由紀さおりに中国語を学ぶ

わたしは以前から由紀さおりふぁんを続けたいたのですが、あ、ついでに平山みきのことも好きで、眺め方によっては、今のお二人の容姿が重なって見えることもあるのですが、それはまた別の話です。
で、ご存じのように、由紀さおりは、昨年あたりから欧米で注目されるようになり、ようやく世界が由紀さおりにおいついたね。とそれまで由紀さおり宣伝委員長の声に聴く耳をもたなかった人々の間でも、「なんか外国で由紀さおりがすごいらしい」という、「なにか感」が漂うところまでにはなりました。
そんな、「すごいらしいね」の人たちからNHKのドキュメンタリ番組で、昨年のコンサートの模様や多くの専門家たちの由紀さおり分析が放送されるという情報をもらい、白菜鍋を食べつつガン見をしました。
世の中には、いろいろな専門家がいるもので、音声分析の専門の方が彼女の母音の波長について説明をしたり、音声心理学の方が、心理的要素について解説をしていました。
また、同じステージにあがる姉の安田祥子さんが、妹である由紀さおりの、日本語の傑出した表現力についての説明を聞かされて、また彼女のJAZZホールでの歌を聴くと、たしかに一語一語が特別な響きを持っているような気がします。
アメリカ人のプロデューサは、「今までも多くの日本人がアメリカで成功しようと、アメリカを見て、アメリカ人に受け要られようとした音楽を作ってきたけど、どれも成功しなかった。本当にアメリカ人を振り向かせるには、アメリカ人に合わせる必要などなく、アメリカ人の知らない日本語の美しさがあればよかったのだ。」
というような説明では、そうそう。そうだったんだよね。と膝を何度も打ちながら、今までは、中国の人にはこんな文章が受けるのでは?とか、中国語的物語ってこういう感じだよねえ。というささやかでたぶん見当違いの媚を売っていたところを反省しつつ、またもや作文を書いてみてもらいました。


中国風構造から日本人本来の。。というか、今の日本にも無くなってしまったかもしれないけど、わたしにとっての純日本的世界というと安易に浮かぶのが小津安二郎的家庭。
というより、もはや山田太一かしらん。「咖啡」としか言わないような人たちだけの話を書いてみました。
また例によって、中国語テキストのある課に出てきた単語や語法ばかりを使って書いたところも同じです。
“带上了天长地久的光环”という一説はまさしくテキストに出てきたビタミンを摂取することの効用についての表現だったのですが、“天长地久”だけを使うのではなくて、その周り毎引用させてもらう(パクるとも言う)のもポイントです。
ただ、自分としては毎回、結構無理に語法や成語をあてはめて使っているのですが、書いている本人が思いもしない「ぴったり感」をもたらすこともあるようです。


由紀さおりの番組で、本人が「『小さい秋みつけた』の歌では、小さい秋をみつけたで終わってはいけないのよ」と言った言葉もとても印象的でした。小さい秋を見つけただけでなくて、では、彼女はどう表現をしているのかも説明をしていた気がするのですが、そこは白菜鍋の底に沈んだエノキを取るのに夢中で聞き逃してしまいました。


何か言語表現の本質について説明されているような、あるいはそこで番組が終わっていたような気もします。


≪天长地久的咖啡≫


我在汉语课本里读过好几篇的微型小说。
看上去课本里的中国小说有教训的特色。
我所读的那些小说,别说学习汉语的外国人,即使中国人来说那样的故事也是令人感到厌烦
因此我发觉,只要自己用中文语法写微型小说,就可以省得觉得窝憋。
对我来说,与其读道紱的恋爱小说,宁可自己写无内容的三角恋爱小说。
显然我写的内容偏偏是无意义。再说你难免觉得没趣。

他们三个人(两个人和它)现在谁也不认识谁于是后果最终谁也不认识谁。
不过只要你愿意他们就认识的。
然而现在要写的是别的故事。


(故事)是这样的:
有一家店的正门上悬挂着一个巨大的招牌,上面写着《咖啡》。
既没有店名,又没有吸引人的词句
只是白板鄢字写着《咖啡》二字。
又加上招牌稍微向上倾斜,简直像是面向天空亮出的一封挑战书。
为何特意安了那样的招牌,我不太明白。
对来来往往的路人来说,招牌的位置太高,而且连字也太大了。
我发现那个招牌的原因,也不过是那时偶然从车窗无意识地仰视了一下天空后罢了真可算既幸运又偶然发现的结果罢了
那次我们在远行后的归途中,已累得筋疲力尽。
掌握方向盘的朋友每隔20秒打一次哈欠,他的女朋友则在旁边睡得香甜。
烟灰缸里装满了烟头。从汽车内的立体声装置的喇叭里传出不知是谁的、有关2月和5月气温差的歌。
我读道:“咖啡。”
“咖啡?”朋友问。
“有写着咖啡的招牌”。
“那样的东西,到处都有”
“但是那张招牌有约6张榻榻米那么大小的招牌上,上面只写着咖啡两个字,还朝向冲着天空呢。”我抗议了。
“那是为了避开轰炸机。”他打了个哈欠后说,“像红十字的记号那样的东西啦。谁也不会轰炸咖啡店。不是吗(→你说呢)?”
“那倒是。” 我说。
在北方国道尽头的一个小的古城里,有一家挂着很大招牌的咖啡店,今天人们依旧在那里喝着咖啡。
在那里,有着咖啡般的和平,还有温暖美味的咖啡。


“咖啡。”
在天空中,年轻的轰炸手念着招牌上的文字。
“咖啡?” 驾驶员说。
“可以看见写着‘咖啡’的招牌”
要是在满是积雪的二月的下午的话,那或许能够带上天长地久的光环。