圣诞节快乐!


昨日は中国語に触れていた時間はレッスンの1.5時間を入れて、10時間でした。
しかし、いつになく中身が薄かったというか、「やった感」を得られませんでした。本当に子供のように、何時から何時まで何をどうする。という時間割りがわたしには必要なのかもしれません。


レッスンの前にはテキストの予習だけでなく、圣诞节について話そうという気合いがあったので、いつになく聊天儿の時間が長く、クリスマスについて、家族へのプレゼントについて、子供の塾について。。あれ、もしかして塾の話は日本語になっていたのかも?そうでもないか?と、ここらへんからして記憶が不確かです。また、魯迅の暗記は準備できていなかったのですが、では藤野先生を最初から読みましょう。というあたりから、あれだけ音読したはずの文章も今週一度も読まなかったというだけで、もうぼろぼろな音読でした。
そして、テキストの音読も準備はしていたのですが、やはりいつになく音読の準備が足りなかったからか、酷い出来でした。
音読の良し悪しは、結局は文章を発音や四声だけでなく、文法的な事柄や各文章の意味や全体の背景まで、きちんと身に入っていないと、ただただ、次第に漢字の音だけを拾う音読になって、そこすら乱れてきてしまいます。


今回のテキストの文章で印象的だったのは、「相」の使い方です。辞書の説明をそのまま引用してしまうと「一方が他方に働きかける行為や態度を表す.主として単音節動詞を修飾する.」という使い方があるのを知りませんでした。
あと、わたしは実は三国志は子供の頃に読んだことはあるのですが、中国の戦国的な時代の文章は結構苦手です。


村上春樹の翻訳は、「羊男的圣诞节」を先に読むことにしました。手元にあるのは林少华の翻訳本なのですが、ネットには彼の翻訳ではない文章があったので、それで読み進めているのですが、意外に読み進められるので、あと数日で読み終わりそうです。
やはり林少华の文章に比べて読みやすい=知っている漢字が多い。という歴然とした差があるのですが、後で全く違う中国語を読み比べてみるのも面白そうです。


そして、今日は雑用が多くあまり時間がとれないかもしれませんが、もう少し中身を濃くして、雑用をしている時も、中国語で考える。という練習をしたいです。
そういえば、久々に書店で中国語のテキスト「中国語で手帳をつけてみる」をタイトルに惹かれて何も考えずに買ってしまったのですが、本の中身は殆ど単語の羅列だけでした。いったいどうやって、この本を使うのか、全くわかりませんでした。
しかし、日記のように毎日少しずつでも、自分の考えの中で自然に中国語を使う時間を増やしてみようと思ったりもした26日の朝でした。