あなたはそれをどうやってどこまでやりますか


おなじようなことを何度も書いている気もするのですが、もういったいテキストって、どこまでやればいいのでしょう。気が済むまでとなると一生気が済まないようでもあり、一回読めばそれで許していただきたくなることもあります。
たとえば、三か月間かなり真剣にやり続けた「通訳メソッドを応用した中国語短文会話800」と「初級を超えるための中国語単語BOOK」のテキストにしても、全く「やった感」が得られないのです。
その前にもかなりやりこんだ気がする「瞬訳中国語」にしても、見直すのが怖いくらい、単語は定着できませんでした。
そんなわたしの実力から適当に推測するに、市販の中国語テキストを一冊、「マスターした」という満足感とともに終わらせるのには、それだけを毎日やったとしても、半年はかかると思います。その満足感とは、当然暗唱までは至らず、なんとなく飽きてきたからもういいや、に限りなく近い満足感かもしれません。
ただ、一冊に半年かけては、今本棚に押し込んだテキストたちは100歳まで中語とつきあっても、生きている間に終わらすことはできそうもありません。特に来年こそは、できるだけ中国産のテキストや小説に移行をしたいという野望があるので、この大量なピンインつきのテキストたちを年内に次から次へとやっつけていきたいものです。
今、独学で読んでいるテキストは、中国の中級向けテキスト4冊もあるのですが、気持ちはこれを中心としながら、それ以外にこの3か月で、ピンインつきの大学生用教科書や市販のテキストをどんどん読んでいこうと思います。どちらも中国語を初めて1年たった人を対象としているテキストになります。


ということで、体育の日から、右の中国語本100冊プロジェクトにも書いた大学生用教科書「音読したい中国語」と昔のラジオ講座の応用編を集めたらしい「挑戦!朗読中国語」を読んでみました。両方とも一日で読めるのでは?とも思ったのですが、「音読したい中国語」は、全12課のうち、10課までやって飽きてしまいました。素敵なタイトルに反して、内容はよくある中国語文化についての普通の説明で、面白味が無く、特にテキストに何か工夫があるというものではありませんでした。と、不遜なことを書きつつ、それでも一冊をやりとげることは、作者達が学生へ伝えたかったことの上澄みの一部は味わえるのではないかと思います。
方法は、単純に本文も新出単語も例文もすべて5回ずつ読む、というそれだけです。わたしは未だに中国語文法の本を読んだことがないのですが、いろいろなテキストに出てくる文法的な解説を切れ切れに読んでは、断片的な知識をパタパタと頭のどこかへ張り付けています。


もう一冊の「挑戦!朗読中国語」の方は、最初はやはり一気に読んでしまおうと思ったのですが、内容が濃すぎて、こちらはかなり真剣に音読を重ねていこうと思いました。
前書きに、中国語の声調はいつも同じ声調を出しているのではなく、文の中で、それぞれの声調の高さが違っていて、それにもきちんと規則がある。というような説明があって、「ほうほう」と思って一課を終えたのですが、確かに、ここの2声と文末の2声は出す高さが違うという説明は納得できるものの、ではそれが他の文章ではどう考えればいいのか、声調やアクセントなどについて、全ての文章について適応できるシンプルな規則として、まだまだわたしには捉えられませんでした。
しかし、こちらのテキストの本文がとても読みごたえがあるので、もう少しこだわって付き合ってみたいです。


あと、「家有儿女」もDVDではなくて、テキストの方を去年から進めていて今は2冊目の後半あたりです。これらは3冊目を来年の中ごろには終わらせたいし、毎月挫折している「聴く中国語」についても、なんとか毎月一冊はきちんと読めるようにもしたいし、Podcastにしても、貯めずにコツコツと聞きたいし、作文もコソコソと書き続けたいし。。などと語学学習では全く褒められたことではない、「あれもこれも」と手を出してしまっています。
また、昨年使っていたテキストを読んでみると、実は昨年も頭になかなか頭に入らなくて赤ラインを引いた単語やフレーズが未だに全く同じ個所に赤ラインをひきたくなってしまいます。薄々感じていたのですが、昨年の秋あたりから、自分の記憶力はますます忘却力に負けだしている気もします。


ただ、本当のことを書くと、なかなか上達しない感覚や、あのテキストをやってみたいとか、あれもこれもやってみたいとか思える今こそ、一番楽しい時期なのではないかなとも思ってしまう自分がいます。RPGでも、最初の方こそ面白くて、次第にレベルを上げるのが面倒になって、たいていラストの直前で満足感のような退屈感のような気持ちを持ってしまうような?そして、そういう潜在意識がために、ずっと初級から抜け切れないのかしらんと思ったりもするのですが。。イヤイヤ、わたしの場合はいかなる潜在意識も現実に影響されたことがないので、方法は都乱成一锅粥了でも、今はただただ中国語へ向いている自分の人生をそれなりに楽しむことにします。