「家有儿女」で芝居上手になる


もう家有儿女を見ながら、役者と一緒に台詞を言えるようになりました。
そして、もはやシャドウイングとか語学学習的方法では全くなく、役者の声も聞かずに、自分で役者になったつもりで、喋ります。
最初は、ただCDでの練習と同じように、音読をするつもりだったのですが、音読の基本は、その音と何もかも真似をする。を信条としているわたしは、DVDを見ながらの音読となると、もう役者の真似をするしかありません。
この短いドラマの中で、ジェットコースターのように喜怒哀楽を表現する役者達に、やはり負けてはいけないという役者魂(あったのか!)が燃え始め、わたしももっと観客に笑いをとりたいとか、もっと泣かせたいとか、もしかしたら間違えた方向に走っているかもしれません。と、いつのまにか、ここでも学習ではなくなっているのかと自分を頷かせます。
今は、まだ第二話の2/6が終わったところなので、調子に乗って、第二話の残りを全く予習をしないで見てみました。また面倒だからか、純粋にドラマを楽しみたいからか、ほとんど字幕も見ないで続きをみたのですが、これがドラマの力なのか、およそ内容を理解することができました。
ただ、そこで理解できた。と感じてしまうのは、もはや語学の听力とは違う力のような気もします。役者の表情や身振りで、あるいは、長い台詞のほんの一部が聞こえただけで、なんとなく話全体の流れを察することは出来てしまいます。
これは、語学学習とは違う。という考えもあるかもしれませんが、さらにこれを短い時間で集中的に何百話と見続ければ、単語や文法を学ばなくても、自動的に「ある程度」の語学力がついていくのではないか。とも、たとえば、ツインピークスを字幕無しで見てわかったふりをしていたことや、中学生のときに交換留学生とお互いの言葉を知らないくせにそれなりのコミュニケーションを取れてしまっていたことや、日本に来たことがない中国の人が日本のドラマをネットで見ているだけで日本語を覚えてしまったという話を強引に関連づけて、ドラマだけでも語学を学ぶことはできるのでは!とも思わなくもないです。
が、これもまた自分の貧乏性か、楽しいだけでは物足りない。という感覚が下地にあるのか、「地道に苦労してこそ、わが人生」。。いや、「その努力が報われないことこそ、人生の醍醐味」との信条のもと、またもう少しテキストの音読や背诵をしたくなりました。
と、なんだか常に思いつきで、ころころと学習方法を変えているようですが、その通りです。
とはいえ、9月になったので、週末には、今一度プロジェクト管理のように12月までの予定を作りたいです。


北京大学の500字レベルの小説「電脳公司的秘密」も読みました。ただ、300字小説に比べると、つっこみどころがなく、まあ普通のあまり面白くない小説。という感じが残念でした。ソフトの盗作問題で、最初から怪しい人間がでて、予定調和的な物語が進んでいくだけでした。この、「つっこみどころがない」という点で、あと残りの4冊を読むのも多少辛く感じるのですが、できれば、この週末に、一気に読んでしまいたいです。
ただ、今回は文字量も多く、音読CDのスピードで1時間20分くらい?結構なボリュウムでした。中国語の小説をたくさん、読みたいのは、決して単語を覚えたいのではなく、語感を身につけたいからなので、それが実現されているのかも、よく実感できていないのですが、何カ所か基本的な単語の集まりなのに、意味がとれなくなるところがありました。「家有儿女」で学習していても感じるのですが、細かく見れば見るほど、どうしてここでこういう言葉を使うのだろう。と気になるところが結構みつかります。老師からの説明をしてもらっても、完全にすっきりするわけではないのですが、まず躓いたり進んだりしながら、あとで文法書を読んだり、単語集で確認をしていきたいです。。と、学習しはじめた頃から考えていますが、ままなりません。。