我的父亲和母亲


毎月、同学のもといさんと同じ中国語文章の和訳をしています。どうして始まったのか、もう忘れてしまいましたが、今回の題材は映画の和訳にしましようと決めたものの、原文を起こすのは無理かなあ。と天井の染みを見ながら他人事のように考えていたところ、江南紅豆 さんや、当のもといさんから、テキストをいただきました。ありがとうございます。と感謝をしながら、自分の家にある中国で買ったVCDを見たところ、肝心の中国語字幕が無いではないですか。これでは、さすがに今回の和訳は無理かしらんと思っていたところ、お二人の作ってくれたテキストを読むと、映画のセリフが聞き取れるではないですか!
映画に字幕はないのですが、テキストをちらちら読みつつ画面を見ていると、内容が殆ど理解できました。
ということで、殆どお二人の文章を頼りに、雪道を章子怡が先生を探して出かけたところから最後まで和訳をしました。
きちんと和訳をするという機会は、本当にもといさんとの和訳をいっしょにするくらいしか機会がないのですが、やる度に、和訳は中国語の習得にはとてもいいと実感できます。
中国語の学習方法として、中文和訳を薦めている人をわたしは知らないのですが、練られた中国語を和訳する作業は、総合的な中国語の提高になると思います。
和訳こそ、何度も精読をすることになり、読解やヒアリングだけでなく、日本語にしてこど、中国語の表現方法が理解できて、中国語作文に一番効果があると感じられました。


映画の中身について解説をするのは省略しますが、昔々に映画館で見たときに感じられなかった、この作品の巧妙に張られた複雑なつづれ織りのような糸たちの仕組みの幾らかには気づくことが出来たと思います。
この日本語タイトルをつけた人のセンスは原題を凌ぐほど、日本人的であり、また作品の主題を突いていると思います。また、何度も出てくる、朗読の文章自体も、映画に巧妙な効果を与えています。ピンインを書きましたので、みなさんもぜひ、この子供たちと一緒に音読をしてみてはどうでしょう!


初恋のきた道 [DVD]

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―― ここから ―――

那天母亲没走到县城就晕倒在半路上了。有过路人看见给村里捎了信儿。村长和夏大叔他们套上马车连夜把母亲拉了回来。我记得村长后来我说过一次,说那天母亲的两手冰凉冰凉的。在马车上,他用皮袄暖了一路,都没暖过来。


その日、母は県城には着けず、途中で気を失って倒れてしまった。通りかかった人が見つけて、母が倒れていたことを村人に教えてくれた。村長と夏おじさんが馬を車につけて、その夜すぐ母を連れて戻ってきた。村長が後でこう言ったことを私は覚えている。
あの日母の両手はとても冷たかった。馬車の上で村長が毛皮で温めたがずっと暖かくならなかったのだと。


大夫;不要紧,冻着了,虚火上开。气血淤滞,歇两天就好了。
姥姥;村长,你说说,这先生到底还能不能回来?
村长;这城市人的事,我也讲不清楚。照理说,他也该早回来了。
姥姥;你们有谁方便,给先生捎个信?他不回来,招娣怎么办?我也拦不住她。就让先生回来,看上她一眼也好。


医者:大丈夫だ。凍えていてのぼせているんだ。血管が詰まって滞っている。二三日休めばすぐよくなるよ。
婆さん:村長、話してください。先生は結局戻ってくるのかい?
村長:都会のことは、俺にもよくわからないさ。普通はもうとっくに戻っているはずだ。
婆さん:あなたたちの誰か、先生に伝えてくれないか?先生が戻ってこなかったら、招娣はどうなる?あたしは、招娣を止められやしないよ。ただ先生が戻ってあの娘を一目見てやってくれるだけでいいんだよ。


春天来了,念。
春天来了。
春风吹化了冰雪,念。
春风吹化了冰雪。
吹绿了草地,念。
吹绿了草地。
农民在种庄稼,念。
农民在种庄稼。
牛在耕田,念。
牛在耕田。
大雁飞来了。
大雁飞来了。
青蛙结束了冬眠。
青蛙结束了冬眠。


(訳は省略して、みなさんも大きな声で音読をしてみましょう。そして、うまくできたら、ネットにあげてみましょう!!)


姥姥;娣儿,你醒了?你都睡了两天了。你还不知道,先生回来了。先生回来了。先生昨晚就回来了。一回来就上咱们家来了,就在这儿守了你半宿。娣儿,这下可好了,先生回来了。它这是为你回来的呀。


婆さん:娣儿、目が覚めたか?おまえは二日間も寝ていた。まだ知らないかもしれないが、先生は戻ってきたよ。先生が戻ってきたよ。
先生は昨日の夜戻ってきた。戻ってくるとすぐに家に来て、ここでおまえをずっと看病していたんだ。娣儿、よかったな。先生が戻ってきたよ。おまえのために戻ってきたんだぞ。



充满勃勃的生机。
我们的心情也跟万物一样。
我们的心情也跟万物一样。
充满新的希望。充满新的希望。
充满新的理想。充满新的理想。
春天来了。春天来了。
春风吹化了冰雪。春风吹化了冰雪。
吹绿了草地。吹绿了草地。
农民在种庄稼。农民在种庄稼。
牛在耕田。牛在耕田。
大雁飞来了。大雁飞来了。
青蛙结束了冬眠。青蛙结束了冬眠。
小燕子在欣喜地喳喳叫。
小燕子在欣喜地喳喳叫。
春天是播种的季节。
春天是播种的季节。
万物都在生长。万物都在生长。
充满勃勃的生机。


生気盛んに満ちている
私たちの気持ちも万物と等しい
新しい希望に満ちている
春が来た
春風が雪を溶かす
草地は緑ふく
農民は畑仕事をする
牛は田を耕す
大雁は飛んでくる
蛙は冬眠から目覚める
燕は喜んで啼く
春は種まきの季節


村人;骆先生,骆先生,招娣来看你了。先生,先生,招娣来了。

儿子的独白)天鄢前,刚刚回来的父亲就又被叫走了。因为他是偷着跑回来的。他是听说了母亲的情况后,实在忍不住私自跑回来了。由于父亲的这次行为,使他和母亲最后见面的日子又推迟了好几年。后来我听乡亲们说,当父亲真正和母亲相聚的那一天到来时,母亲又特意穿上了那件父亲喜爱的红棉袄,站在路边等着父亲。从那天起,父亲就再没离开过母亲一步。
这就是父亲和母亲的故事。他们相识,相爱的过程都和这条路有关。这是我们村通往县城的一条普通的山路。也许是因为母亲曾经那么殷切,那么长久地在这条路上等待过父亲,所以她还想陪着父亲再从这条路上走过来。


