只要功夫深,铁杵磨成针


文化の日に、どこかで買ったのか、古いテキストの「修訂新中国語・上」をめくっていて、発音の練習になりそうかと思って、最初の課をCDと一緒に丁寧に読んでいました。
それが、結構面白く、結局このテキストの最後までを読んでしまいました。
特に、言い換え練習が、しつこいくらい繰り返されるのですが、これが本文の前にあるので、本文を読み上げるときには、すでに全ての文型が頭と体に入っているので、すらすらと読めてしまいます。
それが、あまりに面白かったので、また最初から二回繰り返しました。
ついでに、このまま下巻もやってしまおうとしたのですが、この下巻が、今のわたしの水準と同じくらいのようで、なかなか一気には進めるのがもったいない。というか進められないため、もう少しあとの楽しみにとっておくことにしました。


また、まえに古本屋で買った中には、この修訂の前にあたる「新中国語」の4巻もありました。で、これがまた、わたしの今の中国語水準よりかなり上なので、これを読むのは、もう少し先だろうと思ったところで、でもこのテキストはどこかで見たことがあるなあ。と記憶の扉を叩いたのですが、何度も読ませていただいた中国語学習ブログのこちらにありました。
http://ai-chan.cocolog-nifty.com/chinese/2004/11/post_1.html
そして、こちらのブログの作者はこの新中国語の4だけでなく、5も暗記をしていたのですね。これは、最近になってようやく暗記をはじめたわたしが想像するに、自分では、おそらく300回どころか、500回読んでもたどり着けないような気がします。


今は、一週間にほんとに薄い大学のテキストのたった一課分に苦労しているところです。
ただ、せっかく暗記をすすめていた文章も、今回が一番長いので、覚えたと思ったところが忘れて、また新しい部分を覚えると、前日の分がきれいに忘れ去られていたりします。恐ろしきは、わが頭脳です。


さらに老師の授業で、使う中級のテキストが難しすぎる。李白が、老婆婆 石头上磨一根铁棒を見ては、只要工夫深,铁杵磨成针とか豁然开朗とか锲而不舍とか持之以恒とか专心致志とか言ったりする課なのですが、多くの単語が頭の中に入ってくれません。音読が精いっぱいかもしれない。
ただ、この課で、まさしく中国語の学習には「最好要能背诵」と説明されていることに背中を押されながら、ほんと、ブログなんて書いていないで、もう少し音読と暗記をします。
世上无难事,只怕有心人。只要不怕艰难,勇敢攀登的人,就一定能到达风光无限的顶峰。

中国語人が書くような中国語を書く

中国語は発音に始まり発音に終わるとよく言われ、その言葉が呪いのように、意識せざるをえなくなっています。
ただ、こちらは、自分の到達点がはっきりわからないまでも、それなりに自分の問題点や、目標とすべきことなどは、想像しやすいです。
中国人のような発音というのは、近づけるべきであっても、そこへの差があることを正しく意識し、常に自分の発音を見直す意識を持てれば、それでいいのではないかとも思います。
それに対して、最近思うことは、「中国語人のような文章を書く」ことについてこそ、できそうで、永遠に到達できないのではないかと考えるようになりました。
老師にわたしの書いた中国語を修正してもらうと、「文法的には問題がないけれど。。」という説明のあとの修正点は、それがどうして、その表現がいいのかを理解するのは、どれだけ単語や文法を学んでも到達できないのではないかと思わされます。

また、最近は、Lang−8で、作文を見てもらっているのですが、同じようなことを感じさせられます。また、逆に多くの中国の方が書いた日本語を修正していても感じるのは、これが、どうしてこの言葉ではなく、こちらの表現の方がいいのか。という点は日本語の文法だけでは、説明できない箇所の方が多いのではないかと思います。


日本人と変わらない発音で話され、日本文化にも、一般的な日本人よりも詳しい中国の方でも、その書かれた文章をある長さで見ると、やはりどうしても日本人では書かない表現を見つけられます。
実はわたしの会社の社内システムは、オフショアで中国の方が対応しているのですが、電話では、本当に日本人と変わらない発音と専門的な言い回しができる方達も、長い文章を書かれると、やはり日本人の書いた文章ではない。ことを気づかされます。


その間を埋めることについて、一度老師に相談をしたところでは、日本語から中国語の翻訳をしない。自分の中国語作文をしないこと。と言われたことがありました。
中国語で考えて、中国人が書いた文章を引用すること。というような意味の話でした。


それはそうかもしれないけど。。と週末にはなしつつ、老師のレッスンでも使った「漢語初級口語教程」の下冊が一通り終わりました。まだまだわたしは、初級のテキストでレッスンをしたかったのですが、次回からは、「漢語中級口語教程」を使うことになってしまいました。
テキストを開くと、知っている単語より、知らない単語の方が多いじゃないですか!と抗議をするも、なぜか受け容れられませんでした。
とりあえず、老師の仰せのままについていく子羊のようなわたしです。

中国語の暗記と多読

多読の教材としてお土産で集めてもらったテキストの「我当上了中国女婿」は、相当面白かったです。これは後ろ表紙を見ると、1000語標準で書かれたテキストとなっています。
北京大学の同種類の書籍も、1000語を読んだのですが、文章は妙に易しくて、それでいて内容は面白くなかったのですが、この北京語言大学のシリーズは1冊読んだだけですが、とても面白く、その内容にすぐ入り込めます。それでいて、1頁に4,5語知らない単語が出てくるのですが、それらの単語についても欄外に英語で説明がついているので、全く停まることなく読み進められます。
今回読んだ「我当上了中国女婿」は、中国の恋愛、結婚事情について書かれた14の文章が集まっています。今、手元に本がないので正確ではないかもしれませんが、中国式の「ロマンチック」というエッセイでは、こんな感じです。


中国式的“罗曼蒂克”
对他而言,身体接触,约会,应该是恋爱的关系;而对这个男孩来说,他可能想到的是有趣,她只是许多女孩中的一个,没有任何特别的意思。
ここでは、男がアメリカ人で女性が中国人という背景です。さらに、別のエッセイでは


职场存在“已婚歧视”吗
左菲菲去一家公司找工作,面试的过程非常顺利。最后,主人突然问了这样一个问题:“你结婚了吗?”早已结婚的左菲菲用一秒钟的时间对当时的情况进行了判断,接着毫不犹豫地回答:“没有。”然后主使人说:“你看什么时候能来上班?”

