加藤嘉一さんの中国語

よく紹介されている加藤嘉一さんの中国語学習方法で、中国語の新聞を声に出して読む。などなどは、みな外国語学習の正論で、それを徹底して使っているなあ。というものなのですが、ひとつ、「電子辞書を使ったことが無く、紙の辞書の方がいい」という記事が気になっていました。


わたしは、家ではPCに入っている辞書(ChineseWriter9)を使うくらいで、移動中にはiPhoneの辞書をごく稀に使うくらいなので、携帯用の電子辞書すら使わず、紙か電子辞書か。という考えすらわたしには無かったのですが、電子書籍より紙の書籍の方がいい。と置き換えれば、納得できるところもあります。
長く使い込んで、その形が変わっていく様は、ちょっとした革製品の用でもあり、逆に愛着もわいてきます。加藤嘉一さんが、紙の辞書の方は戦友であると言うその感覚の、「使い込むほどふくらんでいく感じが好き」という説明も古本好きにはよくわかります。


という加藤さんの発言を真似したわけではないのですが、中国語を始めて一年たってようやく紙の辞書を買いました。

たいていのテキストには中国語は単語単位で覚えた方がよい。というようなことが書いてあり、市販の単語集は全てそのようになっているし、電子辞書をひいても、必要な単語とその例文を見る限りは、単語の連なりでしか、引くことがありませんでした。

しかし、中国語の知らない単語に出会って、あわてて辞書をひくとどちらかの一語は既知の語であることが多くあります。ただ単語の組み合わせでしか記憶にないと、それが知っている単語と単語の組み合わせであることに反応できませんでした。
また、それが音から入った時にもさらに、気づきの悪さが倍増します。
さらに全く知らない語の組み合わせも、各々の漢字を調べると、結局はその多くは各漢字の意味の重なりによって、単語の意味が成立していることに気づきました。


そんなこんなでようやく紙の辞書を書店で見てみると、殆どの辞書は、親字があって、それから見出し語。という構造になっていることに今更気づいたというわけです。

とはいえ、厚い紙の辞書を使うのは気がひけるので、寧ろ掲載親語を3,200語にしぼったとある「身につく中日・日中辞典」を、もう今年はこれ以上中国語関連でお金は使いませんから。と呟きながらレジへ持って行きました。
この親字3,200語を、辞書としてひくと言うより繰り返し覚えるために、その意味を覚えると言うより寧ろ声調を確実に記憶するために、彼を無事に分厚く太らせてあげたいものです。


加藤さんにとっても、中国語学習の習得では、中国語を書くことに一番時間がかかったとありますが、初心者でも感じる、「中国人のように話すことより遥かに難しい中国人のように書くこと」とはまた違ったレベルで、自分の文章を取得していく難しさを説明しています。ただ、中国語の自由作文もどきをやって感じるのは、「自分のスタイルで中国語を書く」という領域は、正しい日本語力が基本にあって、さらに日本語でも自分の文体を持っている人が意識できることかもしれません。


また、わたしが加藤嘉一さんの写真を見るたびに考えるのは、この人は中国人にしか見えない。ということです。それはおそらく本人も意識した髪型と表情をされているのかと思うのですが、わたしにとっては、それも含めての「加藤嘉一」式中国語だと思うのです。


你们知道加藤嘉一先生吗?
最近加藤嘉一先生总算在日本也成名了。他说的汉语很地道。每当我看到加藤嘉一先生的照片,就觉得他的容貌跟中国人很像。这可能是本人故意将自己打扮成中国人一样的发型,做出和中国人一样的表情。不过,对我来说,这确实是“加藤嘉一的汉语”