発音が一番簡単

昨日は中国語学校の一日だけの無料発音講座へ行きました。
普段そちらの中国語学校で大勢の方を教えられている日本人講師の発音講座とのことでしたが、やはり新たに気づかされることがたくさんありました。
たとえば、たいていの日本人中国語学習者が間違えているという「我」「有」「家」は、わたしも普通に間違えていました。無理にひらがなで書くと「ぅをお」「よう」「じゃあ」(かなり無理)に近く、無理にひらがなで書く「うお」「いおう」「じいあ」(やはり書けないけど!)ではありませんでした。前から、江南紅豆先生に指摘されていた介音の問題でもあるのですが、さらにピンインの消える母音や表記変化につられて、母音を消えたままにしていたり、変化したままのローマ字読みに近い発音をしていました。
「Wǒ」、「 yǒu」をそのままローマ字的に読むのではなく、本来のピンインuo」「iou」らしさを意識しないと、日本人訛りの中国語に聞こえるとのことでした。他にもいろいろあるのですが、ちょっと省略。


江南紅豆先生に教わっても感じていることですが、やはり日本人で中国語を長く教えている方からのアドバイスは、日本人はこういう間違いが多いという指摘が適切で、またどのように修正をすべきという説明も頷きっぱなしでした。
以前テキストの件でアドバイスをいただいた Morimichaさんも発音を日本人の方から教わっている説明をここで書かれています
http://morimicha.exblog.jp/14448315/#14448315_1
わたしも以前、ネットで、日本人の先生に発音を見ていただいたこともあるのですが、やはり情熱的な方であったので、徹底的に細かな点まで指摘をしていただけました。
そして、わたし固有の発音や四声の間違える特性を気づかせてもらったのも、発音修正に役立ちました。
先生に教わる一番の意義は自分の間違いを気づかせてくれることだと思います。それをどう修正した方がいいかをアドバイスいただけるのもまた、教師から得られる点であるとは思いますが、実際のところ、そこをきちんと修正できるかどうかは自分自身の工夫と継続力があってこそだとも思います。
昨年は著名な中国人先生の発音講座を受けたり、近くに住むネイティブの方からも発音を中心にレッスンを受けました。それぞれについて、100回くらいの連載で書きたいくらいなのですが、これまた別の機会で。
ただ、適切に間違いを指摘して、日本人としてどこまで、どのように修正をすればいいのかを考えていただけるのは、日本人の先生だからこそであったと思います。
特に初心者の方で、発音をきちんと習いたい方でしたら、発音や四声の問題は、かなり個人特有の問題であるので、日本人と中国人の特徴をよく理解して経験豊富な(どちらの国の人でも)先生にマンツーマンで教えてもらえるのが一番だとは思います。
とはいえとはいえ、そんな時間もお金も余裕がない社会人にとっては、中国語学校での日本人の先生にきちんと発音を教わるというのも、効果があると思います。
ただ、やはり決められた時間を作って学校へ行くことが難しく、一般論ではない自分固有の発音修正を頼みたい!となると、今はスカイプを使ったネイティブの先生から教えて貰うという選択肢になるのですが、SKYPEを使った「中国語の教わり方」というのも、またまた奥深いものがあるので、これもまたまた別の機会で。


と、ここまで本筋とあまり関係がない長い前置きでした。
で、昨日の先生の説明でわたしが一番強く頷いたのは、言語は「発音」「語彙」「文法」という三要素にわかれているけど、このうち最もネイティブに近づけるのは「発音」であるという説明でした。
わたしも最初の頃は、中国語は発音が一番難しいです、特に四声が難しいです。越学越难ですう。と判を押したようなことを言っていたのですが、ネイティブの領域に一番近づけられるのは、毎日増加し続ける語彙でも例外ばかりの文法でもなく、「発音」だと思います。
特に「何をどう話すか」ではなく、ただ母音と子音とさらに中国語的なイントネーション要素を加えたとしても、決まった言葉を正確に発音するというのは、「あるべき姿」が、まだ把握可能な領域だと思います。
最初は、中国語を読む、書くという分野こそ、日本人にとってそう難しくないのでは。と思っていたのですが、中国人のために書かれた小説を中国人のような理解度と早さで読むのは、とても難易度が高いのですが、さらに中国人のような文章を書くというのは、修正してもらうほどにその到達点が見えなくなるくらい難易度が高いです。
多くのネイティブの先生が言うのは、日本の辞書の例文には不適切な表現が多い。ということです。また発音講座で教わったネイティブの先生は、さらに日本の中国語教科書の課文自体に不自然な言葉が多い。ということでした。と言いながらも教科書制作に関わるほどに、入門者、初心者用の語彙や文法内で文章を作るなら、不自然でも仕方がないのだ。という不自然中国語作成側に回ってしまった、ということでした。
中国語の文章を作るときに、添削をされて説明で困るのは、やはり「文法として間違いではないけど、こういう文章はとても不自然。」という指摘です。
そして、それを修正していく道は、とにかく間違える度に確実に修正をしていくことと、それ以上にインプット量を大幅に増やすことしか無いように思います。
インプットを増やし、また繰り返し復習をすることと、さらに素振りのような基礎的な基本発音も繰り返す。というのがわたしの2011年中国語練習の全てかもしれません。何十年も通訳をされている方が毎日母音の確認をしているというのに、どうして初心者がそこを怠ることが出来ましょう。(反語の基本型)
少し前は、中国語に関しては、発音や語彙もここらへんでいいのでは。とか、会話や作文も相手に伝われる水準でいいのでは。と考えていたのですが、「ここらへんまでで」と、そんな「ここら」すら分かっていない水準の初心者が勝手に到達すべき点の制限を作ってしまうと、いつまでも正確さを求める力が小さくなっていくような気が強くします。
また、わたしには中国へ行って現地の方達と会話をしたいという欲は『全く』ないのですが、それでも、もう少し発音「にも」何処かへ近づこうという強い意思を持って接しなくちゃあ!と、赤坂の坂道を下りながら誓ったのでした。


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