中国語ハイ

8月10日の中国語レッスンでは、ようやくわたしの「我」の発音にOKがでました。
一時間半のレッスンなのですが、サッカーが終わった興奮冷めやらぬ中でレッスンが始まった時は、今日は一時間半、ずっと「O」の発音だけで終わるのでは?と思うくらい、なかなかすり合わせができませんでした。


わたしにとって中国語の発音を上達させるためには、CDなどの音を自分で真似するだけではダメで、老師のチェック、修正、その定着。という行為がないと、なかなか次のステップに上がれません。
先週、『「O」の音が少し違うので、よく聞いて練習をしておいて』
という、壮大な宿題があり、いろいろな発音関係の本を読んだり、CDを聞いたりして、自分なりに研究をして「O」を老師の前で発音しつつ、一週間の研究の挙句掴んだ理論、
『口の奥に力を入れて、舌も引きながら、少しuの香りがするような音』という説明をしたのですが、あっけなく、「音も理屈も違う」と言われました。
また、「O」を発音する度に、OKが出たり出なかったりで、なかなか安定した「O」を出すことができませんでした。
そこから何度も、老師と擦り合わせをしながら、実際に、音が正しい「O」に近づく度に、それの出し方を、「こういう風にやってみた」と、言葉にして説明を繰り返しました。
最初の頃から老師が、「口を横に開いて」と言われていたのですが、この「横に開く」という、開く動きが足りなかっただけでなく、すぼめている口の状態から開いている状態、という口の移動を響かせていないことが、自分の運動感覚として実感できました。
次第にわたしにとっての「O」の出し方を、具体的な動作説明の言語に置き換えられるようにもなって、ようやくレッスンの最後には、感動の(?)定着した「O」を出せるようになりました。


その出し方と言うのは、もともとの本人の形があるので、万人の説明にはならないのかもしれませんが、わたしと老師が行った「我」の発音方法の言語化は、こんな感じです。


『はっきりと「U」を発音し、そこから口を大きく、唇が横へ開いている移動を十分響かせて「O」を言いながら、最後には弱い中国語のピンインの「e」を意識する』


この「e」を意識して終わらせる。というところもやり過ぎないあたりで苦労をしたのですが、この説明を言語として整理ができて、それを実際に意識しだすと、老師もおそらく感動していただけたような「我」が完成しました。もっとも、実際には、0.5秒くらいの音の話なのですが。。
あと、実際には、「ruan, rou, zou, zuo,zhao」も、さりげなく安定していたようなので、とても収穫のある一時間半でした。


と、発音を教わるたびに、最初に教室で習ったG先生の発音レッスンを思い出します。
まず、G先生は、「中国語が出来ると思っている日本人こそ、みんなaと、oが間違っている」という掴みで、一部の参加者を驚かせました。またわたしを含めて半分くらいの入門者にとっては、uでも、eでもなく、「日本人にはaとoこそ、難しい」と言われても、その説明の意外性に驚くこともなく「へえ」と聞き流していました。
結局、最初のレッスンで「a」をずっとやって、教室の誰もできなかったのですが、「a」を単独で響かせる必要がないから、実際は気にしなくてもいいとか、ここでレッスンを受けたからと言ってわたしのように発音できるわけではないとか、日本の中国語教材の会話は不自然だとかとか、今のラジオ講座とはまた違う毒舌?な発言を聞けて面白かったです。


ただ、今になって思うに、最後まで残った生徒の多くがリピータであったらしく、やはり、中国語を学習してから、数年たってから聞いてこそ、はじめて理解できる発音講座だったと思います。しかし最初に「中国語の発音は1年や2年でマスターできるものではない」という脅しと、当時聞いていて理解できなかった、発音の説明が、ようやく今になって氷が解けていくように、様々な発音に関する謎がブツブツと現れては、繋がっていくような気がします。


今お願いしている老師の発音の説明も、おそらく1年以上、中国語に触れていたからこそ、理解できて修正ができるような気がします。とても、入門時に、これだけの説明をされても、理解することも修正することもできなかったと思います。
また、江南紅豆老師から教わった四声の特訓で、ようやく四声がそれなりに修正でき、また何度も注意された介音の響かせ方も、今回も全く同じ指摘を度々受けています。これは、きちんと定着させられなかった自分が恥ずかしいです。
偶然近所で中国語を教えられる人がいることを聞いて、魯迅らに詳しい老師から中国文学の周辺について教えていただいたことも、中国語を継続できている強い推進力のひとつになっていると思いますし、今の老師の翻訳課題を興味深く読むことも出来たのだと思います。
また、SKYPEで自由会話をしていただいた中国南部在住の老師らにも、かなりブロークンな中国語でも、ひたすら勢いで話せば、「なんとなかる」という積極性を教わりました。


というわけで、今まで教えていただいたどの老師からも、いい時期に貴重な説明や、貴重な謎をいただいて、それがようやく相互に繋がってきたような気もします。わたしは、きっと今まで異性運に恵まれなかった分、素敵な中国語老師に、いつも巡り会えているのかもしれません。
そんな、発音のレッスンの間、あまりに楽しくて、ああ、このままレッスンが終わらなければいいのにとか、ずうっと「O」を言い続けていたいとすら思いました。
中国語の文章を読んでいる時に思うこともあるのですが、わたしは、中国語に関して「ああ、なんて、こんなに知らないことがあるの!」と純粋に喜べてしまい、脳みそからいろいろな物質を滲み出すことができます。もう、それだけでも幸せだというのに、少しずつでも発音が本格的になるとは本当に、喜出望外なことなのです。