中国語を書きたい

この7月と8月は、自分の中では、「夏季読解力・語彙力強化期間」として、いろいろやってはいるのですが、基本は、やはり読むことでした。
北京語言大学「中国人喜欢跳舞」のテキストを読み終わりました。
「乙級読本」といい、1000語水準の単語で書かれているのですが。。。書かれているはずなのですが、なかなか難しい言葉も、解説無しでこっそり出てきます。大雑把に言って、中国の中級テキストと同じ程度の難易度かもしれません。
ただわたしにとって、とても都合が良かったのが、ピンインが漢字には振られてはいなくて、隣ページに書かれているところかもしれません。
ピンインというより、声調が全く覚えられないわたしは、不確かな漢字の度に横を見て四声を確かめるという、四声問題集にもなりました。
内容は、中国でもカウンセリングの需要が増え、カウンセラーも増えているとか、中国にはよく○○バーと言う店の話を聞きますが、「泣きバー」の紹介は、新しい話題でした。
不妊手術や、体外受精をする夫婦が増えているとか、養子をもらう子供が増えているとかとかも、知らない話題でした。


中国語に関して、読む、聴く、話す、書く。という作業をそれなりに平均的にやろうという試みが当初はあったのですが、一番疎かにしていた分野は中国語を「手書き」で書く。ということでした。わたしは、かなり最初のころからワープロで中国語を打つのは苦にならなかったし、中国語作文は好きなので、中国語の入力はかなり速く打てるようになりました。ただ、高電社の入力ソフトに限る話で、それがマイクロソフトピンイン変換だと1/2か、それ以下の速さになってしまいます。
とはいえ、中国語は実際に手書きで書くシーンというのは、中国語の試験を受ける気が無い者にとっては、皆無のような気もして、殆ど書くことをしませんでした。
中国語をはじめてから、約1年半たっても、今まで手書きで書いた全ての文字を合わせても、ノートの4,5頁くらいの気がします。
そこで、うすうすは気づいていたのですが、ふと気付くと、本当に基本的な漢字すら、手書きで書けないわたしになっていました。

それでも、いいじゃん。という悪魔の囁きも気にしながら、もう少しきれいに手書きで書けるようにもしたくなりました。
もうこれは、何のため?というと、何のためでもないような、一生涯中国語の手書きの文字を見せる場面などは無いだろうという確信もあるのですが、これは趣味の問題というより、それこそ、どうして「わたしは中国語をやっているのか」という、今では簡単に説明できなくなってきた事柄の根幹にも関係していることのような気がしてきました。

ニーハオ明明

以前、古本屋でたくさん中国語のテキストをまとめて買ったときに、「ニーハオ明明」という教材も入っていました。しかし、テキストがなくて、二つあるべきカセットテープも一つだけしか入っていませんでした。1990年にNHKから出版されているので、昔のラジオ講座だったのか、あるいは関係がないのか、説明がないのでわかりません。


たた、入門用の教材のようなので、会話があっても、面白味が無いテキスト的な会話なのだろうと、試しにテープを聴いてみたのですが、入門、初級対象だと思うのですが、結構内容が面白かったです。
こういう日本で作られた初級教材で、会話の内容に面白さを感じるというのは稀有な存在のような気がします。そもそも、ミンミンという子供が主人公なので、子供の幼くゆっくり話すというシチュエーションが(本当は不自然でも)少しだけリアリティを感じさせ、さらに、ミンミンの可愛さを上手く表現されていると思いました。
ただ初級が対象だと思う語彙の使われ方なのですが、ところどころに「反正」とか「捏一把汗」とか、中級?的な表現も出てきたりして、じつのところ、どういうテキストなのか、よくわかりません。
逆にテキストがなくて、聴いたから、面白と感じたのかも?と、読んではいないのだけど、とりあえず、53分のテープを二回聴いただけですが、強引に100冊の1冊に入れてしまいます。
去年の夏から初めて、本当は1年で100冊くらい読める気がしたのですが、8月に50冊届くかどうかかもしれません。
おそらく、100冊くらい読んでから、ようやく早く読めるようになるようなが気するのですが。。

そしてインプットにこだわる

なんだかんだとこちらの「はてな」に中国語関連のことを書き始めて、1年がたちました。
書き始めた頃は、もっと中国語を早く習得することについて、ガツガツというか逼迫感のようなものがあったように思います。
去年の7月は会社の夏季休暇として2週間休み、自宅留学をしました。ひたすら自分の家で「漢語口語速成−基礎編」の音読をしただけなのですが。。。今読んでも呆れるほど音読を繰り返していました。
ただ、この時の2週間は、かなり自分の中国語の基礎となったと思います。
はてな」に記録することが、中国語を続ける推進にもなるような気がして、実際に毎日のように記録をするためにも、ひたすら音読ができた点もあったような気もします。