と、わたしの僅かに知っている中国人女性の性格からも想像し易い場面です。
同シリーズの他の本は成語の由来であったり、故事であったりとするようなので、全部が全部こういう内容ではないかもしれませんが、わたしのような1年以内の学習者が読めて、読むのに値する本だと思います。興味がある方はぜひぜひ試してみてください。日本の輸入教材をネットの店でもたいていは扱っているようです。


ただ、もっと一生忘れないくらい中身を暗記したいという試みで使っているのが「心に残る中国語」です。今週末に老師の前で暗唱を披露するのは、老舎の先週の続きです。
特に後半部の音の美しさが印象的なのですが、これも手元に本がないのですが、暗記を確認するために書いてみます。

第三课 养花
老舍

不过,尽管花草自己会奋斗,我若置之不理,任其自生自灭,他们多数还是会死了的。
我的天天照管他们,像好朋友似的它们。一来二去,我摸着一些门道,这就是知识呀!
多得些知识,一定不是坏事。


我不知道花草们受我的照顾,感谢我不感谢;我可得感谢它们。
在我工作的时候,我总是写了几十个字,就到院中去看看,浇浇这棵,搬搬哪盆,然后回到屋中在写一点,然后再出去,如此循环,把脑力劳动与体力劳动结合到一起,有益身心剩余吃药。

送牛奶的同志,进门就夸“好香!”这使我们全家感到骄傲。
花儿分根了,一棵分为数棵,心理自然特别喜欢。
有喜有忧,有笑有泪,有花有实,有香有色,即须劳动,又长见识,这就是养花的乐趣。


だいたい合っているような気がするのですが、いくつかの単語は、すぐ漢字に変換できずに、日本語から辞書を引いて確認をしてしまいました。いつまでたっても、なかなかピンインが頭に入りません。さらに四声が頭にも体にも入りません。
テキストでは、2頁にまたがっている文章なのですが、こうやって初めて文章を打ってみると文字数の少なさに驚かされます。しかし、木曜日にここまで書けても、土曜日に完全な発音と四声で、背诵できるかというと。
今までの感触からして、まだ50%くらいでしょうか。
細かなところまで、発音と四声の精度をあげようと思います。
何度も練習をすると、言いやすいところと、言いづらいところが明確になって、またそこに力を入れることができて、面白いです。ああ、今は中国語の何を読んでも聴いても見ても話しても、面白くて死にそうです。

中国語が面白くて仕方ない

今日は、老師の前で老舎の暗記した文章を朗読したのですが、また完全には出来なく、単語や文章を抜かしてしまったり、などなど。
ただ、その暗記を朗読する前の聊天儿が、いつになく長かったから。と心の中では言い訳をしました。
また、暗記をするようになって、まさしく精読をせざるをえなくなり、細かな単語の使い方が気になるようになりました。
と、このテキストは、老師が言うように中国人なら誰でも知っているような名文でもあり、語学テキストとして作られた、文法や単語を無理に使わせていることもないので、文章がとても自然に感じられ、暗記がしやすいです。
あとは、わたしの記憶力だけの問題ですが、このペースだと大学の一年間分の量が3ヶ月後の12月には終わりそうです。
実はもう最後までざっと読んではいるのですが、この一冊を永遠に忘れない「完璧な暗記」が成功できれば、もうそれだけで至福の喜びです。


ひたすら面白い中国語文章を探しているのですが、多読目的でお土産に買ってもらった、北京語言大学の1000語水準のテキストはかなり面白いです。北京大学の同種のテキストに不満ばかり書いてしまいましたが、この北京語言大学の方は、内容が面白くて面白くて、本の中に体が入ってしまうような感覚を味わえました。900語程度の文字数の短いエッセイのような文章が14入っています。
一度に全部読み終えるのがもったいないので、途中でやめたテキストの名前は、「我当上了中国女婿」です。このシリーズは、他にも5冊あるので、相当楽しめそうです。


あとは、相変わらず、「家有儿女」を3話の第五課。テキスト一冊に4話が入っているので、来月には終わる予定です。
ただ、子供向けのドラマのくせに、この間読んだ大人用の映画テキストよりも、わたしには難しく感じる単語が多く、また反語や辞書に載っていない口語など、これも老師に教えてもらってこそ、ようやく理解できる内容です。
いったん4課が終わったら、しばらく時間をおいて、5話には来年から再開をしましょう。などと考えたりもして、当面はたった4話ですが、字幕を見ずに完全に聞き取れるところまで何度も見返したいです。


しかし、週末は中国語に触れる時間が取れて、楽しくて仕方ありません。楽しくて死にそう。と、まさしく开心得要命。。
あと、今まで使ったあれやこれやのテキストを復習すると、今まで気づかなかった様々な事を発見したりして。と、休日の夜はまだまだ終わりません。