中国語会話

先日、久しぶりにネットで、レッスンとしての中国語会話をしました。
いままでも、初心者なりに勇気を持って話せば、それなりに会話が成立するものだと思っていたのですが、冷静に考えてみると、いつも日本語が堪能な老師の手伝いがあったからこそ、会話らしきものが成立していたような気がします。
そこで、初めて日本語が話せないネイティブの老師と中国語会話のレッスンをしました。
わからない話をわかっているふりをするというわたしの特技のため、次第に老師の話がややこしく、またかなり重い話になってきました。
録音をしていなかったのが残念なのですが、要旨ではなく、こんな話題も含まれたという、濃い会話は、こんな感じでした。


中国には大旱魃が起こる。昔も大旱魃で数百万人が亡くなった。
そのとき、南に住んでいたお婆さんは一人で北へ向かった。
おじいさんも軍隊として移動をしていて、二人は北の土地で出会って、生活を始めた。
(北と南の人が出会うことを「なんとか」と言うと教わったのですが、残念なことに忘れました)
北の土地は、とても豊かで食べ物がおいしい。北海道もそうでしょう?
わたしのおじは自殺した。友達の叔母も自殺した。
世界経済は、特定の民族が動かしている。
中国はいつか、本当の革命がおこる。


話の繋がりがわからないかもしれませんが、わたし自身、わかりません。
本当は、きっと論理的な話でとても、つながりのある話だったのだと思います。
ただ、わたしが1割しかわからなくても、3割くらい理解できているふりをしるという頷きを駆使したためか、どんどん話が濃くなっていきました。
途中で、「あなたはどう思う?」みたいなことを聞かれるのですが、もう何を聞かれていたのかすら理解できません。そこで、質問に、質問で返すという反則技を駆使しつつ、会話を進めました。
ただ、ほとんど老師が話していて、ところどころ、老師が話した適当な単語をわたしが繰り返して、文字で打ってもらったりもしました。
また、この日は、なんとなく老師の話題に合わせるようにして、「日本のマスコミは自分のことを王様だと思っている」とか「欲望と正義感の重さが天秤にかけられている」などと、普段考えてもいない適当なことを、中国語でのたまってしまいました。



また、今までテキストの朗読では、よく発音の間違いや四声の間違いを指摘されていたのですが、自由会話ではあまり、発音の間違いを指摘されませんでした。しかし今回は悲しいくらい何度も四声の間違いを直されました。
朗読の時は、発音について意識しすぎるくらい意識をしているので、文章の意味が頭に入らないくらいですが、逆に自由会話では、その言葉の意味を自然に理解して口にしているため、四声が自然に出来ている?と思ったのですが、大きな間違いでした。
寧ろ、自由会話では、適当な発音と適当な四声が癖になっているようで、今発音を中心に見ていただいている老師には、とても聞かせられない酷さでした。
今までの「自由会話」というレッスンは、会話を成立させるという目的のために、日本語の堪能な老師が、自分で理解できるところの発音は厳しくは直さずに進めていたのでしょう。
さらに、日本語が通じると、わたしが言いたいことを日本語で言って、中国語にしてもらうという、現実にはありえない状況にかなり助らえていたようです。


ただ、こんな適当な会話をしつつ、こういう状況に身を置いて、自分の体を使って、言語を発してこそ、そこで言語はリアルに習得できていくことが実感できました。
ということで、来月の中国訪問については、いろいろと工夫をして、中国語で考え、中国語を話さなければならない環境に身を置くことにしました。


また、慣れない旅行についても、一人でネットから航空券や宿を手配すると、ものすごい安く取得できる方法があることもわかりました。
そんな中国行きの準備をしている過程ですら、すでにワクワクしてしまうこの頃です。
できるだけ、中国にいるときは、頭の中で物事を考えるときですら、中国語で考える生活を送ってみたいものです。