今は、記録しなくとも、もう中国語を毎日続けられる体にはなったような気がします。


そして今は何をやっているかというと、主に中国の留学生向けの中級テキストを読んでいます。手元に4冊があるので、およそどれも3課が終わったあたりです。
その他にも、留学生向けの閲読テキストや日本の大学生用閲読テキストを何冊も持っているのですが、なかなか進みません。
あと、「聴く中国語」も、およそ2か月かけて1冊をなんとか終わりました。これは想像以上に手ごわかったです。
いったい、「聴く中国語」とはどのあたりを読者にしようとしているのでしょうか。冒頭の漫画で描かれた会話は本当の初心者でも十分に読める記事です。ただ、その他のインタビュー、新聞記事や各特集記事の内容は興味深いのですが、いかんせん容赦の無い中国語は手ごわすぎました。
おそらく「聴く中国語」を使って中国語を勉強したい初級の人にとっては、殆どの記事が難しく、また「聴く中国語」を十分読める人にとっては、もうわざわざ「聴く中国語」を買ってまで読みたいとは思わないのでしょう。
しかし、これも今こそ読まなければ。という思いで、今年の4月から遡って、読んだり、聴いたり、音読したりして、一年間でなんとか征服をしたいものです。


と、中国語のアウトプット練習は、ひと段落させて、また夏と秋は一気に大量のテキストを読みたいものです。
いつのまにか、面白い文章だけを、随便に読むという習慣になって、自分でも何をどこまで進んでいるのか把握しやすいように、ここに出来るだけ、頻繁に記録をしてみようと思います。
この夏のわたしの中国語の目標は、「簡単で面白い中国をたくさん聴き、たくさん読むこと」です。
やろうとはしたものの、わたしには無理だなと思ったのは、単語の暗記と、短文暗記です。いや、「ただ面白くないから」という理由ですが、わたしには、何が効率的かではなく、ただ人生は、あまりに短いと悟らせる事件が続いたことから、もう単純な暗記はやめるようにしました。
ただ、去年もやったような有名な小説や漢詩や散文の暗唱は、これからも続けたいと思います。
結局のところ、わたしはビジネスには向いていなかったのでしょう。何が効率的かではなく、何が面白いかに拘りたいです。

中国語のテキスト

連休中に20キロ程度走り続けていると、毎日が筋肉痛でしたが、また今は週末だけ1.5時間くらい走るようにしているのですが、楽に長く走れるようになりました。体の動きについては、だいたい何をどれだけ動かすと、どういうことになるのかは、把握できているのですが、自分の脳の具合については、疲労感も感じられないくせに、またその効果もきちんと計測できないので、手探りで中国語とのつきあいが続きます。
英語には、様々な学習本があり、多くの場所で語られていますが、中国語の学習方法だけについて語られている本はあまりありません。
おそらく誰かが、英語完全上達MAPのような数多ある英語学習方法のような、具体的に「何を」「どれだけ」「どのように」という説明を作成すれば、多くの独学で中国語を学んでいる人たちの需要を満たすことになるのではないでしょうか。
わたしは恥ずかしいくらい語学の習得本に目を通したのですが、少なくとも中国語と英語の習得については、特に入門と初期の接し方はかなりな違いがあると思います。
数多ある英語の学習方法本についても、わかりやすいのは、その著者達がみな、自分であったり学校から計測した効果の成果を持っていて説明をしているので、自分が実現可能かはとりあえず置いても、読み手は、その過程が見えることで安心感をもつことはできます。


ネットには中国語検定2級や旧HSK8級を取るには、これだけのテキストを2年間くらいやれば取れましたという記事で過去の問題集や、試験専用の参考書だけを紹介している記事もみかけますが、まさしくそれは、TOEICの高得点を取ることだけに特化した方法論と限りなく同じことになっている気がします。それはそれで語学力もついている結果だと思いますし、もしかしたら、各検定試験の問題集をやることが中国語の上達に非常に効果があることなのかもしれません。
ただ、そんな資格があっても、自己満足という小箱に仕舞いこむ以外に使い道がなくて生粋の問題集嫌いのいい大人になってしまったわたしには、もう少し楽しく確実に中国語力をつけたい物だと考えてしまいます。


