漢詩入門

漢詩については、中国語を始めた頃から音読をしたりしていましたが、今は、聴く中国語の別冊「聴く唐詩三十首」を毎日、その日の日付番号の漢詩を読んでいます。
以前にもアルクの「声に出して覚えたい!中国語で詠む漢詩・25首」やNHKの漢詩についての本を使って音読をしていました。が、実際の所、そんなに漢詩が好きなのかというと、そういうことは無く、なんとなく読んでいたにすぎませんでした。
そもそも、わたしは漢詩のことを知らなさすぎるのでは。と、岩波ジュニア新書の「漢詩入門」を読みました。入門なのに、ジュニアのくせに、本の内容は特に易しいということもなかったのですが、古詩から日本人の漢詩までの解釈や、漢詩の法則を系統だって学べました。
ただ、この入門の書を読んだからといって、漢詩を読んでさらに感動できるようになった、というわけでは全くありません。日本の現代詩や現代の短歌には「ある、ある」と感じられる共有感が無いからか、あるいは自然観、歴史観のような物が自分には決定的に欠けているのかもしれません。


週末は個人レッスンがあって、レッスンを録音し出して3回目くらいだったのですが、ようやくレッスンの録音を聴いてみました。
再生をしてみると、老師の声が直接聞いているよりも遙かに甲高く聞こえ、またより中国語らしく聞こえます。さらに、あたかも会話が完全に成り立っているかのように、ところどころ聞こえる自分の声を聞くのも、嬉し恥ずかしで、楽しかったです。
どうしてこれが聞き取れなかったのかとか、会話中に教えて貰う単語も、再生して始めて辞書をひいては復習ができました。
テキストのレッスンでは、朗読のCD音があるので、いつもわたしがテキストをひたすら音読をし、老師がチェックするだけになります。テキストの中に漢詩もあるのですが、この部分には録音が無いし、せっかく録音機があるので、とはじめて老師に詩を音読して貰いました。
今回は、毛沢東の詩でした。老師が言うには毛沢東は政治家としては失敗したけど、文人としては素晴らしいとか、でもスピーチは訛りがひどかった。などなどと説明をしてから読んで貰い、そのあとにわたしもできるだけ真似た調子で詩を読みました。
と、今まで何度か繰り返してきた光景なのですが、はじめて録音された老師の漢詩の朗読を聞いて、素直に音の響きに美しさを感じられました。それは、「老師の朗読に」ではなく、漢詩の表現を使った、「中国語の響きに」はじめて美しいと感じられた瞬間でした。


今さら、という感覚かもしれませんが、ようやく中国語の響きの美しさに気づき、また、中国人も意味がわからない子供のときから、漢詩を暗記させられるのだ。という、「意味がわからなくても」という言葉だけに励まされ、漢詩の朗読を嗜める耳を作り、また自分で漢詩を美しく朗読するという点にも拘ってみようカシラと思った次第です。
また、いろいろな人が語学は自分の発音を繰り返し聞くと良い、と言っていますが、ようやくその事に気づかされました。江南紅豆先生への録音音源や、SKYPEでのやりとりも保存版としておき、定点観測をしてみます。