村人:骆先生,招娣が先生に会いに来たよ。先生、先生、招娣が来た。
息子の独白)暗くなる前に、帰って来たばかりの父はまた呼び戻された。父が抜けだして来たからだ。父は母の具合を聞いて、本当に我慢できなくなって帰ってしまったからだ。父のこの行為によって、父と母が最後にまた会う日が何年も伸びてしまった。
その後、みんなから聞いたところでは、父が本当に母と逢うというその日が来たとき、母はあの父が特に気に入っていた赤い綿入れの服を着て、道端に立って父を待っていた。その日から父は二度と母のそばから一歩たりとも離れなかった。
これが父と母の物語だ。彼らが知り合い、お互いを愛した過程とこの道は全て繋がっている。この道は村と県城を結ぶ普通の山道だ。でも母があれほどにも切実になり、あれほどにも長い間父の帰りを待っていたので、だからこそ母はまた父と連れ添って、再びこの道を帰って来たいのかもしれない。


儿子;村长。村长。
村长;谁呀?
儿子;我,生子。
村长;生子,有事吗?
儿子;有事。
村长;有事快进屋说,来,挺挺冷的。有什么事啊?
儿子;我妈的心事我想明白了。咱们还是抬吧。
村长;你也要台?可是咱们村还有点困难。
儿子;不就是忍受不够吗?你看这样行不行,村长?咱们到邻村雇点人来。
村长;雇人,邻村倒是好雇。现在就得钱?
儿子;那没关系。您帮我算算得多少人。
村长;人嘛,要是近点有十几多个人就够了。因咱们这儿离县城太远,这个你必须得十六个人的杠子。得两班,两班就得三十二个。三十二个人呢,再有几个闲人,拿凳子放在路中,有的累了可以搁上歇歇。这总共得个人三十五个人吧。
儿子;那一个人得多少钱呢?
村长;一个人,现在咱们就给他一百块钱就可以了。
儿子;三十五六个人,那你给算算总共得多少钱。
村长;人呢,三十五六个人,三千五六百块钱。算上有抽烟的,咱们还要给他买点烟,又喝酒的,这酒我也得买点,因为天太冷。要有点什么事,也担不住用两个钱。这总共我算一下,大概下来可能有四千多块钱就差不多了。
儿子;村长,还是五千块钱,够不够?
村长;足够了,用不了。



息子:村長、村長。
村長:誰だ?
息子:私です。生子です。
村長:ああ、生子、何か用なのか?
息子:ええ。
村長:用事があるなら、さあすぐ中に入って話そう。そとはとても寒いぞ。いったいどうした?
息子:母の考えていることが、私にもわかりました。われわれは、やはり父を担いで行きたいのです。
村長:おまえも担ぐって?しかしわれわれの村でやるには問題があってな・・・
息子:人が足りないっていうのでしょう。こういうのはどうですか、村長、われわれが隣村から人を雇うのです。
村長:隣村の人を雇うのはできるが、ああ、金がかかるな・・・
息子:それは問題ないです。どれだけの人が必要なのか教えてください。
村長:人はなあ、もし近かったら10数人で足りる。ここは県城からかなり離れているので、そうだな、16人で担ぐだろう。二組必要だ。二組で32人。32人で、また何人かは休むためも腰けを持つ者もいる。途中で疲れるだろう、そうすれば腰かけを置いて休める。全部合わせれば35,6人だな。
息子:その一人にはいくらかかるのですか?
村長:今なら一人に百元払えばいいだろう。
息子:ああ。35,6人ですね。ちょっと計算してください。全部でいくらかかりますか?
村長:人は、どうせ35,6人なのだから3千5百、6百元だろう。煙草を吸うやつがいるとすると、煙草も買わないといけない。酒を飲むやつもいるので、酒も買うだろう。こんなに寒いから、万一のことがおきて、担げなくなったらまた金がかかる。全部合わすとだいたい4千元ってところだな。
息子:村長、これが5千元になります。足りますか?
村長:ああ、足りるさ。十分だ。


村长:哎,高举点啊。老嫂子,去看看骆先生吧。
村人:去看的时候可别哭。别让眼泪掉在骆先生身上,不好。
村子;骆先生,咱们回村了,要走好。
儿子的独白)那天抬棺来了一百多个人。听村长说,他们都是父亲的学生。他们知道了这件事就都褰来了。有很多人都是从外地褰回来的。也有从市里坐着小车来的。村长说最远的从广州褰过来的。还有几个人被风雪误在了半路上,没有来得及。来的人大部分我都不认识,有的人比我大得多。我不知道他们都是父亲哪一年的学生。也不知道该怎么称呼他们。村长说,反正都是骆先生的学生嘛。


村長:おい、もっと高くあげて。奥さん、骆先生を見に行きましょう。
村人:先生を見るとき、泣いてはだめだ。涙が先生の体に落ちると縁起が悪い。
村長:骆先生、わたしたちは村に帰って来たよ。さあ、歩いていこう。
息子の独白)その日、父の棺を担ぎに百人以上の人がきた。村長が言うには、彼らはみな父の教え子なのだ。彼らはみなこの父が亡くなったことを知って駆けつけてきてくれたのだ。多くの人たちは、遠方から急いで駆け付けて来たのだ。市内から車に乗って来た者もいる。一番遠くから人は広州から来た人がいたそうだ。また風雪のために途中で止められて来られなかった人もいた。
来た人の殆どを私は知らない。私よりとても年上の人もいた。彼らがみな父のいつの時の学生なのかは分からない。また彼らを何と呼べばいいのかも分からない。村長は、いずれにしろ彼らは骆先生の生徒なのだと言った。


村长;生子,这些钱还给你吧。
儿子;怎么能不要啊。不是说好的吗?
村长;来的人都不要,就连咱拿钱雇的人也不要。也就是一分钱也不要。你还是装起来吧。
儿子的独白)按着母亲的意思,父亲就安葬在前井旁边。村里有了自来水,井就荒了,早就没人再挑水了。母亲说,在这儿父亲可以天天看到学校。母亲还说,将来她也要跟父亲埋在一起。办完父亲的后事,村长特意来说起了盖学校的事。他说县里拨了款,村里家家户户也都捐了钱,说乡亲们无论如何也要完成父亲的心愿。


村長:生子、この金はおまえに返すよ。
息子:要らないだなんて。
村長:来た人はみな要らないという、われわれが雇った人ですら一銭も要らないという。やはりこれは収めておいてくれ。
母の願いによって、父は前井戸の傍に埋められた。村にはもう水道があった。だから井戸は荒れてしまい、誰ももう水を汲まなくなった。母が言うにはここなら毎日学校が見える。また将来は母もここで父と一緒に眠りたいとも言った。
父の葬式が全部終わって後、村長がわざわざ来て、また学校を再建することを話し出した。県からも割当金が出て、村の人々もまた寄付をしてくれた。彼らもどんなことがあっても、父の願いを叶えるのだと話した。


母亲;生子;你带来的钱呢,给妈。村长,你看,这些钱都是我这几十年积攒的。你吧它收起来盖学校吧。
村长;这怎么好意思呢。这,你又不在了。你的年纪也大了。
母亲;这钱你一定得收下。
村长;那好,那我这些钱先拿上。咱们村你们母子俩算的一份。

