中国語のテキスト

連休中に20キロ程度走り続けていると、毎日が筋肉痛でしたが、また今は週末だけ1.5時間くらい走るようにしているのですが、楽に長く走れるようになりました。体の動きについては、だいたい何をどれだけ動かすと、どういうことになるのかは、把握できているのですが、自分の脳の具合については、疲労感も感じられないくせに、またその効果もきちんと計測できないので、手探りで中国語とのつきあいが続きます。
英語には、様々な学習本があり、多くの場所で語られていますが、中国語の学習方法だけについて語られている本はあまりありません。
おそらく誰かが、英語完全上達MAPのような数多ある英語学習方法のような、具体的に「何を」「どれだけ」「どのように」という説明を作成すれば、多くの独学で中国語を学んでいる人たちの需要を満たすことになるのではないでしょうか。
わたしは恥ずかしいくらい語学の習得本に目を通したのですが、少なくとも中国語と英語の習得については、特に入門と初期の接し方はかなりな違いがあると思います。
数多ある英語の学習方法本についても、わかりやすいのは、その著者達がみな、自分であったり学校から計測した効果の成果を持っていて説明をしているので、自分が実現可能かはとりあえず置いても、読み手は、その過程が見えることで安心感をもつことはできます。


ネットには中国語検定2級や旧HSK8級を取るには、これだけのテキストを2年間くらいやれば取れましたという記事で過去の問題集や、試験専用の参考書だけを紹介している記事もみかけますが、まさしくそれは、TOEICの高得点を取ることだけに特化した方法論と限りなく同じことになっている気がします。それはそれで語学力もついている結果だと思いますし、もしかしたら、各検定試験の問題集をやることが中国語の上達に非常に効果があることなのかもしれません。
ただ、そんな資格があっても、自己満足という小箱に仕舞いこむ以外に使い道がなくて生粋の問題集嫌いのいい大人になってしまったわたしには、もう少し楽しく確実に中国語力をつけたい物だと考えてしまいます。


以前、発音の学校で教わった中国語のナレーションで有名な先生は、日本の中国語教科書は不自然な表現が多い。という話から今は、自身もいくつもの大学で教える側に立つと、「しかし、こういう教科書になってしまうのは仕方がないのだ」という説明を付け足してもいました。
じゃあ、仕方が無いという言い訳無しの、中国で使われている留学生用のテキストは、どうなのかと、初級テキストをいくつかやってみたのですが、はたして中身がどれだけ自然なのかは、わたしにはわかりません。ただ中国のテキストは単純に量が多いので、好みが分かれるにしろそれなりの内容がある文章を読むことが出来ます。それから同じシリーズで、入門から高級まで分冊になっているので、このテキストを最後まで続けられれば、誰でも上級になれるのでは?という妄想も入った安心を持つこともできるのかもしれません。
ただ現実には中国語で毎日レッスンがあるわけでない、独学を中心として会社員が余暇でやるには、やはり、どれだけやって次の課に進むのかしらん。とか日々記憶量より忘却量が遙かに優っている人は、悩むことも多くなります。
ただ基本的に、毎日10忘れるならば、100覚えればいいんじゃ?ということで、学習方法の室に拘らず、自分の興味のあったテキストを出来るだけ大量に聴いたり読んだりすることで、無理矢理脳へに定着化というより、ざるにひっかかる小魚を掬うイメージで日々の中国語に接しています。
中国語の原書を読むのに挫折したわたしは、日本で出版されている閲読用の注釈入りテキストも読んでいるのですが、これは中国で出版された語彙数を限定した小説よりも、読みやすく、面白いものが多いです。
週末に読んだ「心あたたまる短い小説10選」というテキストも、タイトルだけでお腹いっぱいになるような嫌な予感がしたのですが、実際には、中国の教科書によくあるような道徳的な話とは全く違い、中国ではよく認知されている「小小説」という分野の大人が大人のために書かれた物語となっているので、恐らく大人の事情でつけられたタイトルと反して、救われない話もあり、そう単純に想像する「いい話」系ばかりではありませんでした。
個人的には、軍隊犬に教育を担当している教官が犬をからかって、犬がそのショックで立ち直れなくなる話が救いようがなくて好きです。この小説の終わり方も「ああ、黒子(犬の名前)よ」です。中国の物語は、貧しさの精神的な清らかさを強調する話が多いですが、時々、ありえない、救いようのない話もありますね。わたしが、このテキストにタイトルをつけるとしたら、「中国人のツボ10話」とします。
ただ、中国語で多読をしている。と胸を張って言いたいのなら、これくらいの量を一日一冊読むくらいの量をこなさなければ、中途半端な、注釈読書で終わってしまう気もします。


結局は中国の教材だろうが日本の教材だろうがどれをやっても、そんなに違いはなくて、とにかく量をやればいいんじゃない。ということが、今のところわたしが、分かっていることです。って、あれ。こんなに文字数をかけて、結論がこれか。。。