四声についてわたしも知らないいくつかのこと

四声の問題は、個々の問題なのかもしれませんが、やはり発音と同じように日本人に苦手な四声の標準モデルのようなものや、その修正方法なるものが、もしかしたらあるのではないかしらん?とも思っています。
まずここで、「四声が苦手」の意味を、「文章中に出てくる中国語を読むときに、四声記号がついていて、本人はその通りに読んでいるつもりなのに、その通りの四声を発音できていない(と言われる((自分ではわからないし))」とさせていただきます。
また、自分の考えの「四声が苦手な三つの理由」を説明する前に、この分析に少しでも薄い箔をつけるために、今月行った中国語学校の発音授業の話を引用します。
こちらの中国語学校の先生からは、特徴的な発音の注意点の説明をエッセンスのように説明していただく無料レッスンだったのですが、その中にも、四声についての注意がひとつだけありました。(多少記憶が不確かですが)
日本人が間違えやすい四声のひとつで、3声2声(たぶん)の組合せがあります。ということで、その理由として、3声(半3声)を発音しているうちに、2声の矢印を見ると、3声をさげきらないうちに、2声の上げかたと一緒に後ろをあげてしまう。
という説明と、またこの「半3声+2声」の組合せを持った日本語の単語が殆ど無いない。というような説明だったかと思います。
この説明も、「次の音に影響」と「日本語の影響」にも少し触れているかと思います。


以前からわたしが感じていた「次の音の影響」というのは、たとえば4声のあとが1声だったり2声だとすると、4声を完全に下げきらないで、次の1声、2声の準備をしてしまうことがあります。
また、語気助詞の前の4声のときも、下げきらなくなることがあります。
また、「2声1声」、「1声2声」でも、かなり怪しい音になってしまいます。


また、「連続した音が出せない」と「日本語の影響」を一緒に説明すると、おそらく日本語には、あまり連続した音階をつなげる言葉というのが少ないのではないでしょうか。
それで、どうしても同じ四声が続くと、知らずにどこかが崩れてしまいます。
たとえば、「教室」という単語は、最初に習うときは、「ああ、4声と4声ねえ」と納得し、そこで4声4声を再現することはそれなりに出来るかもしれませんし、初めて出てきた課文の中でも、運がよければ、きれいな「教(Jiào)室(shì) 」を発音できるかもしれません。しかし、何もかも忘れた頃に、この「教(Jiào)室(shì)」を読むと、なぜかピンインを眺めてはいても、 室(Shì) が下がらなくなるのです。さらに、倶楽部の連続4声にいたっては、最初に発音するときに「だめ!言いづらい!」と感じた人は四声音痴の可能性がありますよ。
そして、また言いづらかったことすら、忘れた頃に、「倶楽部」を見かけると、やはり、4,4,4「俱(Jù)乐(lè)部(bù)」の連続四声の、おそらく真ん中、楽あたりが、軽声っぽかったり1声っぽくなってしまうのです。


連続した音が出せない。というのは、練習すれば、なんとなく自分の脳に気持ち悪さを堪えてもらいつつ、それなりに克服することができます。
しかし、日本語に影響される。という問題は、おそらくずっと引きずってしまうかもしれません。
やはり、文章を読みながら意味をとろうとすると、そこの脳の働きも日本語的なニュアンスに影響されてしまいます。それは単語レベルでもそうだし、文章全体をとっても日本語的な語感として、そこに日本語的なイントネーションを入れてしまうような気がします。


以前どこかで、初級のテキストは漢字を一切辞めてピンインだけにした。という文章を読んだことがありますが、おそらくそれは、こういった日本語的な読み方を防ぐ意味もあったのではないかと思います。
ピンインだけを読んでみると、そこからは確かに日本語の影響を少なくさせることができると思います。ただ、悲しいかな、すでに1年以上中国語を学んでしまったわたしはピンインだけを読むと、読みづらい→漢字を連想→少し落ち着く。みたいな現象になっています。


ぜひぜひ皆さんも機会がありましたら、音痴と四声の関係。汉字と日本語の音の影響などを調査していただくと、興味有る結果に辿り着くかもしれませんし、あるいは何の関連性もないことが判明できるかもしれません。
ただ、「自分の四声には何の問題がないですから」と鼻の穴を広げているあなたこそ!ぜひ四声チェックを音感に敏感なネイティブの方にチェックしてみてください。
とはいうものの、よくネイティブの方に「辞書の四声は○声だけど、実際は違う」と言われることもよくあり、もう何が何だか。。