儿子的独白)明天我就要走了。母亲让我陪她再去一趟学校。母亲说,等下次我再回来时,这所学校就看不到了。


母:生子、持ってきたお金を出して。村長、この金はあたしが何年もかけて貯めたの。このお金を受取って、学校を立て直すのに使って。
村長:何を言うのですか。これは。。あなたも、ここにいないし。もう歳なのだし。
母:このお金はどうしても受取ってください。
村長:わかりました。
息子の独白)明日、わたしは帰る。母はもう一度一緒に学校に行かせた。母が言うには、わたしが次に来たとき、この学校はもう見られなくなっているらしい。


母亲;生子,你看这学校都几十年了。你爸就在这学校教书,在这里比在家待的时间还长。长余,你都听到了嘛?村长说啦,要给盖个新学校,按你的心愿去盖。盖一个高大赫赫亮亮硬砖吊顶,一个好学校。为了完成你的心愿,按你的意思去干。明年开春就动工了。这回你放心了吧。新学校盖好了,我亲手织一个红挂上去。你就放心吧。
你看看你爸,实心实意成天的跟我唠叨,想叫你教书,接他的班。把你送到师范学校念了。一天书你也没教上。哪怕上一天课,教一天书。唉,也是你爸爸这一片心都没有实现了。你就干别的工作去了。你看看学校,连上课的人都没有了。听不到孩子们念书的声音了。


母:生子、よく見てみな。学校は建てられてからもう十年以上たった。あなたの父さんはここで教鞭をとっていたんだよ。ここにいたのは、家にいる時間よりも長かったんだ。
長余、村長は言っただろ。新しい学校を建てるそうです。あなたの願いであった学校が建つ。高く大きく、とても立派で明るくて硬いレンガ天井の、素敵な学校になるわ。あなたの願いを叶えるために、あなたの希望通りに、来年の春になると工事が始る。今度は安心してください。新しい学校は素敵になって、あたしが紅を織って梁に掛けます。だから、安心してください。
(息子に)父さんを見て。父さんは本気でわたしに何度も何度も話していたよ。おまえを教師にさせたがっていた。父さんの仕事を継がせたがっていた。おまえを師範学校に行かせたが、おまえは一日も教えなかった。たとえ一日でもいいから、お前が授業をしてくれたら。ああ、父さんのこの願いは全く実現できなかった。おまえは他の仕事についてしまった。この学校を見てごらんよ。教える人さえいないし、子供たちが本を読む声さえ聞こえやしない。


儿子;听村长说,这两天可能县里还会派个新老师来。
母亲;新老师来,再上课也没有你爸声音好听啊。特别的响亮。四十多年我都没听够,听呀,你爸爸读书。
儿子;吗,我考虑好了。这次你跟我回成里咱们一块儿住。
母亲;我不去。有你爸在这儿,哪儿我也不去。
儿子;把你自己留在这儿,让我怎么放心呢?
母亲;甭为我担心,我自己会照顾我自己的。你在城里工作都好吧?
儿子;好,妈,特别好,你放心吧。
母亲;有女朋友吗?
儿子;到时候再说吧。
母亲;你看你都那么大岁数了,别挑剔了啊。你听妈告诉你,有顺心的自己搞一个,搞一个领回来叫妈看看。可是你爸不在了,你爸,就为你的是事担心。儿女大了到时候拴不住了,爹娘远了,就看不着了。做父母的。。。。儿女出了门,什么都担心哪。你看你爸,一直的都挂念你,急你。
儿子;别哭了,妈。
母亲;你看他。。
儿子;老哭老哭,你身体都该坏了。
母亲;你看,他去了,把咱娘俩撂得孤孤单单的。
儿子;别哭了。
母亲;你呀,在外边好好工作。


息子:村長が言うには、ここ数日で県からまた新しい先生が来るらしいよ。
母:ああ、新しい先生が来るのだね。でも授業で父さんほど素敵な声を聴くことはできない。特別に響くんだよ。四十年以上もずっと聞いても聞き足りないくらい、ああ素敵だったよ、おまえの父さん朗読をする声は。
息子:母さん、よく考えたのだけど、今回は私と町へ戻って二人で暮らそう。
母:あたしは、行かないよ。父さんはここにいるだろ。どこへも行かないよ。
息子:母さんがここに残ってしまったら、私はどうしたって安心できないよ。
母:あたしのことは心配しないで。自分のことは自分で出来るよ。おまえは町での仕事はどうなの?
息子:大丈夫だよ、母さん。格別うまくいっているから、安心して。
母:恋人は?
息子:その話はいいじゃないか。
母:おまえはそんな年になったのだから、もう選り好みをしてないで。母さんの言うことを聞きな。自分に合う人がいたら、その彼女を連れてきて母さんに見せてごらん。
ああ、でも、父さんはもういないんだ。おまえの父さんは、おまえのことを心配していたよ。子供が大きくなったら、もう自分のところに置いていけないだろ。父さんと母さんはおまえと離れてしまい会えなくなった。親と言うのはね、子供が出て行ったら、なんだって心配するものなんだよ。
父さんはね、父さんはずっとおまえのことを心配して。おまえのことが気になって。。。
息子:泣かないでよ、母さん。
母:父さんはねえ。。
息子:いつもいつも泣いてばかりだから、体を壊してしまうんだよ。
母:父さんは行ってしまったんだ。あたしたち二人を置き去りにして。二人だけにさせて。。
息子:泣かないで。
母:おまえは、外で立派に働くんだよ。


长幼尊卑,敬重有序,念。
长幼尊卑,敬重有序。
彬彬有礼,有情有意,念。
彬彬有礼,有情有意。
人生在世,要有志气, 念。
人生在世,要有志气。
能写会算,是件好事,念。
能写好算,是件好事。
大事小情,提笔就记,念。
大事小情,提笔就记。
知近知古,知天知地,念。
知近知古,知天知地。
春夏秋冬,一年四季,念。
春夏秋冬,一年四季。
东西南北,四方天地,念。
东西南北,四方天地。
风霜雪雨,事事在意,念。
风霜雪雨,事事在意。


儿子的独白)我一大早就让村长把学生门集合起来,我说我要给学生们上一节课。村长问我为什么,我说我是为了母亲,也为了父亲。
我就站在父亲常站的那个地方,父亲在这站一辈子。我想此时此刻,父亲一定能听见我和孩子们念书的声音吧。我念的就是当年父亲在开学第一天念的那篇课文,其实这不是正式的课文,这是父亲自己编的一段识字歌。