以前、発音の学校で教わった中国語のナレーションで有名な先生は、日本の中国語教科書は不自然な表現が多い。という話から今は、自身もいくつもの大学で教える側に立つと、「しかし、こういう教科書になってしまうのは仕方がないのだ」という説明を付け足してもいました。
じゃあ、仕方が無いという言い訳無しの、中国で使われている留学生用のテキストは、どうなのかと、初級テキストをいくつかやってみたのですが、はたして中身がどれだけ自然なのかは、わたしにはわかりません。ただ中国のテキストは単純に量が多いので、好みが分かれるにしろそれなりの内容がある文章を読むことが出来ます。それから同じシリーズで、入門から高級まで分冊になっているので、このテキストを最後まで続けられれば、誰でも上級になれるのでは?という妄想も入った安心を持つこともできるのかもしれません。
ただ現実には中国語で毎日レッスンがあるわけでない、独学を中心として会社員が余暇でやるには、やはり、どれだけやって次の課に進むのかしらん。とか日々記憶量より忘却量が遙かに優っている人は、悩むことも多くなります。
ただ基本的に、毎日10忘れるならば、100覚えればいいんじゃ?ということで、学習方法の室に拘らず、自分の興味のあったテキストを出来るだけ大量に聴いたり読んだりすることで、無理矢理脳へに定着化というより、ざるにひっかかる小魚を掬うイメージで日々の中国語に接しています。
中国語の原書を読むのに挫折したわたしは、日本で出版されている閲読用の注釈入りテキストも読んでいるのですが、これは中国で出版された語彙数を限定した小説よりも、読みやすく、面白いものが多いです。
週末に読んだ「心あたたまる短い小説10選」というテキストも、タイトルだけでお腹いっぱいになるような嫌な予感がしたのですが、実際には、中国の教科書によくあるような道徳的な話とは全く違い、中国ではよく認知されている「小小説」という分野の大人が大人のために書かれた物語となっているので、恐らく大人の事情でつけられたタイトルと反して、救われない話もあり、そう単純に想像する「いい話」系ばかりではありませんでした。
個人的には、軍隊犬に教育を担当している教官が犬をからかって、犬がそのショックで立ち直れなくなる話が救いようがなくて好きです。この小説の終わり方も「ああ、黒子(犬の名前)よ」です。中国の物語は、貧しさの精神的な清らかさを強調する話が多いですが、時々、ありえない、救いようのない話もありますね。わたしが、このテキストにタイトルをつけるとしたら、「中国人のツボ10話」とします。
ただ、中国語で多読をしている。と胸を張って言いたいのなら、これくらいの量を一日一冊読むくらいの量をこなさなければ、中途半端な、注釈読書で終わってしまう気もします。


結局は中国の教材だろうが日本の教材だろうがどれをやっても、そんなに違いはなくて、とにかく量をやればいいんじゃない。ということが、今のところわたしが、分かっていることです。って、あれ。こんなに文字数をかけて、結論がこれか。。。

自由会話って何?

初心者のレッスンで、自由会話をしようと言わると、そもそも中国の方との会話をしたことがない人は、みんな困るのではないでしょうか。
わたしも、毎日のようにSKYPEでレッスンをしていたとき、この自由会話が苦手でした。そもそも、日本人とも会話をしたくないのだから、会話が目的でないのだし、語学の習得で会話をしなくてもいいんじゃ?などと本心で思っていることも言えず、テキストのレッスンの前に、無口なわたしに無理に、「今週の仕事はどうですか?」とか「嵐では誰がすきですか?」というような、更に関心の欠片さえ無いような話題を振られて、困ってばかりでした。
それが、日本人の恋人をたくさん抱える老師から、その言語を伝えなければいけない状態でこそ、人は語学を習得する。みたいな概念を教わり、語学取得の練習手段としての中国語会話には興味を持ってきました。


中国語の初心者が自由会話をしようとして困るのは、語彙の問題や、語順の問題も、発音を間違えることの怖さなどもありますが、そもそも、「何を話したらいいのかわからない」状態になることではないでしょうか。
そして、まず日本語で言いたいことを考えて、中国語に置き換えようとすると、そこで、表現したい語句の中国語がわからない。語順もわからない。けど、とりあえず話してみて、適切な語彙や語順や発音に修正されて、何か会話の練習をしている感じになるのではないでしょうか。
もっとも、日本にいてインプットが十分でない時期にアウトプットをしようとするのは、無謀のような気もしますが、1000語近くの語彙があるのなら、自然なアウトプットができる練習もしたくなるというのも性分です。


