博雅汉语の練習問題


以前、中国のネットの老師と話をして、中国でも携帯小説が流行しているとか、内容はくだらないし、ハシタナイし、安っぽいところが目立つけど、ところどころ凝った表現をしているとか、それが明らかに他人の文章の切り貼りなのだけど、それはそれなりに引用をして自分の世界としている。というような中国携帯小説批評を聞きながら、それこそ、まさしく現代中国文化なのでは。。と大変失礼なことを思ったような思わなかったような。
この話を、ここで思い出したのは、自分で中国語作文を書いてみて、外国語とはいえ、自分の言葉ではない語彙や表現を自分の文章に取り込むことの難しさをとても感じたからです。
純粋な作文ではなく、「博雅汉语」というテキストの練習問題ですが、よく書けませんでした。
中国語作文を結構書き続けてみると、初心者なりに自分の言葉や自分の世界が次第に書けているようにも思ったのですが、今回の作文は、ものすごく中途半端で、わたしが自分で思っている自分の文章が書けませんでした。

わたしが持っている中国語の教材で、造句ではなく作文を作れという練習問題は、「博雅汉语」くらいなのですが、これは中国人先生のもと、わいわい発表しあったり、先生から添削をしてもらうような授業を想定しているのでしょう。ただ、そんなに無理な文章を書かなければ一人でもできるのでは?と思い、結局毎回かなり無理して書いています。
問題文にはテキストに出てくる用語や、句を使うようにという指定があります。
それが、普段では決して使わない語彙を強制的に使うのも、中国語の文章を書くのにはいいと考えたのですが、今回の文章はうまく書けませんでした。
この4課の本文が自然と音楽についての、表現豊かな文章でした。問題も、自然についてと音楽についての作文だったので、フジロックについての文章を書いてみようと思いました。
自然の中での音楽の祭典についてであれば、自分の文章が書けると思ったのですが、特に中盤以降は、本文の文章表現に引きづられて、まさしく切り貼りの奇妙な文章となってしまいました。
で、結局は、たとえ本当に他人の文章の切り貼りであったとしても、それで自分の世界を描けているのであれば、中国の携帯小説もいいものなのやも。。
と思った次第です。


今回の作文の自分の課題は「你」を主語にした文章を作ることと、なんかごてごてした自然描写や擬態語を使うということだけは、できました。というか、やってみました。という水準です。


博雅汉语 第四课
练习问题


即使到了现在,每当夏季来临,我也仍然能够体会到那种情感交织的心情。
十多年间,我一直参加盛夏的“富士摇滚乐节” 。
并且十年间,又在东京做着工作,又在家看着电视,我一直在富士摇滚乐节放置着心度过了一年了。

比起又有谁来了,又听了怎样的演奏,我现在想起“富士摇滚乐节”这个词,首先浮现在脑海里的是在盛夏的山中被大自然包围的日子。
那压倒性的森林色彩和树木的气味儿,被太阳或雨侵袭皮肤的感觉,
以及自然创作出的不亚于人所制作的单纯丰润的声音 ,都令我陶醉不已。


清晨,你可以漫步在森林里的林荫小道。
太阳升起的那一刻,不但你被唤醒,鸟和虫子的心也扑通扑通地跳,你和动物们一起叽叽嘎嘎地欢笑着。
午后在会场的很多地方里,开始演奏各种各样的音乐。
不过音乐一停,虫子和鸟叫声就会在森林里像奏乐那样的持续着这个摇滚音乐节。
音乐、动物的声音和夏天一样,充满了活力。
如果你不喜欢摇滚乐,何不选择到竹林里去,在这里有很多吊床。
你想休息什么时候,就在吊床上休息什么时候。
黄昏时分,你到河边去听音乐。
不过在这里离会场有点儿远,所以你能够听很多自然的声音。
听到小溪潺潺的水声,风吹树梢沙沙作响,这时最像室内乐了,变化不是太大,但却有一种细致而美丽的风格。
夜晚的时候,经常哗啦哗啦下起大雨。
你不可能听到虫声,却听到大量摇滚乐和大风雨声,反而有一种冲突的美感。
本身就是一种庄严而宏伟的音乐。
这些回忆,随着你的心情调大调小,在你们心情愉快时,听起来就像自然在为你欢唱。
在你悲伤时,听起来仿佛它也在悲伤。
无论怎样,今年夏天即将到来。你已经听到了那儿的音乐。