息子の独白)私は早朝から村長に生徒たちを集めてもらった。わたしは生徒たちに一時間授業をしたいというと、村長に理由を聞かれたので、母と父のためだと説明した。
私は父がいつも立っていたあの教壇に立った。父はここの生涯立っていたのだ。私はちょうどこのとき、父は私と生徒たちの本を読む声が聞こえたに違いないと考えた。私が読んだ本はあのとき父が学校を始めた最初の日に読んだ教科書だった。そしてそれは正式な教科書ではなく、父が自分で編んだ音読用の文章だった。


能写会算,是件好事。
能写好算,是件好事。
大事小情,提笔就记。
大事小情,提笔就记。
知近知古,知天知地。
知近知古,知天知地。
春夏秋冬,一年四季。
春夏秋冬,一年四季。
东西南北,四方天地。
东西南北,四方天地。
风霜雪雨,事事在意。
风霜雪雨,事事在意。
长幼尊卑,敬重有序。
长幼尊卑,敬重有序。
彬彬有礼,有情有意。
彬彬有礼,有情有意。
人生在世,要有志气。
人生在世,要有志气。


Néng xiě huì suàn, shì jiàn hǎoshì。
Néng xiě hǎo suàn, shì jiàn hǎoshì。
Dàshì xiǎo qíng, tíbǐ jiù jì。
Dàshì xiǎo qíng, tíbǐ jiù jì。
Zhī jìn zhī gǔ, zhī tiān zhī dì。
Zhī jìn zhī gǔ, zhī tiān zhī dì。
Chūn xià qiūdōng, yìnián sìjì。
Chūn xià qiūdōng, yìnián sìjì。
Dōng-xī-nán-běi, sìfāng tiāndì。
Dōng-xī-nán-běi, sìfāng tiāndì。
Fēng shuāngxuě yǔ, shìshì zàiyì。
Fēng shuāngxuě yǔ, shìshì zàiyì。
Cháng yòu zūn bēi, jìngzhòng yǒuxù。
Cháng yòu zūn bēi, jìngzhòng yǒuxù。
Bīn bīn yǒu lǐ, yǒuqíng yǒuyì。
Bīn bīn yǒu lǐ, yǒuqíng yǒuyì。
Rénshēng zàishì, yào yǒu zhìqì。
Rénshēng zàishì, yào yǒu zhìqì。


      • 終 ---


と、これだけの量をまさかここまできちんと読んだ人はいないと思いますが、そもそも、これだけのテキストを送っていただいた江南紅豆 さん、もといさん、ありがとうございます。きっと、もといさんのサイトでは、さらに修正された中国語とこなれた日本語が読めると思います。
また、この映画の音読文章を実際に声に出して読むと、とても気持ちがいいです。
わたしも、この音読をネットにあげたいのですが、「それだけはやめてくれ!」という声がどこからか聞こえるので、しばし一人で、聞くだけにしておきます。

くだんの件について

先週中国の朋友と話していて、日本の小説をひとつだけ教えてほしいという難問を聞かれました。この手の質問は、本当に読んで面白かったと思われたいのですが、わたしが勧めた小説と思われると自分が値踏みされるようで躊躇してしまいそうなのですが、この時は、迷わずに内田百輭の「件」を薦められました。
はたして中国で、内田百輭の小説を探せるのかわかりませんが、きっとどこかのサイトで読めるのでしょう。
わたしは、「くだん」とは、なんとなく中国の神話のような。。「聊斎志異」的な怪談から伝わってきたのかと思っていたのですが、調べてみると日本オリジナルの妖怪らしいです。

冥途―内田百けん集成〈3〉   ちくま文庫

冥途―内田百けん集成〈3〉 ちくま文庫

そもそも、この時に迷わずに、「くだん」を薦めてしまったのは、ちょうど前日に小川洋子のエッセイで、内田百輭の「件」の小説を男友達に貸して返してもらうときに「どこが面白いかわからない」と言われて、それきりその男と別れたという話を読んだことと、中国語テキストの「中国語で読む日本と中国のむかし話」に掲載されている「牽牛と織姫」こと「牛郎織女」こと「牛郎织女」の印象がとても強かったからです。
織女星牽牛星の話は知っているようで、実際のところ知らなかったのですが、調べてみると、また細かな点ではいろいろと違う物語があるようなのですが、この物語に出てくる、神話の人物がみな他の昔話にも関係しているところも、あとは自分で調べようという気にさせてくれて、とても興味深くもありました。


(ここからは、万が一「牛郎織女」の話を自分で読むまで内容を知りたくないひとのために、「ネタバレあり!」ですよ。梅有仁哩?)
この物語が特に印象的だったのは、牛の使い方です。ただ、貧しい家を描写するために、「一匹の牛がいた」という簡単な描写と、また「牽牛と織姫」が一緒に暮らし、子供と牛と平凡に幸せに暮らしました。というまるで風景描写のように扱われていた牛が、「織姫」が、天の両親に連れて行かれてしまいそうになると、突然「牽牛」に対して、「わたしを殺して、その皮を使えば空を飛んで行ける」みたいな話をし出すのです。
ここの「なんで、君が急に?」という感じがとても気に入りました。そして、牽牛も、牛を殺してしまうのですが、この感覚が勝手に「おお、中国マジックリアリズム」と叫んでしまったのです。
ちなみに、この陳淑梅さんの他の話は特に面白いというものはありませんでした。

中国語で読む日本と中国のむかし話

中国語で読む日本と中国のむかし話

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)


中国では、マルケスの小説が非常に人気があるというのは信じられなかったのですが、この夏に上海に行って、書店に背ほどの高さに積まれた「百年の孤独」が文字通り飛ぶように売れていくさまを見たり、莫言をはじめ中国の現代作家がマルケスに影響されているという話を聞いたりして、勝手に中国物語に潜んだ奇妙な感触を納得しました。
下の写真は、積まれ方が腰あたりですが、この二日前には本当にわたしの肩のあたりまで高く積まれていました「百年の孤独」です。
あ、今見て気づいたのですが、隣にあるのは、安妮宝贝が作った雑誌の「大方」ですね。帰国してから欲しくなって、結局ネットで注文をしました。




またまた、わたしの大切な中国テキスト「家有儿女」には、牛のいろいろな使い方がでてきます。悪い意味でも、いい意味でも使われる、中国の「牛」さまって。数多くの成語にも出てくる、ああ牛たちよ。
・小东西你也想
・我的中文比他
・小兔崽子,还挺阿你。
・叫牛牛的,以后再也不敢对咱们了。
全て使い分けられれば、あなたは中国語牛2級です。

[rakuten:tokkai:10007284:detail]



というわけで、一時的にわたしの頭の中の7割くらいが牛で覆われた一週間だったので、くだんの「件」を薦めてしまったのです。


ちなみに、その朋友からいただくメールでは、わたしのことを「蜗牛先生」と呼びかけています。そのままでは、「カタツムリ」という意味であることは知っていたのですが、きっと何か中国的な不思議で素敵な意味があるに違いないと、メールをもらいだしてから半年ほど経ってからようやく、「蜗牛先生」の意味を尋ねたところ、「中国語の読む速さが遅いからヨオ」と直球の答えをされてしまいました。「えーーーng。。」と、落ち込みながらも、iMandarinPodで覚えたばかりの、
今后我和你的关系iii,,,(言葉のつなぎ方がわからないときは、那个を使わずに母音を伸ばします) “风马牛不相及哩!”と言いました。「哩」の使い方は全くわかりませんが、相手の真似をして、なんとなく決め台詞(捨て台詞)の語尾には「哩」を付けることにしています。


