人は「家有儿女」だけで中国語をマスターできるか

いや、そんなことを試す気はないのですが、この一体全体何話あるのかわからない、「家有儿女」の全話をもしも、完璧に読めて聴き取れれば、それはもう、かなりの水準になるのかと思います。
ただ、まだ一話と、二話の1/6までの学習が終わり、とくに第二話の1/6である第一課を汗水涙流して準備して、ようやくネットの授業が終わったところで、脚本の面白さ以上に、ものすごい疲労感を感じてしまいました。
とくに、この準備のためには、早朝も電車の中も会社の昼休みも帰りの電車も駆け足で家に向かう途中も、もうもうずうううううっと「家有儿女」だけでした。
要は今のわたしの中国語水準では難しすぎるのでしょう。調べる用語が多すぎて、練習問題もきちんと書いて提出しようとすると、かなりの時間がかかってしまいます。
毎週3回のペースで、9月には、全部終わらせるくらいで。と、たかだか24分×4話=一時間半くらいのドラマに、そんなに時間をかけられるか!と思ってしまったのですが、かけられます。否!かけさせていただきます。
12月くらいまでに、この4話分のテキスト一冊をきちんと終わらす。で、充分中国語脳もお腹いっぱいな気がしてきました。


そうそう、この第二話第一課の白眉は夏雪が泣きながら、心情を吐露するシーンなのですが、こんなに良い台詞を、せっかくこんないい芝居をしているというのに、彼女のTシャツの文字が「記まじめ」なのが面白すぎます。
これは、スタッフに日本語がわかる人がいないことのミスなのか、あるいは、分かった上での高度な(何の?)技なのか不明です。
中国人の老師にも、このシャツについて聞いたのですが、中国の若い人の間では日本語のシャツも流行っているけど、このシャツの文字がよく見えないと言われてしまいました。たしかに、はっきりはしていないのですが、たぶん「生真面目」を意味で間違えた「記まじめ」になってしまったのか。あるいは、「まじめさ」を「記す」という意味なのかしら?
と、0.5秒くらい考えさせられてしまいました。

あと、もう少し、「家有儿女」一辺倒から力を抜きたいと思ってきたのは、しばらくシャドウイングやら、単純な口語の音読もしなかったので、音読欲がでてきたり、やはり腱鞘炎になるくらい漢字も手書きをしたい欲が、出たりなどなどで。ここ暫く「家有儿女」ばかりで、細切れな計画的学習ができなかたので、また音読やら漢字かきやら、いろんなことをしてみたくもなりました。


それからそれから、週末には、「聴く中国語2010年8月号」(最新号から一つ前のやつ)を読みました。とはいえ、わたしにはかなり難しいところがあって、各項目毎に細々と読んだり聴いたりしていたのですが、もうこの雑誌も完璧さを求めると何時までたっても終わらない気がしてきたので、一気に最初から最後までCDと合わせて読みました。
すると、どこよりも面白かったのが、「蝸居」の小説です。中国ドラマでこの「蝸居」が話題になって視聴率が高かった。という話はどこかで読んだことがあったのですが、「聴く中国語」に掲載されていたのは、小説の方です。
この作者が、どういう人なのかも全く知りませんが、とても上手いです。もちろんわたしは隣頁の日本語翻訳も読んでしまっているからかもしれませんが、この軽やかな文体には驚きました。テレビドラマでは、一部で放送中止となるくらいの悲惨、猥雑な物語。という暗いイメージの話かと思っていたのですが、この小説の途中に当たる一部を読んだだけでは、マンション購入を考えるだけの描写でも、充分面白いのです。
というわけで、これもまたまたヤフオクでバックナンバーを買えたので、遡って一回から読んでみたくなりました。8月号の次は9月号とならずに、4月号から、もちろん聴く中国語全体を読んで、早く9月号に追いつきたい。
このドラマのことも、中国の老師に訊いたところ、「マンションを買うだけで、そんなに苦労をする必要はないと思った」という、なんとシンプルな感想。
このドラマのおかげで、ある意味現代中国大都市でのマンション購入についての、滑稽さを宣伝できているのかもしれません。ねえ。