中国で愛を語る (三日目)


昨日の盲人マッサージの人は、体が横にも縦にも大きく、声も太くて大きく、ちょっと恐かったのですが、本当にマッサージをしているときは、これで治るのではないかと思って、腰を押されて唸りながらも、完全にこの腰痛が直ってしまい、毎日このお店にお礼と世間話をしに立ち寄る自分すら想像してしまいました。
しかし、現実はなかなか厳しく、結局は明日こそ、病院へ行く覚悟を決めました。
果たして中国の医者とコミュニケーションがとれるのか?そもそも、受付をどうするのか、支払いは、などなど、謎だらけです。。


そんな状況ですが、朝は書店で大量の本とDVDを買いました。もう中国語の教材は、何も買わず。しいていうと天声人語の中国語訳が教材っぽいのですが、後はいろいろな方が紹介してくれた作家たちの本と、DVDです。はたしていつになったら読めたり見たりできるのか、という疑問もありますが。無事に日本へ持って帰れるのかなあ。という漠然とした不安もあります。
あと、カシオの中国製電子辞書も見せてもらいましたが、値段が日本より高い、約3000元とだいたい同じ金額の2500元というのでは、手が出ませんでした。

今日、大学院生に教わったこと。
毕淑敏の本を買ったということを話すと、彼女が軍人出身であった話やチベットのことなど。また岩井俊二が好きで、彼は中国でとても人気があるとか。
発音は、unのときは、uenのeをさりげなく響かせて。
再•••不过了は、别提多•••了と、全く違う。再•••不过了には、最、唯一、というニュアンスがある。また、他人に対して言う言葉。
と、興味を持ったり、説明をしてほしい単語やフレーズを、わたしが別の言葉に置き換えて、同じ意味ですか?と聞くと、たいていは、こういうニュアンスがあるから違うと言われ、そこでわたしが、こういう文章では正しい?これは?などとすり合わせたりして、OKをもらうまで、例文を作ったりします。
実際には今日教わったことも、忘れてしまうことも多いと多いのですが、4時間話しっぱなしというのは、かなり密度が高い中国語会話が出来ていると思います。
ただ、腰が痛くて、何度か立ちあがっての会話となったのですが、それはそれで、臨場感のある会話練習でした。
前から感じていたのですが、漢字を見れば何の問題が無いような、たとえば不是•••就是•••。という文章も、耳で聞くと、意味がつかめなくなります。
二人だけの会話なので、いろいろと脱線し放題なのも楽しいです。それと似た成語があったなあ。というと、なんとかその成語をあててもらえて、また似た成語をおしえてもらうというのは、記憶に残ります。
また、「一番」という量詞の説明で、でも、これは必ず数は「一」しか使わないという説明で、例文を作ったり、わざと違う例文を作ったりして、でも例外で「三番两次」がある。という所で、そうそう、その成語は習ったことがありました!という繋がり方も、またとても面白いです。
「基本上」の言い換えで、十个•••有九个•••。という常套句の例文は作っているだけで楽しいです。


と、そんな本日の中国語テンションがさらに上がった理由のひとつに、書店での本探しが楽しく、また荷物が多かったので帰りはタクシーに乗ったのですが、運転手さんとの会話がほぼ100%成立したことでしょうか。
奥さんの仕事や息子の大学のこと、親子の関係や夫婦の関係を保つ秘訣を話してくれたので、わたしも自分の人生でも、本来は全く存在しない自分の明るい冗談好きな性格を無理やり作り出して応対して「結婚は愛が無くなっても親切が少し残っていればいい」とか適当なことを言っている内に、自分でもわけがわからないまま、ありえない早口な中国語を話している自分がいました。
しかし、未だに食堂の人たちと会話が上手くできないことは、忘れておきます。