なんか、笑い声が聞こえたような気もしたのですが、それは「风马牛不相及」の使い方が間違っているので、笑われただけなのかもしれません。
まあ、50%くらいの理解度での会話なので、いつも、牛头不对马嘴な感じです。

女優魂で中国語

オタクの中国友達と話をしていて、わたしに合う映画は、周星驰ではないかと言われました。彼の映画は、逆に日本の作家、馳星周が映画評論家だった頃に知って、「食神」

食神 [DVD]

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のあたりから日本公開された作品は結構見ました。
日本でヒットをした「少林サッカー」は、結構楽しめたのですが、中国では、この映画から彼の作品はつまらなくなったとかで、邦題「チャイニーズ・オディッセイ」
チャイニーズ・オデッセイ <其の壱> [DVD]

チャイニーズ・オデッセイ <其の壱> [DVD]

チャイニーズ・オデッセイ <其の弐> [DVD]

チャイニーズ・オデッセイ <其の弐> [DVD]

を激しく薦められました。
丁度、中国語を学習されているサイトで、この映画のことを細かく解説されている方の記事を読んだばかりだったので、
この記事を頼りに、わたしも周星驰を巡る旅に出てみようと思います。
ネットで探してみると、周星驰の中古DVDが16枚入っているBOXが、1000円くらいだったので、またまた注文してしまいました。


しかし、11月は発音強化月間として、個々の発音を見直したりと地道な努力もしているつもりなのですが、なかなか「コレは」という感覚がつかめていなかたのですが、心から尊敬するxiaoqさんの中国語ブログの、この日のかなあああり、長いコメントの下ああの方に、「女優になりきって発音をすればいい」というアドバイスをいただきました。(もしかしたらアドバイスではなかったかも?)
そんな試すのもアホらしゅうと一瞬だけ思うものの、一度女優の気持ちでCDに合わせて朗読をすると、妙にノリノリで流暢に(自社比150%)うまく出来るではないですか。
そこで、「コレだ!わたしが求めていた発音はコレなのよ!!」と、家の中でもどこを歩いても電車の中でも会社の昼休みでも、女優の心で、なぜか「Yesterday Once More」がBGMになっている中国人ネイティブによる「匆匆」をノリノリで、真似し続けました。


そして、ついにこの女優魂をネイティブの老師に聴いていただいたのですが、読んでいる途中で、「そういえば、わたしってば女優ではなかったかも?ああ、女でもなかったわ。。」ということに気づいてしまい、やはりボロボロになってしまいました。詳細は省略。
ここで、女優魂発声方法の失敗として、学んだのは、CDと同時の発生や、少し遅れのシャドウイングは、自己陶酔はできても、発音の上達はできないということでしょうか。
なんとなく、「Yesterday Once More」の雰囲気の中で女優のスポットライトを感じられるかもしれないけど、やはり自分の声がしっかり聞こえないので、冷静に自分の声を確認できなくなります。やはり、気持ちは女優になりきっても、冷静にCDを止めて、自分で大きな声で発生して、きれいに「ou」とか「uo」や「ng」と「an」の区別や「ri」を出しては、自分の声を確認しないといけません。
また、今回はSkypeで、レッスンの模様を録音できたので、毎日寝る前に腹筋をしながら、この録音を聞いては、再度女優としての、「匆匆」の朗読に挑みます。
明日は休日なので、もう朝から女優として顔を洗い、女優としてご飯を食べて、なんとか、老師に女優魂を届けたいものです。


スペースが余ったので(ウソ)、中国語作文を二つ載せてみます。
これも、中国語テキストの用語と語法を使いつつ、また中国語テキストっぽい幽默を意識したらしいです。


≪承受能力≫


本来我的人生就是一直在承受而已。反过来说一直承受很多东西使我的人生失败。
不管怎样艰苦,我只有忍受、容忍、承受。
我没因忍不住“叭”地一下把一罐咖啡扔在地上。我也没因熬不住,一下子把一个枕头扔在床上。
最多只是稍微低着头叹一口气,安慰镜子里的自己。我再重新考虑一下吧。。
我在学校吃了苦头,没退学。我在公司艰苦的生活中没辞去职务。跟女朋友,我感到委屈。
也许是我的忍耐力太强,使我的人生失败了。。
我未必总是有承受能力。有关这个,我想起来的第一件事是,我还是幼儿园小孩儿的时候,我拿来在乡下抓到的甲虫。但是一个男孩儿把我的甲虫弄死了。
虽然如此,我没有哭。我只把他的拖鞋扔掉了。
最近的事情是这样的。我一个月之内每天买贴有标签的茶饮料。
不过一直没抽中,所以我给同事这签。可是他告诉我,我给的签中奖了一年的茶。
他显得非常感谢我。所以我觉得他起码应该给我一瓶茶,结果却什么也没有。
但是我毫不在意。然后我悄悄地喝他刚才买的星巴克咖啡。
我当然是有承受能力的人吧.


≪戏说和猫结婚≫


据说最近中国的独身男女也越来越多了,特别是对住在大城市里的人来说结婚简直是件极为困难的事。
日本在经济世界已经被中国超过,不过在独身世界还算发达国家。很多日本人之所以选择独身,是因为一点也不觉结婚的必要性。
他们和猫一起过着幸福的日常生活,毕竟不觉得和异性结婚的必要。和猫生活的好处多得简直说不出来。
有人认为成人应该结婚,以后生了孩子才越来越幸福,这些是真的吗?
结婚和生孩子未必使人们幸福,而且和别人生活反而可能带来不安。
我就是自己的主人,应该认识到给妻子和孩子照顾并不是唯一能证明自己的方式。和猫生活将使我们的内心世界变得更丰富。
我将为和猫一起起床而喜悦,为听猫咪咪叫而激动。
日本20岁以上的独身者男女一共有2500万人。这些人中起码有四分之一养猫.其中两个人中的一个有情人和猫,因为如此他们愿意跟情人分手。
这样,为了和猫生活以致和情人分手。
日本的独身男女之所以找不到情人,并不是因为和猫生活得过于快乐,而只是觉得和猫生活更舒畅。
只有和猫生活,才能重新发觉自己内心的喜悦,并且向人家打开心灵的大门。只要爱小猫,就能体会到幸福。
也许你现在看不过去,不久你也会和猫结婚。
除了生人的孩子以外,猫什么都会。
我家的家规说,“天下无难事,只要爱猫”。
情猫跟情人相比,唯一的缺点是它们的寿命短了一点儿.

