中日文化交流に失敗する

週末、出かけた際に、閉店間際の中華料理店に入りました。
時間が遅いことを心配していると、店には年配のおじさんが一人だけで、構わないと言われたので、定食を注文しました。
料理を待っている間、iPhoneで、「再別康橋」の動画を見ていました。料理を持ってきていただいた際に、「これはマズイ」と察したのですが、おじさんに「これは中国語?」と聞かれたので、この詩を読んでいるという話から、お店のおじさんは中国の方であったらしく、中国語の話になりました。


わたしは、最近よく中国語のテキストを持っていると、中国の方に話しかけられたり、電車の中でミニ中国語レッスンを始められたりすることがあります。
電車の席の右隣の人から四声を注意されたと思ったら、左隣の人には有気音をチェックされ、さらに前に立つ人からは、もっと大きな声で読んでくれと言われ、いつのまにか、周りが中国の人だらけで、中国語のテキストを読まされているわたしがいました。


この日も、おじさんは“请趁热儿吃吧”みたいなことを言ってくれるのですが、この詩は知っているけど、ここに「的」が入るのではないか。とか、この詩人の奥さんのことや、私生活のことなどなども中国語っぽい日本語と、日本語っぽい中国語を半々くらいで教えてくれました。
この動画が置いてある場所が、まさしくわたしのこの「はてな」であったので、この中国語は何かと聞かれたので、わたしが「フジロック」のことを書いた文章だと教えました。
おじさんが、かなり熱心に読んでくれたので、日本の中華料理屋のような定食を無事に食べることができたのですが、その間、ここが違うとか、こういう表現は使わないとか教えてくれたので、餃子に黒酢をつけながら、間違えている表現をメモしたりしました。
へんな表現も多いけど、これはあなたしか書けない文章だと肩を叩かれ、お酒を持ってきて、奢るから飲んでいいと言われたのですが、わたしは全くお酒を飲まないので断ると、遠慮をしているのかと思ったのか、何度もすすめられてしまいました。
それでも、本当に飲めないのだ断ると、本当にがっかりした表情をされてしまいました。死んだ気になって、一口くらい舐めようかと思っていると、今度は中国語の新聞を持ってきて、中国語で話をされました。
殆ど理解できなかったのですが、その新聞の一面が中国の列車事故の写真だったので、この事故についての意見を話しているようでした。
相槌さえ打てないわたしを見て、何度か「わかる?」と日本語で聞かれたので、わたしは何度か「几乎听不懂」と答えました。
おじさんは、本当に残念な表情をして、日本語で、「あなたは中国のお酒が飲めないから、中国語が上手くなれないのだ」と言われてしまいました。


そう言われると悲しいので、無理にお酒を飲んで。。という行為にも至らず、「无可奈何」と言ってしまい、さらに気まずい雰囲気にさせていしまいました。
おじさんから「ここでそういう言葉は使わないよ」とまた言われ、ついでに、さきほどのフジロックの文章も、気づいた間違い箇所を何度か整理されました。
お酒が飲めない無礼の代わりにと、一生懸命メモをしながら、おじさんを一番がっかりさせてしまったのは、何だったのだろうと考えました。やはり、わたしがお酒を飲めないことが悪かったのかもしれないし、最近の事故を切っ掛けとした、おじさんの話したかったことを理解できなかった、わたしの中国語力の低さが一番いけなかったのかもしれません。


お金を払う時に、中国語の新聞を手渡され、“○○、好好学习”と言われたので、中国語で何か言おうとしたのですが、また却っておじさんを傷つけてしまう気がしたので、ただ「ごちそうさま」と言ってお店を出ました。


店を出て少し経つと、強い雨が降ってきたので、頂いた新聞で体を覆ったため、新聞がびしょ濡れになってしまったことは、勿論おじさんには内緒です。