中国語版「風の歌を聴け」の読み方

中国語で書かれた小説を中国語レッスンでお願いをしようと、かなり準備もして臨んだですが、やはりレッスンで小説を読むのは難しい。。というか、レッスンで中国語になった日本語小説を読み進めることに対して得ることが余り無いような気がしたので、小説を読むのは一人で進めることにしました。


小説を読むレッスンということで、普通のテキストより、語彙や文型の説明をかなりあっさりとしたものとしてもらったのですが、やはり一時間のレッスンで進めたのは小説の1/60くらいでした。これでは、一週間に一回のレッスンでも、一年かかってしまいます。と、別にそれが必要であればいいのですが、結局は自分でひたすら辞書をひきながら2週間程度で終わらせてしまった方が、小説の読み方としては正しい気がしました。
レッスンで小説を読む準備は、とにかくわからない単語を音読するためには、ピンインと声調がわからないといけないので、全てピンインを振りました。勿論全ての単語を調べる時間がないので、ネットにある中国語文章をツールを使って全てピンインのルビを振ってから、印刷をしました。
見やすさに多少凝ってしまうと、結構こんなことでも時間がかかります。
何かマクロを使って自動化できるんじゃ?と呟きながらも「風の歌を聴け」のピンインつき全中国語文を印刷しました。
この小説については、強い思いがあるのですが、それはまた、再说吧。
中国で出版された翻訳本も持っているのですが、この印刷をしたピンインつきの紙にぐちゃぐちゃと書き込みをして、この1月中には読み終わらせたいところです。


本来なら、知らない漢字や成語も拘らずに1日で読み飛ばしても、と思ったのですが、読み飛ばすとかいう以前に、知らない単語だらけです。寧ろ知っている単語の方が少ないくらいなのですが、「せっかくなので」と丁寧に辞書を引きまくりって1/20を読み終わったところの感想は、とにかく成語が多い。
それが翻訳者にとっての村上春樹的表現の中国語化であったのかもしれませんが。この感覚が適切なのかは、想像すらできません。もとより、ひとつの小説の中で成語の使われ方を知らないので、この2,3行に一回出てくる成語という数も驚くことではないのかもしれません。
今、同時に電車の中で、中国の児童向け読み物を読んでいるのですが、こちらも児童向けといいつつ、成語が多いです。



また、初期村上春樹の特徴的なアメリカ翻訳小説的なあの文体をどう中国語で処理されているのかも興味があったのですが、わたしの中国語力が無いせいなのか、特に文体にスタイルと感じられるものはありませんでした。
風の歌を聴け」では、最も特徴的なカート・ヴォネガットの「so it goes:そういうものだ」についても、今読んだ限りにおいては、特にここがきちんと訳されているわけではありませんでした。
ただ、これだけ辞書を引きながら読んでいるのに、不思議に辞書を引くことが苦にならないので、できるだけ一気に読み進めてしまいたいです。

しかし、小心者のわたしはネットでのレッスンを中断してしまうのも、老師に申し訳ないような気がして、老子には口語のテキストを猛スピードで進めましょう、とも相談をしたのですが。。


ここにこんな文章を書いているうちに、やはりわたしが中国語を読んで、老子から小説の内容についての質問を受けて、わたしが中国語で説明する。という進め方ならば、もう少し早く、深くレッスンができるのかもしれない。と思ったりもしてきました。
そんな風にレッスンを進めてみようかしら。。
「行動が思想を決定する、逆は不可。そういうものだ。」