外国語の文章を書くということ


博雅汉语、第5課の練習問題を書いたところで、ネットで知り合った中国の方に見ていただくと、日本語の発想で書かれているので、原文を見せてほしいと言われました。
実は、日本語の文章を作らなかったので、あわてて中国語を日本語にしてみました。
日本語にしようとすると、おかしな語順や、抜けている文字が見つかりました。
ただ、それ以前に、わたしがあと10年中国語とつきあっても、判断できないような気がする、「日本人的な発想の文章」がたくさんあるのでしょう。
わたしの日本語訳は、中国語チックなヘンな日本語なのですが、部分的に中国語と離れてしまう箇所もありました。この下手な日本語から、また中国語にしていただくと、さらにわたしの中国語から離れてしまう気がするのですが、それでもとても参考になるので、自分の日本語からだいたい同じ中国語訳をしていただけるのは、とても楽しみです。
おそらく、そのうち送っていただける中国語文章の前にわたしの中国語作文と、その和訳を下に載せます。


練習問題の課題は、「この課に出てきた新出単語から10個以上使え」という課題だったのですが、わたしは無理に殆どの単語を使いました。
この今まで使ったことのない単語を、無理に使って文章を作るという行為はとても面白かったです。本当は、文章全体をわたしがとらえた「席慕容」的な形容詞や、言葉の積み重ねを真似したかったのですが、そこまでは出来ませんでした。ただ、「燕子」の構造自体を真似てみました。
この真似っぷりについても、自分としては、今回はとても満足がいく出来ではありました。が、自己満足的な水準であったのかもしれません。


前に、日本語を学習するサイトで、まるで日本人の女子高生が書いたような、くずれてはいるけど、もの凄くリアルな日本語を書いている人を見つけて、日本語の習得方法を聞いたところ、とにかく毎日日本のテレビドラマを見て、毎日日本の友人とQQで文章のやりとりをしているという話でした。
実際のところ、その人は大学で日本語を勉強しているのですが、自分が楽しいと感じる習得方法を使って、かなり短期間に上級女子高生日本語をマスターしてしまったのでしょう。
また、日本のドラマを見て楽しむとか、日本の友人と話をするというのは、彼女にとってはもはや日本語上達のための手段ではなく、目的となっているので、楽しくもあり、また絶えず続けられることだったのでしょう。


この1年間ほど、わたしは中国語関連以外の本を殆ど読まなくなってしまったのですが、今月は、語学に関係するからね、と自ら広義の解釈を与えることで、翻訳者の書いた文章や翻訳小説を読んだのですが、そこで今更知った、ロシア語通訳者の米原万里さんの文章力には驚きました。
とくに、「打ちのめされるようなすごい本」というタイトルがついたこの本自体もすごいのですが、わたしもとにかく本を読む生活に『戻らなければいけない』と強く思いました。わたしの人生の殆どが本を読む生活だったのだから。
細かなことは一気に省略して、外国語の能力とはやはり、母語の能力に依存する。外国語習得には母語をどう捉えているか、母語をどう活用できているかに制限されてしまうのだなあ、と結局殆ど使わなかった空調を見上げながら考えた8月でした。



父の部屋の灯


わたしの知る限り、世界で最も美しい誤解とは中国の万里の長城の話だ。
聞くところによると、以前の中国の教科書には「月から万里の長城が見える」と書かれていたらしい。しかし最近、ある科学者はそれは事実ではなく、「宇宙から長城は見えない」と発表した。全ての中国人は大きなため息をついたのだろう。「ああ、残念だ」と。わたしはきっと中国大陸は、この中国人の残念がる溜息で沈んでしまったと思う。
しかし、依然として今でも長城の周りでは、世界中の旅行者が興奮して、こう言っているはずだ。「見て、これが長城だよ。月からも見える長城だよ」と。
これがまさしく真実だ。自分で真剣に心の中に思っていることこそ真実なのだ。


