自由会話って何?

初心者のレッスンで、自由会話をしようと言わると、そもそも中国の方との会話をしたことがない人は、みんな困るのではないでしょうか。
わたしも、毎日のようにSKYPEでレッスンをしていたとき、この自由会話が苦手でした。そもそも、日本人とも会話をしたくないのだから、会話が目的でないのだし、語学の習得で会話をしなくてもいいんじゃ?などと本心で思っていることも言えず、テキストのレッスンの前に、無口なわたしに無理に、「今週の仕事はどうですか?」とか「嵐では誰がすきですか?」というような、更に関心の欠片さえ無いような話題を振られて、困ってばかりでした。
それが、日本人の恋人をたくさん抱える老師から、その言語を伝えなければいけない状態でこそ、人は語学を習得する。みたいな概念を教わり、語学取得の練習手段としての中国語会話には興味を持ってきました。


中国語の初心者が自由会話をしようとして困るのは、語彙の問題や、語順の問題も、発音を間違えることの怖さなどもありますが、そもそも、「何を話したらいいのかわからない」状態になることではないでしょうか。
そして、まず日本語で言いたいことを考えて、中国語に置き換えようとすると、そこで、表現したい語句の中国語がわからない。語順もわからない。けど、とりあえず話してみて、適切な語彙や語順や発音に修正されて、何か会話の練習をしている感じになるのではないでしょうか。
もっとも、日本にいてインプットが十分でない時期にアウトプットをしようとするのは、無謀のような気もしますが、1000語近くの語彙があるのなら、自然なアウトプットができる練習もしたくなるというのも性分です。


杭州で中国人の恋人を作った彼の説によると、中国人との会話も、語順が間違えても、発音や、時には四声さえ間違えても、文脈や前後で中国人がたいてい理解してしまうと、いちいち修正をしてくれないので、勉強にならない。そこで彼が提案したのは、職場でも恋人との間でも、自分の中国語が間違える度に必ず修正をさせたことと、彼も恥ずかしがらずに何度も言い直して、次は間違えないようにしたことでした。特に恋人との間では、中国語を間違えるのは恥ずかしい、でも修正することを恥ずかしがらないという緊張感のような関係を築いていたとのことでした。
「テレビで中国語」の藤原紀香さんの中国語は、個々の母音、子音はそれなりに出来ていても、やはり文章を発すると、四声が乱れて、先生に修正されると、弱気な発音になっていますよね。あれを見る度に、勝手にわがことのように思うのですが、間違えを修正されたときこそ、堂々とした声で修正していかないと、弱気癖がついて、やはりいつまでも自分から発言をすることに積極的になれないのかもしれません。


また、あくまでレッスンの中でですが、自由会話が自分の範囲でそれなりにできるようになって感じるのは、堂々と話すことを繰り返したことと、「かえるらいふ」の練習が効果があったように思います。
と、「かえるらいふ」 とは、動画講座として、短文を繰り返す練習ができるのですが、今の講座もまた一癖がある例文で、やりごたえはあるのですが、今のわたしの水準ではかなり難しいです。
わたしが、これもヤフオクで購入したのは、「ビジュアル中国語・例文ドリルー基本の表現編」というDVDでした。とはいえ、DVDを見たのは、最初の数分だけで、未だに一度も最後まで見たことがありません。ここに入っている音声をiPodに入れて、ひたすら音読に使っていました。この音声を使って感じたのは、まさしく「英語完全上達マップ」の各練習方法に適していることです。
音読パッケージとしても、音声を自然に流しっぱなしにしても、中国語で繰り返す時間をとっているポーズが十分にあります。瞬間作文としては、まさしく日本語から中国語の読みあげなので、日本語から中国語の読み上げの間に、中国語を完成させる練習ができます。また、テキストの構成が文法の整理としてまとめられているので、それなりに基本文法を意識することもできます。ただ、かなり基本的な文法しか扱われませんので、どんな複文はもちろん、使役も、受け身も、比較文すらおそらく出てきません。ただ、ひらすら、語順を意識させた基本文型の繰り返しと、「了」の使い方だけに多くの頁をさいて、あとは持続、経験、未来、疑問文の使い方だけです。スピードも遅からず早からずで、語彙は恐らく1000語程度の基本用語ばかりなので、これを中国語で繰り返せなければ、自分が恥ずかしいよ。という気概で、何十回もテキスト見ない音読を繰り返しました。


類似テキストはありそうで、これと同じものはあまりないと思うのは、基本文型と基本語彙なのだけど、約550という例文の量と、その例文が普通の感覚より1.5倍長くて、一拍考えないと、なかなか言い切れないところでしょうか。たとえば、語気助詞としての「了」の例文では、こんな感じです「子供を産んだ後、最初は子育てを難しく感じていましたが、今は慣れて難しいとは思わなくなりました」とか「田中さんが突然病気になったので、今日午前の会議にあなたが参加する他ありません」という具合です。わざわざ余分な言葉をつけているところで、この言葉をどこにいれるのかという語順が、文法的な知識と関係なく、反射的に反応できるようになるのかもしれません。
ただ、わたしは中国語の文章を書くのは好きですが、作文はあまり好きではないので、ここでも、日本語を中国語に作文するというのではなく、この日本語は自分の言葉であると意識して、中国語を言おうとしていました。テキストの作文としての練習なのか、自分の表現としての練習なのかの意識の差は、意外に大きいのではないかと思います。
よく英語学習では、中学英語でたいていの事は話せる。というように言われていますが、「たいてい」の範囲はともかく、こと会話においては、中国語も、このような基本的な語彙で構成された正しい語順を自然に表現できるようになるということが大切なのではないだろうか。と思いつつ、未だに「了」の使い方を身につけられないわたしです。