红歌と文化大革命と陈凯歌

週末には気楽に中国の方たちが再創造している「紅軍」の動画を紹介したのですが、なぜ、こんなに、紅歌の曲が使われているのかを不思議に感じました。
xiaoqさんの説明を無断で引用してしまうと、
聪明的xiaoq女士解释了
>「紅歌」というのは中国の革命賛歌。(最近「紅歌を歌って健康になろう」みたいな運動が某地方であったの)健康のために蒙蒙将軍が歌います。 


たしかに、見事に蒙蒙将軍は歌っていますよ。。。しかし、やはりどうして「紅歌を歌って健康になろう運動が某地方で起きたのかしらん?と、あまりいろいろな人に聞くのも恥ずかしいので、自分の小さな手でうろうろ調べてみると、やはりここでも、文化大革命という、中国語のテキストや映画や小説に頻繁に出てくるくせに、いまいち中身がわかっていない言葉にあたってしまいます。


わたしが適当にネットをうろうろして、勝手に推測をしてみた「紅歌」を唄う運動が一部で推進され、おそらくその推進運動以上にパロディとされている理由とは。

  • 特に重慶で、この紅歌運動が広まった。
  • 薄熙来重慶市委書記。文化大革命時期に、紅衛兵組織「連動」のメンバーであったことが有名。
  • 中国国内でも、この運動について様々な意見があり、そのいくつかは、「文革回帰」という声もある。
  • 90周年式典での胡錦濤演説の「文化大革命は意義が無かった」風の演説が、間接的にこの運動を戒めるものであるとかなんとか。。
  • ということを少しだけ含みおいての、やはり多すぎるくらいの「紅歌」や「紅軍」の自作動画を作る若者。


と、別に政治的なことを書きたいのではなく、やはり文化大革命のことを知らないと、とりあえず、今の中国のことがわからないなあと感じていました。
また、わたしから内田百輭の「件」を紹介した中国の方に、今度はいま生きている作家でおすすめの中国語小説を尋ねると、小説ではないけどということで、陳凱歌の“少年凱歌”という文章を薦められました。
この文章を読めば、文化大革命について歴史的説明ではない、「史的」実感が得られるという説明でした。
もしかしたら、「してき」というのは「詩的」だったのかも?というくらい、冒頭のわずか四,五行の一段落が、痺れるくらい美しい文章でした。
こんな感じです。やはり、你の使い方もポイントです。


一九六五年,我十三岁了。我开始在人前饶舌,又在饶舌者面前假装沉默。人到十三岁,自以为对这个世界已相当重要,而世界才刚刚准备原谅你的幼稚——原谅在过去,不是这个理由。因为你确实已经十三岁了。十三岁时发生的事情永远也忘不了。
特别留下印象的事,有两件。一件在夏天,另一件也在夏天。


まだ、一度も中国の原書を読んだことがないというか、全く読める水準ではないわたしなのですが、何事も、最初のひとつを何にするのかは、その道のゆくゆく先に影響を与えるほど重要なはず。という根拠の無いロマンチシズムを混ぜて考えたうえで無理をし、この「少年凱歌」を読めるところまで読んでみることにしました。そして、またまた例によって、ひとりだと挫けそうなので、もといさんにもつきあっていただき、とりあえず12月中に第一章だけでも、きちんと和訳をしてみようと思った次第です。
(と書いてみました)
ちなみに、この12月に、チェン・カイコーの映画「運命の子」≪趙氏孤兒≫も、公開されますね。
でも英語のタイトルだけ、「Sacrifice」というちょっと趣が違うことになっているのもとても興味を惹かれています。タルコフスキーの遺作と同じタイトルになっているところに。