中国の小学生

今週の流れが続いてしまったように、机に座ってもなかなか集中できない土曜日でした。
レッスンでも、日本語での会話が進んでしまいました。老師が魯迅マニアでもあることから、その生い立ちから死にまつわる謎や他の著作のことまで教えていただき、いろいろと興味はもてたものの、今原文で魯迅の著作を読むのは厳しいです。
藤野先生と中級テキストの音読。テキストは美好的回忆という文の中で、そんな恰好いいやつはいないだろうよ。という人が出てくるのが可笑しいです。
道で怪我をしていたところを通りかかった人に助けて、病院と宿舎まで送ってくれた人にお礼を渡そうとすると、こう言われます。
他摇了摇了头,一脸真诚地说“我们俩在路上相遇,这是缘份。你给我钱没劲了。祝你早日恢复健康,回头见!”
老師も、これは中国人らしい文章とのこと。まあ、たしかに。。
テキストにも魯迅の両方とも、多くの方向補語が出てきます。これら方向補語の派生的使用法たちを自分で適切に使える日が、果たして訪れてくれるのか全く見当がつきません。


漢詩は杜牧の赤壁。杜牧という人のことを初めて知りました。


中国の小学生向けの物語や教科書も読みました。「心に残る中国語」のいくつかの文章は小学生の教科書に載っている。という話から、そういう文章があるのかという期待は全く叶えられなかったのですが、それでも当然手ごたえのある中国語と、中国の教科書が何を学ばせようとしているのかの一部がわかって面白かったです。
そういえば、自分でも未だに小学生のときに触れた物語や音楽のいくつかはしっかり覚えています。斯様に、子供時代をどう過ごしたかが、今に与えている影響の大きさを自ら思い知ら去られる日でありました。