杭州で中国人の恋人を作った彼の説によると、中国人との会話も、語順が間違えても、発音や、時には四声さえ間違えても、文脈や前後で中国人がたいてい理解してしまうと、いちいち修正をしてくれないので、勉強にならない。そこで彼が提案したのは、職場でも恋人との間でも、自分の中国語が間違える度に必ず修正をさせたことと、彼も恥ずかしがらずに何度も言い直して、次は間違えないようにしたことでした。特に恋人との間では、中国語を間違えるのは恥ずかしい、でも修正することを恥ずかしがらないという緊張感のような関係を築いていたとのことでした。
「テレビで中国語」の藤原紀香さんの中国語は、個々の母音、子音はそれなりに出来ていても、やはり文章を発すると、四声が乱れて、先生に修正されると、弱気な発音になっていますよね。あれを見る度に、勝手にわがことのように思うのですが、間違えを修正されたときこそ、堂々とした声で修正していかないと、弱気癖がついて、やはりいつまでも自分から発言をすることに積極的になれないのかもしれません。


また、あくまでレッスンの中でですが、自由会話が自分の範囲でそれなりにできるようになって感じるのは、堂々と話すことを繰り返したことと、「かえるらいふ」の練習が効果があったように思います。
と、「かえるらいふ」 とは、動画講座として、短文を繰り返す練習ができるのですが、今の講座もまた一癖がある例文で、やりごたえはあるのですが、今のわたしの水準ではかなり難しいです。
わたしが、これもヤフオクで購入したのは、「ビジュアル中国語・例文ドリルー基本の表現編」というDVDでした。とはいえ、DVDを見たのは、最初の数分だけで、未だに一度も最後まで見たことがありません。ここに入っている音声をiPodに入れて、ひたすら音読に使っていました。この音声を使って感じたのは、まさしく「英語完全上達マップ」の各練習方法に適していることです。
音読パッケージとしても、音声を自然に流しっぱなしにしても、中国語で繰り返す時間をとっているポーズが十分にあります。瞬間作文としては、まさしく日本語から中国語の読みあげなので、日本語から中国語の読み上げの間に、中国語を完成させる練習ができます。また、テキストの構成が文法の整理としてまとめられているので、それなりに基本文法を意識することもできます。ただ、かなり基本的な文法しか扱われませんので、どんな複文はもちろん、使役も、受け身も、比較文すらおそらく出てきません。ただ、ひらすら、語順を意識させた基本文型の繰り返しと、「了」の使い方だけに多くの頁をさいて、あとは持続、経験、未来、疑問文の使い方だけです。スピードも遅からず早からずで、語彙は恐らく1000語程度の基本用語ばかりなので、これを中国語で繰り返せなければ、自分が恥ずかしいよ。という気概で、何十回もテキスト見ない音読を繰り返しました。


類似テキストはありそうで、これと同じものはあまりないと思うのは、基本文型と基本語彙なのだけど、約550という例文の量と、その例文が普通の感覚より1.5倍長くて、一拍考えないと、なかなか言い切れないところでしょうか。たとえば、語気助詞としての「了」の例文では、こんな感じです「子供を産んだ後、最初は子育てを難しく感じていましたが、今は慣れて難しいとは思わなくなりました」とか「田中さんが突然病気になったので、今日午前の会議にあなたが参加する他ありません」という具合です。わざわざ余分な言葉をつけているところで、この言葉をどこにいれるのかという語順が、文法的な知識と関係なく、反射的に反応できるようになるのかもしれません。
ただ、わたしは中国語の文章を書くのは好きですが、作文はあまり好きではないので、ここでも、日本語を中国語に作文するというのではなく、この日本語は自分の言葉であると意識して、中国語を言おうとしていました。テキストの作文としての練習なのか、自分の表現としての練習なのかの意識の差は、意外に大きいのではないかと思います。
よく英語学習では、中学英語でたいていの事は話せる。というように言われていますが、「たいてい」の範囲はともかく、こと会話においては、中国語も、このような基本的な語彙で構成された正しい語順を自然に表現できるようになるということが大切なのではないだろうか。と思いつつ、未だに「了」の使い方を身につけられないわたしです。

2011年にやることリスト(何度目かの)

