老舍 《养花》 全訳

わざわざ全訳と書くほど長くない文章なのですが、これも「もとい」さんとの中文和訳競作になります。実は去年、大学生の第2外国語用教科書で若干編集されたこの文章を暗唱していたので、今までの和訳競作シリーズと比べると、とても簡単に進みました。とはいえ、教科書に省略されていた箇所や、日本語にし辛い箇所が何か所かありましたし、さらに自覚出来ずに誤訳してしまっている箇所もあるかもしれません。


昨年この文章を暗唱して、近所の老師の前で読んだのですが、自分の記憶では、同じテキストの他の文章の暗唱と比べて、「出来た」ような記憶もあったのですが、ちょうど去年の今頃の記録を読んでみると、ぼろぼろだったようです。
去年の「心に残る中国語」という教科書を暗唱していた記録を読んでみると、結局毎回、暗唱は途絶え途絶えだったように書いてあります。毎日の時間がたつのはとても早く感じるのですが、この毎週テキストの一課を暗唱していた時のことは、とても昔のような気がします。
また、この時の老師は中国文学を専門的に学ばれてはいましたが、決して外国人へ中国語を教えることを習ってはいないようでした。しかし、逆にそのような老師だったからこそ、文法的なことや、練習問題をやるようには言われず、小説や文章についての話ばかり教えていただき、それがわたしにはとても合っていました。
おそらく中国語の触れ初めが別の手段だとしたら、中国語熱も一時的な物で終わっていたような気がします。まだまだ中国語習得について何も言える資格はありませんが、間違いなく実感していることは、「好きなことを見つけて長く続けること」だけでいいのではないでしょうか。ただただ続けさえすれば、どうにかなるような気もするのですが、たとえどうにもならなくとも、例え見当違いな道に迷っていても、好きなことをしているからいいんですウ、という境地に達しています。



去年この文章を何度も音読をすると、最後の畳み掛ける美しさに自分でも読んでいて酔いしれらされました。
また、この文章は老舎の趣味でもある「花を育てる」ことだけを書いているようですが、勿論それだけではない「养花」です。


老舍 《养花》


我爱花,所以也爱养花。我可还没成为养花专家,因为没有工夫去作研究与试验。我只把养花当作生活中的一种乐趣,花开得大小好坏都不计较,只要开花,我就高兴。在我的小院中,到夏天,满是花草,小猫儿们只好上房去玩耍,地上没有它们的运动场。


わたしは花が好きなので、花を育てるのも好きです。しかし研究や試験をする暇はないので、花を育てる専門家にはなりませんでした。
わたしには花を育てることはただの楽しみでしかありません。花が開く大きさや良し悪しには、こだわらないし、ただ花が開きさえすれば、嬉しいのです。庭にいると、夏になると草花で満ち、猫たちは、地面には彼らの遊び場が無くなってしまったので、家にあがって遊ばざるをえなくなります。


  花虽多,但无奇花异草。珍贵的花草不易养活,看着一棵好花生病欲死是件难过的事。我不愿时时落泪。北京的气候,对养花来说,不算很好。冬天冷,春天多风,夏天不是干旱就是大雨倾盆;秋天最好,可是忽然会闹霜冻。在这种气候里,想把南方的好花养活,我还没有那么大的本事。因此,我只养些好种易活、自己会奋斗的花草。


育てている花は多くても、不思議な花や珍しい草はありません。珍奇な草花を育てるのは易しくありません。立派な花が病気になって枯れてしまうのを見ているのは辛いことです。わたしはいつでも涙を落としたくありません。北京の天気は、花を育てるにはいいとは言えません。冬は寒く、春は風が強く、夏は乾燥せずに大雨になります。秋の天気は最もいいのですが、突然霜害になります。この天気では、南方の花を育てたくなっても、わたしはまだそれだけの技術がありません。そのため、わたしはただ育て易い、自分で頑張れる草花を育てているだけです。


  不过,尽管花草自己会奋斗,我若置之不理,任其自生自灭,它们多数还是会死了的。我得天天照管它们,象好朋友似的关切它们。一来二去,我摸着一些门道:有的喜阴,就别放在太阳地里,有的喜干,就别多浇水。这是个乐趣,摸住门道,花草养活了,而且三年五载老活着、开花,多么有意思呀!不是乱吹,这就是知识呀!多得些知识,一定不是坏事。


