「英語は絶対、勉強するな」的休息

わたしの適当な記憶では、たしか「英語は絶対、勉強するな」には、必ず英語学習を一週間の一日は休め。みたいなことが書かれてあって、著者はアメリカの研究でも実証されている。という説明をしていたように思うのだけど、わたしは全くその理由がわからなかったというか、まあそんなことに対して拘らなかったのだけど。それはどういう理屈だったのか。そして、脳科学的に語学学習は位置に休んだ方が脳で構成されるというのは本当なのだろうか。


と、今さら思うのは、語学練習は運動訓練と、とても共通していると実感することが多く、トレーニングも体を壊すくらいの練習をして、また休養を加えた方が細胞が強く再生される。というような理屈があって、これは理屈ではなく自分でも実感をしていました。


と書くのは、もしかして中国語を始めた今年から、殆ど記憶にないくらい、今週は殆ど中国語に触れられませんでした。
が、また決めたことなのでと、王维の「渭城区」は瞬間暗記をしました。この詩の男性朗読者の極端な強弱のつけ方は、細かな点まで真似をして音読をしてみました。

会社の人で、中国語学習を開始して、2年弱で中国語検定の2級と準1級を受けた。という若者と中国語の話が出来て楽しく、いろいろ同感することも多かったです。自己採点だと2級は受かって準一級は微妙なのだとか。また同時に、彼の気楽な姿勢で語学を上達させていく点が興味深かったです。

私の理想も、負荷をかけずに、いつのまにか中国語が上達しているという長距離のLSD的な語学トレーニングは、やはり多読だろうと思います。
彼が中国語学習1年後あたりから、ドラマと中国語の小説をネットで見まくり読みまくっていたら、「いつのまにか」単語がわかるようになったという話はそんなことがあるのかしらん。と思うも確かにわたしの適当な英語力も英語のペーパーバックを読んでいるだけで、単語が自然にわかるようになったような気がするので、その「いつのまにやら」作戦をもう少し確実に実現させていきたいものです。
わたしの今週の中国語休みは、ただの時間が無かったというだけなのですが、とりあえず、ようやくの週末にたどり着きました。