わたしの人生はわたしだけのもの

アメリカの9.11の事件のときも、地下鉄サリン事件のときも、わたしはひどくつまらない場所で、圧倒的にくだらない事をしながら、呆然とテレビを見ていました。
それは大変な事が起きているということと、今の自分をとりまいている、だらだらとした日常とのギャップに呆れながら、そのだらだらさを何も脱することができずに、また、うだうだとした日常を繰り返すしかありませんでした。


あれからたくさんの水が流れ、東北で起きている事件については、今までわたしが目撃したどんな事件とも全く違うことだけは、はっきりわかります。
ただ、あまりに多い死者の数は、うまく想像することすらできません。数百体の死体が岸に打ち上げられているという場面を想像することが出来ません。数十万人の人が避難所生活を送っていることも想像できません。原子力発電所では、同時に複雑で多くの危険なプロジェクトが進行中であることも、上手く想像できていません。


それほど遠くはない東京で働きながら、時々関係者の誰かが亡くなったとか、どこのシステムが回復できない。という連絡を受けても、まだきちんとわたしの想像力は現実に追いつけていません。

以前から、漠然としていた感覚の、「わたしの人生はこんな感じでおわってしまう」という焦りのようなものがありました。今はもう少し積極的に、自分の人生が遠からず終わることに慣れることが出来たような気がします。「わたしの人生はわたしだけのもの」なのだから。


いつのまにか今のわたしの現実の大部分を占めるのが、猫と中国語になっていました。それから、地震のあと、どうなったかというと、更に猫と中国語に没頭するようになりました。
猫のことはまたあとにして、ここ数日の中国語は、時間だけはかなりかけました。
発音は、基本の母音や四声の繰り返し。
テキストの「日記で学ぶ中国語日常表現」、「中国語できょうのできごと」は、日記の書き方を説明するテキストという形をとりながらも、これを読んだからといって中国語の日記が書けるわけでは全くありません。ただ、「日記で学ぶ中国語日常表現」は、基本的な単語、用語がよくまとめられてとても良いテキストでした。これは本当はさっと読んで終わりにしたかったのですが、2月中ずっと読んでいたかもしれません。また、「中国語できょうのできごと」は、あまりにファンシーな表紙と中身に騙されるところでした。こちらの表現は、かなり高度で、知らない語法もかなりあり、そもそもこんな女子表現はわたしは必要ありませんから!と、本を投げ出したくなりましたが、著者が中国語学校で教えていた日本人学習者の作文添削がかなり載っていて、それもためになりました。しかし、一番はyeyeさんの声を堪能できるところでしょうか。このテキストは去年の夏ころから、だらだら読んでいました。
説漢語の上と下は、去年のかなり早い時期から使い、表紙も中もかなりぼろぼろになっています。初級漢語口語2は、去年の9月頃から使い、こちらもよく書き込みをしました。それでも、これらを19日から一日一冊最初から最後まで音読をしました。
「続中国笑話謎語50選」は、今年の1月に「中国笑話謎語50選」を読んで、想像以上に内容の面白さと、中国語学習のツボ的な両側面を満足させてくれたので、またわくわくしながら読みました。そして、わたしが知っている限りの中国語の読み物テキストの中では、この「中国笑話謎語50選」と「続中国笑話謎語50選」の2冊は最高なのかもしれません。中国語をはじめて半年か1年くらいの人であれば、単語の注釈だけで辞書をひかずに読めますし、それでいて、次の頁をめくりたくなる話で作られています。


また、今日の朝から読み出した(聴きだした?)「ミンミン父との旅路」は、これこそわたしが読みたかった中国の道が自転車であふれていた時代の匂いがする物語でした。
大げさな翻訳と感情過多なナレーションと、妙にリアルな子役の声で朝から、すでにぼろぼろのわたしの心のどこかを掴まれてしまいました。
できれば、今日か明日には読み終わらせてしまいたいです。


中国朋友们,这广播剧是《火车在黎明时到达》。1987上海广播电台播送了。我觉得地道的广播剧。