暗唱というのを繰り返しました。天気がよく気持ちがよかったせいか、気持ち効果があったような気がします。
いかんせん、本文が長かったのですが、冰心の文体の特徴なども感じながら、そこそこな暗唱が老師の前でもできました。
老師の話によると、この「小橘灯」を読んだ後に、真似をしようと大きなミカンに蝋燭を入れようとしたが、上手くできなかったとのこと。ミカンを切って合わせる方法が間違えているのではないかと、どうでもいいところで日本語での議論になってしまいました。
わたしが日本語で話してしまうと、老師も日本語になってしまいます。とはいえ、話したいことを何でも中国語で話せるわけではないので、聊天儿にしても事前にある程度準備をして、成り行きでわからない中国語の表現を聞いたりしています。


また、ふとしたことで老師の前で漢字を書くことになったところ、基本的な漢字をいくつも思い出せないという体たらくでした。本当に中国語を手書きで書く、という習慣が無いに等しかったので、ふと301句の日本語を読んで中国語を書いてみようとしたところ、あまりにも基本的な漢字が書けない自分にびっくら驚きました。
そもそも、日本語の漢字ですら心許なくなっているのに、全く書いていない中国語の漢字がかけるはずがない!ということで、冬休みは(とすぐにとりかからないところが悲しい性ですが)「汉语会话301句」や「说汉语」など中国の会話文テキストを使うか、あるいは日本の作文用テキストを一冊徹底的にやってみようと思います。こんな風に、中国語を集中的にまとめてやりましょうと予定をたてるだけで、特にクリスマスも正月もないわたしの生活に潤いができるっていうもんです。


約三ヶ月をかけて、いちおう「家有儿女」のテキストが終わりました。とはいえ、たった4話なのにまだまだ内容は全く消化出来ていないので、これからも読み直したり見直したり聴き直したりを繰り返します。
暗記文は、今週は魯迅の藤野先生の1/4です。昔、日本語で読んだことがある魯迅の小説は、実はあまりピンとこなかったのですが、今回もひととおり最後まで読んでみたのですが、文章には、今までの作家のような特別な美を感じることはありませんでした。
この淡々とした文章を暗記するのかあ。と生意気心すら出てしまいましたが、もう少し世界の文豪でもある魯迅の文章を噛み砕いてみたいと思います。