わたしの父の具合が悪くなって入院をすると、わたしと母は一緒に病院へ見舞いに行くようになった。
ある日、病院へ行く車の中で、母は父とつきあうようになったなれそめを話し出した。
父の家の灯がいつも夜遅くまで着いていたので、母は父のことをとても勉強熱心な人だと思って、それで二人はつきあいはじめ、それからまもなく、結婚をしたという話だった。
あの灯りのために、母は父をとても温厚で真面目な人だと思ったのだ。
こういうことから、つきあっている時も、また結婚をした後も、母はいつも父の後ろにはあの家のカーテン越しのおぼろげな黄色い灯が見えていた。
母にとっては、父とどんなに喧嘩をしたときも、父がずっと寝たきりになってしまった今ですら、父の後ろにはあの遅くまで勉強をしていた灯が見えていた。
結婚する前に父の家の灯がいつも遅くまで着いていたのを見ていたことを、その日母は父に話した。
しかし、父はその家は自分が住んでいた家ではないと答えた。
母は父の家を実は別の人の家と勘違いしていたのだ。
母はとてもがっかりしたように見えた。
父はきっと母の口から出たあの「家」にどういう意味があるのかはわからなかっただろう。
しかし、わたしは父からも孤独感を感じた。父は父で曖昧ながらも母の気持ちに感じたところがあったのかもしれない。
母はしばらく病室の窓を見つめていた。それから母がとった唯一の行動は、わたしに缶コーヒを買いに行かせることだった。
わたしは母にどう言葉をかければいいのかわからなかった。
母は続けてこういった「甘いコーヒよ」
母は意味ありげな微笑みを浮かべた。普段の母はとても温和なのだが、この時の微笑みはまるで怒っているように思えた。
その一週間後、父は亡くなった。これは3年前の出来事だ。


今でも母は、「わたしはやはりお父さんの後ろに、あの人が勉強をしていた灯がみえるよ。お前にも見えるかい?」とよく私に話す。
母も今はあまり現実のことに関心がなくなってしまったのだ。
母がそう話した瞬間、わたしはあの長城のことを思い出した。
真実とは自分が真剣に心の中に抱くものなのだ。
結局のところ、父の後ろで、あの長い間灯り続けた明りは、簡単に消えるものではなかったのだ。



美丽的误会


据我所知,在世界上最美丽的误会是中国长城的事情。
听说,以前在中国的教科书里写了“从月亮可以看到长城”。
但是,某科学家写了事实并不如此。从月亮上看不到长城。
并且最近中国人的宇航员也说“在太空中不能看到长城”。
估计全中国人叹了一大口气。
“好可惜”,我觉得中国大陆一定因中国人遗憾的叹气声而沉了一沉吧。
但是仍然现在在长城周围,全世界的游客还是在兴奋地说:“看,这是长城,从月亮上可以看到!”
这就是真相。真相就是自己怀着认真心情的东西

我父亲的病情加重,住院的时候,我与母亲一起到医院看他去。
有一天,在医院的车里,母亲说起了同父亲的最初相识。
因为父亲家的灯总是亮到深夜,因此母亲认为父亲是用功热情的人,于是两个人的交往开始了,然后不久就结婚了。
因为那个灯光,母亲认为父亲是温厚诚实的青年。
也因为如此,在交往的时候,还有结婚以后,母亲总是看见父亲的后面,那个家的帘子隔着的朦胧的黄色灯光。
对母亲来说,与父亲无论怎么争吵的时候,连父亲一直卧床不起的现在,母亲也能看见在父亲后面,到了很晚用功的灯还亮着。
那天, 母亲对卧床不起的父亲说,结婚以前她常常看到父亲家的灯一直亮到深夜。
于是,父亲回答说那并不是自己曾经居住的家
母亲以为那个父亲的家,其实是别人的家。
母亲看上去好像很沮丧。
父亲理应不知道母亲嘴里所说的那个“家”的意思。
但是我感觉到父亲的孤单寂寞。估计父亲也模糊体会到了母亲的心境。
母亲暂时注视着病房的窗户。然后母亲的唯一的反应是让我去买罐装咖啡。
我不知道怎么安慰母亲好。
母亲一连说,“挺甜的咖啡哩”。母亲的脸上浮出深沉的微笑。平时母亲温柔得很。但是那时微笑象很生气的样子。

天一个星期后,我父亲去世了。这时三年前的事情。
至今母亲总是说,“我仍然能看见在父亲后面,他用功的灯。你也能看见吗?”
母亲也变成与世无争的人。
一刹那,我想起来,那长城的故事。
真相就是自己一直怀着认真的心情相信着的东西。
毕竟在父亲后边,半生里亮的灯,不能简单地熄灭。