中国脳

よく外国語学習者の間では、英語脳だとか中国語脳という言葉を使って、主にその言語の発音をよくして、聴き取りをよくするために使われているかと思います。
わたしは、そういう「中国語」脳ではなくて、「中国」脳について、中国の朋友と話すと考えることがあります。
去年あたりは、中国語で話そうとすると、日本語で何を話すか考えたり、日本語の動詞、名詞、副詞を、中国語に置き換えようとしたり、あるいはときどき日本語ときどき中国語のまま話したりしていました。
まず、「日本語を作る」という意識が常にありました。
それが、一週間に、数時間でも興味を持てる会話をする癖をつけると、頭の中で翻訳という面倒な工程をしてはいられなくなります。
かといって、中国語で考えて中国語で話ができるようになったのではなく、「何か面白い話題がでてくる」→すかさず、「それを知っているよ」とか、「じゃあ、これはどう?」みたいに、すぐさま相手に何かを伝えたくなるのです。
もう、イメージとさえ言えないような概念をすぐ相手に伝えようと、気持ちが言語より早く出てくる感じです。
しかも、数か月話をしている間柄になると、それなりの共通認識の上での会話になるので、いろんなことがパターンとなったり、省略されたりして、会話も楽になります。
これは、いちいち日本語を翻訳しないという自然な癖にはなったような気もします。
そして、ああ、こういう日本語を頭に入れない時間を24時間続けられたり、一か月、一年と続けられたりすれば、きっとわたしの脳もじわじわと中国化されていくのではないかと思うのです。
ちなみに、わたしのPCにも、今いろいろな中国アプリが入ってしまったおかげで、何をアップグレードするときも、中国語の説明画面になったり、よく中国語のサイトがポップアップされたりするのですが、それはあまり見なかったことにしています。


ただ、そういう適当中国語会話を続けると、四声とか、有気音、無気音の区別とか、正しい文法なんて、一万光年向こうに放り出されます。そこは、ごまかし四声とか適当anとangが、まかり通る世界です。
なので、このままではいけないと、普通語の発音を意識したり、文法的に正しい文章を意識して書いたりするのですが、まだまだ「正しさ」のゴールすら見えません。
それをあまり意識すると、適当アウトプットをするのが怖くなり、常に中国の方に、チェックされ続けないと、なかなか進歩できない気もしてしまうのですが。。

ですが、それはそれで、これはこれと、適当会話もしたり、大量のインプットをしたり、正しい普通語を教えてもらいながら、しばらくはゴチャゴチャと面白そうな方向にキョロキョロしながら、進んで行こうと思います。


下の作文は尊敬する日本語学習者、栗粟さんに見ていただいた文章ですが、実は内容よりも、中国語のテキスト「橋梁」の第七課のタバコの話に出てくる重要語と語法を殆ど使って作りました。
真似をして作ったはずなのですが、真似が不十分なところを何か所も修正いただきました。
しかし、語法や単語だけでなく、わたしが一番意識して真似をしようとしたのは、中国語テキストにありそうな、「面白」を狙ったのですが。。そこらへんの感覚がどう伝わったのかはわかりません。


≪中国脑≫
学习中文的时间越长越觉得汉语难学。和家人一起的时间越来越少,而且家人越来越生气。其实学习中文成瘾的危害还不只这些。
经过科学家研究证明,长时间学习中文,还会影响脑的活动。每天学习两个小时以上学习中文的人都会觉得,学多长时间中文,中文水平就会学得多好有那么多得提高
然而实际上连基本的对话都说不好,和中国人交流更难,难怪学习汉语的人感到委屈。
科学家把这种现象叫做“中国脑初期现象”。
科学家用最新的仪器对三十岁以上的人进行脑波测试,发现那些长时间学习中文的人和正常人的脑有着明显的差异。
他们的前脑活动能力受到了抑制,而前脑是负责控制感情的。
科学家把处于这种状态的脑叫做“中国脑”。
这些人中有20%的人“前脑”根本就不活动,可他们却偏偏自寻烦恼。他们大胆地闯红灯,热情地劝酒,亲热地敬烟。
科学家发现,很多“学习中文瘾者”如果筯多学习中文的时间,会给生活态度带来更多变化。
科学家把处于这种状态的脑叫“真正的中国脑”。
他们理直气壮地问一个小姐的年龄今年多大,为什么跟男朋友分手了。不久就会觉得,如果你有“不可告人之事”,就一定是坏人。再过一会儿,他们居然发现没什么压力,也不再需要心理咨询师。
心中的苦痛渐渐消除,不知不觉精神就振奋起来了。在公司照常交流,已经不是难事。
不过科学家不能证明有“中国脑”的人会不会说好中文。现实不像他们想象的那么简单。

中国語に負け続ける

レッスンという名の一対一の中国語授業は結構受けているのですが、一度たりとも、終わった後に「上手く出来たなあ」と思ったことはなく、必ず「わたしは、なんて中国語が出来ないのだろう」と感嘆文的な猛反省をしたりします。
とりわけ、先週の「匆匆」の朗読はひどく、それは発音の間違いの多さではなく、自分でも次第に、日本語ではない何かを話しているだけ状態になってしまいました。
今までも、音読をすると、頭の中に意味が入らない症状を自覚していたのですが、この時も、すでに前半の1/3あたりくらいで、発している言葉から、その意味が消えて行ってしまいました。
実はこれは日本語でも、昔から自覚している症状でした。小学校では、よく国語の授業で朗読をさせられては、何故かその朗読を褒められると、いい気になって、「ああ、自分は朗読が上手なのだ」という根拠のない自信を持つようになりました。そしてある時、教師におだてられて10分くらいの小説を朗読させられたのですが、朗読が上手い少年役を演じようとするあまり、次第に日本語なのに意味がわからないまま自動朗読機械のように、口から何か発音している状態になってしまったのか始まりかもしれません。


と、そんなトラウマにすら成り切れない関連性がよくわからない過去の話をしつつ、中国語の音読は、人に聞かせようとするほど、「言葉の意味をイメージしながら話す」という、基本的というより当然のことが、わたしには出来なくなってしまうことがあります。
そこで、個別の発音の間違いを修正されると、それなりに対応もしていけるのですが、それは言語の発音を修正しているより、音声の発音だけを修正している気もしないではないです。
今は、発音をもっともっと上達したい欲が強くなっているのですが、とりあえずは、自分が発音をしている言語の意味と音声を自分の古いチーズのように穴だらけになった脳みその中で一致させたいものです。


週末は、やはりiMandarilnPodで、世界の都市名や首脳の名前や、記事を読んだことから、ユネスコで、アメリカが分担金を支払わないことを想定されながらも多くの国が承認したパレスチナ加盟の件をふむふむと考えたり、APECでのアメリカと中国のTPPをめぐるやりとりで、日本のメディアによって「TPPには招待状がない」発言の解釈が違うことを面白く感じます。しかし、まず中国語のニュースで背景を知るというのは、遅すぎます。