しかし、草花は自分達で頑張れても、わたしが構わずに放っておいて、勝手に自然に任せておけば、花たちはやはり殆ど枯れてしまいます。わたしは毎日花たちの面倒を見なければなりません。まるでいい友達のように彼らの世話をします。そのうちに、わたしは手探りでコツをつかみます。日影が好きであれば決して日の当たる場所に置かないし、乾燥が好きであれば水をやりすぎないようにします。こういうことが面白いのです。コツを探しながら草花を育て、4,5年ずっと育ってきて花が咲く。なんて面白いのでしょう。でたらめを言っているのではありません。これこそ知識です。たくさん知識を得ることは、絶対に間違ったことではありません。


  我不是有腿病吗,不但不利于行,也不利于久坐。我不知道花草们受我的照顾,感谢我不感谢;我可得感谢它们。在我工作的时候,我总是写了几十个字,就到院中去看看,浇浇这棵,搬搬那盆,然后回到屋中再写一点,然后再出去,如此循环,把脑力劳动与体力劳动结合到一起,有益身心,胜于吃药。要是褰上狂风暴雨或天气突变哪,就得全家动员,抢救花草,十分紧张。几百盆花,都要很快地抢到屋里去,使人腰酸腿疼,热汗直流。第二天,天气好转,又得把花儿都搬出去,就又一次腰酸腿疼,热汗直流。可是,这多么有意思呀!不劳动,连棵花儿也养不活,这难道不是真理么?


知ってのとおり、わたしは足の病気があるので、歩き辛いだけでなく、長く座るのも辛いです。草花たちがわたしの世話を受けて感謝しているかどうかは分かりませんが、わたしは草花たちに感謝しています。わたしが仕事をしている時は、いつも数十文字を書いては庭に出て彼らを眺め、水をかけてやり、鉢を運び、その後にまた部屋に戻って少し書いて、その後にまた庭に出ます。このような繰り返しは、脳と体の運動を一緒に結びつけ、薬を飲むよりも心身には有益です。もしも折悪く暴風雨や天候の突然変化にあったら、すぐに全員総動員で草花への緊急措置をとることになり、とても緊張します。数百の盆栽は素早く部屋の中に運び、これでみんなの足腰は痛くなり、大汗が流れます。次の日、天気が良くなると、また花たちを外へ運び出さなければならず、またもや足腰が痛くなって、大汗を流すことになります。しかし、これがまたとても面白いのです!労力を惜しむと、花すら育てられません。これこそ真理でしょう。


  牛奶的同志,进门就夸“好香”!这使我们全家都感到骄傲。褰到昙花开放的时候,约几位朋友来看看,更有秉烛夜游的神气——昙花总在夜里放蕊。花儿分根了,一棵分为数棵,就赠给朋友们一些;看着友人拿走自己的劳动果实,心里自然特别喜欢。
  当然,也有伤心的时候,今年夏天就有这么一回。三百株菊秧还在地上(没到移入盆中的时候),下了暴雨。邻家的墙倒了下来,菊秧被砸死者约三十多种,一百多棵!全家都几天没有笑容!
  有喜有忧,有笑有泪,有花有实,有香有色,既须劳动,又长见识,这就是养花的乐趣。


牛乳配達の方がわたしの家に入ってきた途端に「いいにおい!」と言ってくれることは、わたしたち家族全員の誇りです。「月下美人」が咲くときになって、友人数人を花見に招待し、いっそう蜀を持った夜遊び(時節に合った楽しみ)の面持ちが増すのは、「月下美人」が夜咲く花でもあるからです。花は数株に分けられ、一本の花は数株にもなります。その何株かを友達にあげます。その友人が、わたしが一生懸命育てた花の成果を持って行くのを見るのは、自然と格別な喜びに溢れます。
もちろん、悲しい時もあります。今年の夏は、こんなことがありました。三百株の菊の苗が地面に置かれ(鉢の中に移し終わっていなかったのです)大雨に見舞われました。隣家の塀も倒れ、菊の苗は30あまりの種類、百あまりの花が下敷きになってしまいました!家族全員から数日間笑いが消えてしまいました!
花を育てることは、喜びも心配もあり、笑いも涙もあり、花も実もあり、香りも色もあります。働かなければなりませんが、またその分知識をもたらしてくれます。これこそ花を育てる楽しみなのです。