先週はインフルエンザで会社を休みました。
実際には、一日半寝込んだら熱も下がったので、中国語を読んだり聞いたり音読をしたりしていました。それはそれで幸せだったのですが、一日家にいても、意外にたいした量ができませんでした。集中力さえ無くなったのかもしれません。
また、この病み上がりの時に読んだ「二人の王子さま」という中国語テキストはよく見ると、原作が有名な方なので、いかがな内容なのか、と訝りながら読んだのですが、童話としてとても洗練された物語でした。
中国語は、これが結構難しかったのですが、何故か注釈は簡単な言葉や文法の説明ばかりしているのが、少し奇妙でした。
しかし、中国語だけで、次にどういう内容になるのかを想像しながら頁を捲ることができたのは、楽しかったです。
引き続き、「中国笑話謎語50選」も読み終わったのですが、これはまた違う意味で面白かったです。
出てくる単語は、今まで読んだどの初心者向け中国語読み物より簡単な言葉なので、どんどん読めるのですが、笑い話のポイントを納得するために、やはり中国語で考える。推察する。という頭の行為が働いてとても楽しいです。とくに、41話からの謎語からは、一話のボリュームが大きくなり、中国語の言語的意味内容を考えるというより、謎を解くという方向に意識が働くのがいい「ような」気がします。
そして、内容はとても平易なのですが、いかんせん50話で殆ど日本語無しで170頁以上という内容は、読み応えがありました。



2011年のやることリスト
もしかして、前には違うことを書いたのかもしれませんが。。
■中心のテキスト
・汉语口语速成提高篇
ゆっくり進めているので、遅くとも3月にはいったん終わるのですが、また夏には集中的に、自然暗記に近づくくらいの音読をして、定着させたいです。


■会話テキスト
・初级汉语口语
2と提高篇を進めていて、これも3月までには終わるはず。
・家有儿女
これは、1が終わったのですが、もう少し復習をして4月ころから2を。また復習をして、10月頃から3を進める感じで。


■なんとなく終わらせたいテキスト
・橋梁
とにかく、これをやりなさいという指令を受け、注文していたテキストが届きました。上下2巻。CD8枚のボリュウムはなかなかです。ただCDの最初と最後の課を聞いてみると、スピードは早くないです。新出単語が、最初は、HSKの区分で乙と丙が中心なのですが、下には丁の単語が中心となるようで、このテキストでなんとなく語彙力を上げてみよう。と気楽に考えたりしています。
「説漢語」は相当音読をしたのですが、下巻になると、観光案内テキストのようになったこともあり、上巻ほど下巻は読み返していません。
その「説漢語」の次にやるテキストらしく、留学生の2年生が使うテキストであるらしいです。
とりあえず、ずんずん一人で進めて、クラスの劣等生が最後まで授業に出てみました的な水準に持っていければ、ある程度の語彙が習得できる。?。。のでしょうか。
ただ、いかにも、という中国語教科書的な練習問題も沢山あるのですが、もちろん、全てをきちんとこなしてみます。問題は、正解がわからないことなのですが、そんなことは気にしません。とにかく終わらせたい。せめて上巻だけでも。


上个星期,我发烧了,去了医院。大夫说“现在没有流行性感冒的症状,不过有可流行性感冒的可能性。”所以,大夫给了我流感的药。从星期二的下午开始不上班了,不过,星期三的下午烧已经退了一点儿。我起床,朗读中文的课文,读中文的书,听中文的CD。于是,很快就完全退烧了。身体反而比以前好了。通知公司,由于患了流行性感冒所以我不会去上班。其实我从星期三到星期日一直在学习中文,很幸福。

中国語テキスト一気読み

今日はまた、まとまった時間が取れなかったのですが、なぜか日本語の小説を読んだり、英語の学習法本を読んだり、英語の音読をしたりしてしまいました。
中国語は「汉语口语速成」の提高篇と「初级汉语口语」と提高篇を各2時間くらいで、合計は4時間くらい。


昨年の末に「中国語を話そう」という大学1年生用のピンインの読み方から始まる入門用テキストを一気に読みとおしました。
本当は発音の練習部分だけをするつもりだったのですが、結局半日くらいかけて一冊を音読しました。このテキストは最初からCDがついていないのか、あるいは中古の本屋で買った物が外れていたのか、とにかく音源が無かったのですが、次第に音読をしているうちに快感を覚えました。
どこかでまた時間を見つけて、入門のテキストを一気に一冊読み通してみたいです。


それにしても、もう少し週間程度ででも予定表を作成しないと、いきあたりばったりというか、他のことに時間を使ってしまいます。
もう少し大人のやり方っていうやつをやらないと。と、池谷祐二の脳関係本を読んだりしては天井を眺めてしまいます。