Jiàokēwén Zǔzhī【教科文组织】 UNESCO.ユネスコ
伊琳娜•博科娃(英语:Irina Bokova
刘永清(1940年−),现任中共中央总书记、国家主席、中央军委主席胡锦涛的夫人
檀香山又称火奴鲁鲁
[亚太经合组织]:アジア太平洋経済協力会議APEC
史蒂芬•哈珀(Stephen Harper,),QPC,是現任加拿大總理以及加拿大保守黨領袖。
张晋创,越共中央书记处常务书记,越南共产党第十一届中央委员。
奥良塔•乌马拉 一译奥利安塔•乌马拉、胡马拉,就任秘鲁总统。


また、中国の友人からは、日中間ではSkypeの調子が良くないから、QQを使おうと言われ、以前も試したものの、使い方がよく分からないのと、話し相手がいないことで使わなかったQQを再設定して使用してみたのですが、確かに、Skypeのように、音声が途切れることもなく、1時間の間、中国オタク状況を教えていただきました。
ここでも中国語で、日本の芸能関係やゲーム事情を教えてもらうという逆情報輸入状況でした。


11月11日は「独身の日」というのを去年も中国の老師から教わったのを思い出しました。今年の友達は、中国の若者の間では、この独身の日とは「世界中の独身者が知っている」と言われたので、それは「独身の日で盛り上がっているのは、中国だけでしょう」と言い返すも、ドイツやイギリスの友人も、独身の日を祝っていると言われてしまいまいました。真偽はわかりませんが、実際に中国のオタク達では11月11日は、相当盛り上がったようです。


中国語のテキストは、「音読したい中国語」 も「挑戦!朗読中国語」も音読しながら、読み終わったのですが、内容自体には、面白さを感じられませんでした。いや、テキスト本文に、あまり「面白」を期待してはいけなかったのかもしれませんが。。
「わらべ歌でまなぶ中国語」は、朗読をされている方の声が、明らかにプロではない方を使っている感じがとても気に入りました。しかも、「せーの」で一発録りしたような、適当感も、よかったです。これこそ、「意味がわからないまま読んでも面白い感覚」につつまれて、奇妙な至福感を得られました。朗読のプロではない、中国語のアクセントやイントネーションを感じたり真似するために、まだまだこのCDは聴こうと思いました。


もう書店の中国語コーナーへ行ってはいけないと自分に言い聞かせているのですが、「中国語40字で伝える日本」を買ってしまいました。
この本は、わたしの中国語水準では、難しく感じるのですが、紹介されている日本文化の項目が地味だけど、いちいち面白いのです。
そして、この本の趣旨であるはずの、「日本の文化について中国語で紹介をする」という以前に、ここで説明されている日本文化を知らないので、「日本語でも日本を説明できない、わたしってば」と呟いたりしました。


シャドーイング用音声CD-ROM 付 中国語40字で伝える日本

シャドーイング用音声CD-ROM 付 中国語40字で伝える日本


中国語の老師から、発音の間違いを指摘されては自分の脳の具合の悪さを自覚させられ、中国語のPodcastからは、国際政治についての無知ぶりを悟らされ、中国の友人からは日本のオタク文化を教えてもらい、中国語テキストからも日本文化を勉強させられてしまうという、いろいろな意味で、中国語に負け続けた一週間でした。

家有11人

中国の朋友に、未だにドラマ「家有儿女」の難しさを話していたところで、中国の日本語学習者の間で今一番話題のドラマは、「家有11人」だと教わりました。
え、何?と、今のドラマに全く疎くなったわたしが教えてもらうと、「宮藤官九郎」の新作ドラマでした。わたしは、日本で一番古くから、宮藤官九郎を知っている人間のはずなのですが、朋友も、何故か松尾スズキやデビュー前のグループ魂のことまで知っているのでした。
エー、と悔しくなって、このドラマを何故か中国サイトで中国字幕で見ると、お、お、面白すぎるよお、でした。
このドラマの日本語のタイトル「11人もいる」という意味は、萩尾望都の「11人いる!」を意識した面白を醸しているのだけど、それさえ知っているだけでなく、演劇や音楽の「クドカングループ」を好きな人も中国にはいました。


また中国のサイトで、大人計画の本公演が来年あることさえ知りました。
さらにさらに、日本の小説や、アメリカ小説の好きな人たちのサイトを覗いては、雑誌「モンキービジネス 2011 Fall vol.15 最終号となってしまうことも知りました。
またまた、柴田元幸さんや岸本佐知子さんが、ここ最近熱く紹介をしているらしい、作家
「ショーン・タン」

The Arrival

The Arrival

のことも中国サイトで知ってから、朝日新聞の紹介記事も読みました。
ショーン・タンという不思議な名前の作家の写真を見ると、中国語系かしらん、と思ったのですが、調べた限りは、中国の血は入っていないようなのですが、この人の絵本もまた素晴らしく、久々に英語の原書やオーディオブックを買ってしまいました。
The Lost Thing: Library Edition

The Lost Thing: Library Edition

iTunesのオーディオブックはこっちで開きます。


iTunesの短編映画はこっちで開きます。


と、そんな「家有11人」から始まる本の冒険もしつつ、中国語作文もいくつか書いては、油っぽい中華料理屋のテーブルで見てもらいました。
そこで中国語を直してもらうときに、どうしてこの表現は、間違いなのかを説明してもらい、自分なりに納得感を得るには、双方の文法用語での説明が必要だろうと、中国語の文法書っぽく思えた、「榎本式 中国語リーディング」という本を見つけました。これを一気に読み通せば、およその中国語文法の全体像が把握できるのでは?と思い、また前書きや、冒頭でもそんなわたしの心を上手につかんでくれました。


しかし、最初の概論らしき森の説明を抜けて、第一章のところで、文法の説明についていけずに挫折してしまいました。まず全体を把握させて、各個別の文法説明という構成は納得できるのですが、例外があるとか、一般の文法書では、こうだが本書はこういう定義です。という説明もややこしいのですが、簡単そうな比較文の説明をしているだけなのに、その文法書的な説明についていけなくなりました。
今は、中国の中級中国語テキストを中心に読んでいるのですが、この中国語テキストでも一番難しいのは、語法の解説です。その語の意味や例文も理解できるのですが、それを文法的に説明している、説明文の難解さは格別です。
もはや、ここの説明は省略するか、ただ難易度の高い文構造の中国語を読むという満足度のために読んでいる気がします。


