無言歌

いつのまにか年をとってしまうと、身近には、様々な健康に問題がある話を聞くことが多くなります。命の質は同じなはずなのですが、そんな話を身近な人から聞くほど、一日の貴重さを実感させられます。
いろいろと時間が無くなっていた時に、中国の方に声をかけられて手作り餃子をご馳走になって、小説などなどの話をしては、また作文を見てもらいました。


わたしにとって今年の小説の一番の発見は、ショーン・タンが全てだったのですが、

The Arrival

The Arrival

遠い町から来た話

遠い町から来た話

また作品を全て読んでいると思っていた、カズオ・イシグロに短編集があることを知って、

夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語

夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語

ようやく最近読み終わるや、マイ大切な短編作家の10人に入れることに決定しました。
中国にも紹介されているらしい、石黒一雄は普通に日本人だと思われているらしいです。
勿論、どうして日本人でないのかを説明できません。もしかしたら、本人にもそれは説明できないのかもしれません。
中国の歴史の話になると、何も知らないも同然のわたしに、古代中国から現代までの歴史を一気に独特な解釈で教わりました。また、旧約聖書で説明されていた中国の話から、しつこく文革のことも聞きました。わたしにとって、文化大革命に関することで、一番理解できず、それでいて今とても興味があるのは、多くの中国の方にとって「文革は間違いだった」と断言する一方で、毛沢東を高く評価していることです。わたしが直接中国の方から聞く、文化大革命のニュアンスはどうも、wikiに書かれているような説明とは違うようです。
そして、文革をとりあげている、映画「無言歌」と陈凯歌 の「少年凯歌」を紹介しました。


わたしは、ワン・ビンのことは、今年の秋の全作品特集で知ったばかりなのですが、劇映画監督というより、やはりドキュメント作家という作風であった彼の新作が、普通に劇場公開されること自体がニュースかもしれません。
わたしが以前どこかで読んだ記憶のある、この映画の挑発的な宣伝コピーは、「毛沢東は政府へ反対意見を求めた。そして意見を言った者たちを全員投獄した」というような文句だった記憶があるのですが、今はあまり見かけません。



わたしが、文革に興味を持ってしまうのは、ここらへんにもあります。
朝日新聞では、何人かの人が今年の映画ベスト1にあげていましたが、決してドラマとして感動をよびかける映画ではないはず。


また、陈凯歌の「少年凯歌」は、もといさんといっしょに和訳をしようと話をしていたのですが、あまりにわからない名詞が多すぎで、こっそり翻訳本を手に入れてしまいました。この翻訳本の帯にある、また挑発的なコピー「文革はまだ終わっていない」と、それを説明している文章で、さらに文革と中国の歴史への興味が深まり、今月ようやく日本で公開される「運命の子」こと「赵氏孤儿」は、すでに中国で公開されていて、やはり张艺谋のように、若い人たちからは、終わった監督のように思われていることや、原作にあたる有名な京劇の話を大幅に変えているらしいということを聞いて、ああ、これも見に行かないとおっ、と思ったのでした。



わたしの今年残されたイベントは、映画の「無言歌」と「運命の子」を見ることと、「少年凯歌」を翻訳本の力を借りてでも読み切ることです。


またスペースがあまったので、添削していただいた作文を載せます。
作文については、発音と同じように、同じことを何度も何度も指摘されています。
大雑把に整理すると、
−量詞を使えていない
−了を正しく使えていない
−補語を殆ど使えていない
−这个,那个の間違い
などなど。最初の頃は、「まだ出来なくてもいいのでは」くらいに考えていたのですが、そろそろ同じ間違いばかりする自分が情けなくなってきました。
ただ、わたしにとっては、発音と同じなのですが、何度も何度も同じことを言われ続けて、ようやく、自分の間違いの様がわかってくるようです。また間違いがわかってくることと、それを訂正できることに、さらに時間差があるのも悲しいことのひとつです。
作文については、去年最初に見ていただいた中国語作文が、一番面白かったと言い続けられ、そんなビギナーズ作文ラックを越えるためにも、もう少し「奇妙な面白」に磨きをかけたいものです。
ちなみに、今回も中国語のテキストの重要語句と文法説明の句を全て使って作ったのですが、そんなルールを内緒にすると、語句の使い方の不自然さは指摘されなかったことだけが、わずかな救いです。
今回の指摘ポイントで「ほおお」と思った箇所。
中国的朋友とは言わない。違う意味になる。
发现了一条消息说,《大方》在发行两期之后被停刊了。の「说」の使い方。
ちなみに、これは雑誌の「大方」が中国当局(って何?)によって発禁処分となったニュースを知って、「大方」という言葉について書いた文章です。
文芸雑誌が政府(?)によって、発売中止となるのは、大きなニュースのような気がしたのですが、どうも一般的な小説を読まれる人たちにとっては、今回の事件は、そういう捉え方ではないようです。


《他们很大方》


听说在中国的传统里,“大方”是评价人的重要标准之一。
即使有的人很有能力,可是小气的话,可能没有朋友,而大方的人,则会有很多朋友。
在日本没有请客的习惯。
我的朋友随着在中国待的时间的,跟中国朋友吃着吃着不知不觉地请客了。
似乎和中国人一样越来越在乎“面子”了 。
他自己也说“我大方起来了”
今年我读楊絳的小说《林奶奶》,我知道的“大方”的意思是“気前がいい”。
这个日语是“毫不吝啬”的意思。
不料根据翻译本,在这篇小说里不是“不吝啬”的意思,而是像“稳重”似的意思。
我记住了“大方”和“大大方方”的用法。
这夏季这个夏天我去上海的时候,在书店看到了一本大号的杂志。
那本杂志是安妮宝贝编辑的,名字叫《大方》。
我哗啦哗啦地翻看本杂志,不料大致的内容是有关村上春树的采访。
我喜欢得不得了。
我从来没看过这么多关于他的采访,连日本杂志都没有这么详细的采访。
我毫不犹豫地去收银台买了那本杂志。
对我来说,虽然那本杂志的中文很难,但是看有兴趣的文章是我的乐趣之一。
那本杂志的名字《大方》的意思是“风格清雅”吗?

但是昨天我在网上发现《大方》在发行两期之后,被停刊的消息(→发现了一条消息说,《大方》在发行两期之后被停刊了)。
我在网上怎么查也不清楚被停刊的理由。
被停刊的原因究竟在哪里呢?
我没看《大方》的第二号的内容。
是因为艺术风格那么低吗?
依我看,现在中国经济的迅速发展把中国人推到两个极端。
听说在中国的传统里,“大方”是评价人的重要标准之一。
本杂志的《大方》是什么意思?
编《大方》的人是不是大方
使《大方》停刊的人是不大方吗?
我怎么也不知道大方的意思。