未完待续

週末の中国語レッスンでは、辛い食べ物の話から広がりに広がり、約1時間半ずっとフリー会話というか聊天儿となってしまいました。
それが良いことなのかどうか分かりませんが、またもや録音機を持って行くのを忘れてしまいました。心理学的には、忘れるという行為には理由があるらしいのですが、それはあまり考えません。
老師は、中国料理にも詳しく、なんと中国料理教室も開いているとか。また近所に住んでいるので、どの店が美味しいとか美味しくないとか、「一般」だとか。老師の評価では、日本で食べた中華はみんな「一般」以下で、たいていは自分が作った方が美味しいとかとか。
会話用に用意しておいた作文を使って、所によってはカンニングペーパのように、そのまま話したところ、「典型的な日本人的な中国語だ」と言われました。
それは、以前からもよく言われているのですが、文法で間違えていなくても、中国人はこういう言い方をしないと。でも、日本のテキストや辞書でも、よく「文法的には間違えていないけど、そんな言い方をしない」表現は多いとのことです。
その一番の理由は、頭の中で日本語から中国語の翻訳をしてしまうからで、この作業をしていく限り日本人的中国語が無くならないとも言われました。確かに中国人が書いた日本語を見て、日本人の文章ではないと感じることがあるので、当然このようなこともあるしれません。
が、中国人的な発想で考えて中国語の文章を組み立てるというのは、なかなか先が見えない地点のような気もします。


やはり近所に住んでいるので、近くの店や映画館の話やスーパーの売り場の話など、まさしく「おしゃべり」としか言えない話題に終始してしまいました。
最後に、今日はお喋りが楽しかったけど、テキストを進められずに申し訳ない。みたいなことを話されていたのですが、とりあえず老師が聊天儿を楽しんでくれたのであれば、よかったのやも。。しかし、老師の話の2/3位しか意味を捉えられないのですが、勿論そんなことも言えません。
あと、わたしが書いた村上春樹の作文の添削についても、見直したらあまり良い出来でないので、もう一度直します。とも言われました。いやいや、そこまでしてくれなくても。とも思ったのですが、老師自身が書いた中国語の「文法的には間違えていないけど、さらに適切で美しい表現」というその結果をまた見てみたくなりました。


老師が教えている生徒さんは、殆どが中国の駐在経験が長い奥様らのようで、相当レベルが高いのかもしれません。わたしには、授業が難しすぎると思ったり、あとテキストの進行が早いです。
初級テキストも約半年で終わらせて、今や中級のテキストも一課が一、二度の授業で終わらせる感じです。それは、個人レッスンなので自由にできるのですが、殆ど音読をして、分からない箇所だけを聞く。という感じなので、完全に予習をして不明点を無くすと、わたしの音読のチェックでレッスンは終わります。と、そもそもこれらは全部自分から最初にお願いしていることでもありました。


中国語のレッスンという目的を、中国語の上達。という場所だけに置かず、もう少し違う場所として考えてもいいのかしら。と思ったりしたのは、老師が小学生の時によく読んだという「冰心」の録音CDつき本を見せたところ、老師が殊の外喜んだ顔を見せてくれたのが嬉しかったからなのです。
中国の小学校の授業について、自分の子供達の教育について、またわたしが見たことがない張芸謀の映画の解説などなど、老師に会ったからこそ、「ほお」と唸る回数も多かったので、もう暫くは。。今使っているテキストが終わるあたりまでは、節約生活を送ってレッスンをお願いしようかしらん。と、もとより費用対効果など、考えられない出費なので、もう暫くは月謝のことは忘れることにします。


我每周一次去汉语老师家学习汉语。只是,因为学费不便宜,所以拿不定主意要不要继续去老师家。而且我的工作不使用汉语,也没有必要参加汉语考试,因此考虑“费用对效果”的话,恐怕完全划不来。但是,因为跟老师聊天儿,可以听到中国人的想法,互相谈中国和日本的事非常快乐,所以我暂且想继续上家教。