また、作文を見てもらうときに、できるだけ文法的に説明しようとしてくれる人もいるのですが、文法用語や、文法的な知識がないためにモヤモヤ感を抱えるよりも、「こうなっているんだから、覚えるしかないわよ」と言われた方が、いっそすっきりしてしまいます。
ネットで教えていただいた受け身や、処置文で動詞の前に使われる「给」も、「ただそういうものだから」でいいのかもしれません。
先週、ネットで知った用語で、日本の辞書には載っていないけど、何年も前からみんなが使っているらしい「想得美」という言葉も、変に直訳の解釈から転じていく説明よりも、「いい気になるなよ!」の一発で会話の場面として覚えた方がすっきりします。
しかし、中国語作文で未だに「了」の使い方や、「不」と「没」の区別すら間違えるわたしには、まだまだ基本文法をマスターしなければいけないはずです。
しかし、苦手なものをいつまでも忘れたふりをしたい性分のため、どこまでも後回しになってしまうのかもしれません。


ちなみに、この「想得美」という言葉を知ったのは、最近の毎日の確認サイト、「iMandarinPod」からです。
これは、難易度にして「★ふたつ」の基本的な会話で使われていた用語でした。
PODcastは、しばらく聞いてなかったのですが、久しぶりに「CSLPod」を聞いてみると、意外にAdvancedでも、ついていけるので、ではでは!と意気込んで、何度も挫折をした、「iMandarinPod」を聞いてみると、やはりかなり手ごわかったです。とくに、ここの「听新闻学汉语」を今は、一生懸命読めるようにするとことから始めているのですが、自分の語学力だけでなく、国際政治経済について、あまりに無知であることを思い知らされます。
中国語の簡単なニュースサイトから、G20のことや、中国語になった各国首相らの名前や「サンクト・ペテルブルク」や「アスタナ」という都市名を知っては、ほおほおと頷く日々です。
幸いに読み上げるスピードは、かなりゆっくりの物も用意しているので、「読んでも殆どわからない」という水準から、「早いスピードでなんどか聴き取れる」水準まで上げたいものです。


それからそれから、「家有11人」の感想を中国語で言えるようにすることと、「匆匆」をそれなりの音読ができるようになることと、映画「有话好好说」を見たりなどなど、どれもこれも想像するだけで楽しいことばかりです。


朱自清 「匆匆」の和訳

こちらも、同学もといさんと同じ作品の和訳です。最初、さらっと読んだときは、あまり難しくは感じませんでした。しかし、改めて日本語にしようとすると、最初の一文からして、どう訳すのかわからなくなり、出だしをもといさんの和訳を参考にし、あとは自力で訳してみたのですが、こまごまと日本語にしづらい箇所がありました。
わたしも、これからはきちんとした作品を和訳したり、作文を書いたりしたときは、ここに置いて、日々自分のいたらなさを反省するようにします。


 ≪匆匆≫ 作者: 朱自清


  燕子去了,有再来的时候;杨柳枯了,有再青的时候;桃花谢了,有再开的时候。但是,聪明的,你告诉我,我们的日子为什么一去不复返呢?——是有人偷了他们罢:那是谁?又藏在何处呢?是他们自己逃走了罢:现在又到了哪里呢?


燕は去って行っても、また戻ってくる。柳は枯れても、また緑づく。桃の花は散っても、また咲き誇る。しかし、聡明な君よ、教えてほしい。わたしたちの過ぎ去った日々はなぜ戻らないのか。誰かがわたしたちの日々を盗んだのだろうか。だとしたら、盗んだのは誰なのか?またどこに隠したのか?それとも時間は自分たちで逃げて行ったのか。だとしたら、今はどこへ行ったのだろうか?


  我不知道他们给了我多少日子;但我的手确乎是渐渐空虚了。在默默里算着,八千多日子已经从我手中溜去;像针尖上一滴水滴在大海里,我的日子滴在时间的流里,没有声音,也没有影子。我不禁头涔涔而泪潸潸了。


時がわたしたちにどれだけの日々を与えたのかは分からない。しかしわたしの手の中は確実に段々と空いてきた。人知れず計算してみると、8千余りの日々がすでにわたしの手の中から去って行った。針の先ほどの一滴が大海に落ちるように、わたしの日々は、音もなく、影も形もなく、時間の流れに落ちていった。わたしは、はらはらと汗が流れさんさんと涙が流れるのを禁じえない。


  去的尽管去了,来的尽管来着;去来的中间,又怎样地匆匆呢?早上我起来的时候,小屋里射进两三方斜斜的太阳。太阳他有脚啊,轻轻悄悄地挪移了;我也茫茫然跟着旋转。于是——洗手的时候,日子从水盆里过去;吃饭的时候,日子从饭碗里过去;默默时,便从凝然的双眼前过去。我觉察他去的匆匆了,伸出手遮挽时,他又从遮挽着的手边过去,天鄢时,我躺在床上,他便伶伶俐俐地从我身上跨过,从我脚边飞去了。等我睁开眼和太阳再见,这算又溜走了一日。我掩着面叹息。但是新来的日子的影儿又开始在叹息里闪过了。


去るものは去り、来るものはやって来るのだが、この行き来する真中では、どんなに忙しいことだろう。朝、わたしが目覚めたとき、部屋の中には四方から斜めに陽がさす。太陽には足があるのか、軽々と移動する。わたしもぼんやりとして、太陽について回る。そしてわたしが手を洗っていると、太陽はたらいから去っていく。食事をしていると、茶碗から去っていく。黙っていると、じっとして動かない両目の前から去っていく。彼が慌ただしく去っていくように感じたので、手をのばして遮ろうとすると、彼はまた遮る手から去っていく。空は暗くなり、わたしは床に横になると、素早くわたしの体を跨いで、足下から去っていく。わたしが目をさまし、太陽と再会すると、また太陽は逃げ去って一日がすぎる。わたしは俯いて溜息をつく。しかし新しく来た日の影はまた溜息の中きらめいた。


  在逃去如飞的日子里,在千门万户的世界里的我能做些什么呢?只有徘徊罢了,只有匆匆罢了;在八千多日的匆匆里,除徘徊外,又剩些什么呢?过去的日子如轻烟,被微风吹散了,如薄雾,被初阳蒸融了;我留着些什么痕迹呢?我何曾留着像游丝样的痕迹呢?我赤裸裸来到这世界,转眼间也将赤裸裸的回去罢?但不能平的,为什么偏要白白走这一遭啊
  你聪明的,告诉我,我们的日子为什么一去不复返呢?


飛ぶようにして逃げていく日々の中、多くの家々人々がいるの世界でわたしは、何ができるのだろう?ただ行き来するだけだ。ただあわただしくしているだけだ。8千余りのあわただしさの中、行き来をする以外に、他に何が残っているのだろうか?過去の日々は薄い煙のように風に吹かれて散り、微かな霧のように朝日に照らされて蒸発していった。わたしはどんな傷痕を残したのだろうか?わたしはかげろうのような傷跡を残しただろうか?わたしは真っ裸裸でこの世界にやってきて、あっという間にまた真っ裸で戻って行くのだろうか?しかし落ち着いてはいられない。この一回きりの人生をただ無駄にはできない。
聡明な君よ、おしえてほしい。わたし達の過ぎ去った日々はなぜ戻らないのだろうか。


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