ウチハソバヤジャナイ

わたしの好きな笑い話で、間違い電話がかかると、「家は蕎麦屋じゃありません」と答えているうちに、あまりに間違い電話が多いので、本当にそばを作って出前をして、それがあまりに評判が良いので、蕎麦屋として営業してしまい、またその蕎麦屋が大成功して。。。という話しがあります。このバージョンは、アメリカ映画(ウディ・アレン?)でも、イタリア映画(黄金の七人?)でも類似パターンがあるので、誰でも思いついて、誰もが面白がる話だと思うのですが、思うに、わたしが中国語を始めたきっかけの一つも、こういう面が多分にあります。
しこうして、きっかけにその一面があったというだけでなく、今でも「いったいわたしは何やっているのだろう」と思うことが多分にあります。


ネットの老師と話していて、中国語はテキストより映画やドラマで覚えて方がいいよ。という話になり、じゃあ、何がいいですか?と言って、いろいろ教えて貰ったのですが、「どの子供も夢中に慣れれるドラマがいい。アニメではなくて」と注文の多いことを言うと、「金庸のドラマは、中国人の子供はみんな夢中になったヨ」ということになって、「射雕英雄伝」を勧められたのです。
で、実際に見てみると、字幕があるのですが、当然のようにわかりません。が、無理をしてわたしのあらゆる五感を総動員して見ていると、なんとなく話はわかってくるから恐ろしいです。もはやこれは中国語学習とは違う、雰囲気で物語を推測するゲーム?かのようです。
全巻を見るにはあまりに長く、このまま続けるのはあまりに不毛なのでは?という正論が心から沸き起こり、いっそ本を読んでみよう。と、もちろん翻訳された金庸の小説「射雕英雄伝」を読みました。わたしの祖母の遺言で、小説はどんなに長くても一日で読め。というのがあり、これも一日で読もうと、平日に休みをとって、たまに江南紅豆先生指定の発音練習もしながら、読んだのですが。。


やはり歳を取るということは残酷なことで、たかだか5巻の文庫本ですが、疲れました。登場人物が多すぎ、また、多くの因縁で結びついているらしい、この人物達の名前と関係を覚えられないまま、それはないだろう的な事件を読み飛ばしていくうちに、2巻目あたりから、その場、その場で起きていることを面白がれることはできます。が、やはり、この次から次に出てくる登場人物達が把握できない状態が、最後まで続きました。


大陸的で、伝統的な中国ドラマツルギーに少しだけ思いを馳せつつ、また別のネットの老師が教えてくれたのが、「北京故事 蓝宇( 藍宇ランユー)」でした 。こちらは古本を苦労して取り寄せ、一気に読めました。そして、想像を越えた熱くて美しい物語でした。「射雕英雄伝」好きな人たちは、ネットでもみかけますが、この藍宇(ランユー)の 北京故事 も、熱く語っている人たちが多いですね。Amazonの書評も素敵ですが、わたしも末席に入っているはずのある種の人たちにとっては、自分の何かを強く捕まれてしまう物語です。
で、映画もまた良いと知ると見ないわけにいきません。で、画面を抱えるように見てしまいました。もちろん日本語をガン見です。こんな映画が公開されたことを全く知りませんでした。ちなみにDVDの方は「藍宇 〜情熱の嵐〜」というタイトルで入手しやすいです。
この系統では、中国映画(?)では、王家衛のブエノス・アイレスがそうですが、現代中国社会にとっての、ゲイ小説、ゲイ映画はどうなっているのだろうか!という興味で、日夜検索を繰り返しては、「あれ、何をやっているのだろう」と、ようやく思い始めた3月3日の午前6時頃の話です。


と、わたしはいつも「万全な予習をするタイプです」という成語の例文のために、これだけの文字量を使ってしまいました。という今回の記事です。
我是笨手笨脚,因此我还得笨鸟先飞。