【修正】去上海的日本人如何说中文


前に書いた「去上海的日本人如何说中文」の添削の連絡をいただき、日本語五割、中国語五割の雑談をしながらも、ぐだぐだと中国語の説明をしてもらいました。
以前の文章に直すのが面倒、じゃなくて大変なので、修正文章をそのまま掲載します。


いろいろな老師に和訳も中国語訳も見てもらえて、幸せなのですが、見てもらっている割に、まだまだそれを消化しきれていません。
和訳も中国語訳も何度も何度も見直します。



我逗留的地方离上海市中心有点儿远,不过来往的车辆都是高级车。
我觉得最多的是日本的高级车,其次是紱国车,与东京相比,高级车拥有率高,开车的人也多是年轻人。
然而实际在上海和我交流的人们都不是那样的人。
跟我只言片语的中文打交道的人们,都斜着眼睛看那些人,同时也很在意来自那些人的眼光。
他们说的“•••不起”,“•••不过来”这些补语给我留下了深刻的印象。
那是一个各种各样的人们以各种各样的形式用南方口音唧唧喳喳地对我说着这些补语的、重叠着各种感情的上海黄昏。
我也能马上站在那条黄昏小路上。现在,并且将来,我可以随时立足于那条上海的小路。



・去了上海的日本人如何说中文
好不容易学了中文,却因为性格羞怯而没有勇气和中国人说话那样的日本人在中国应如何与中国人交流和会话呢?我来说明一下吧。


1.走走不认识的路
不管怎样,先找那些小路尽情去走。在那种窄得无法通过汽车的弄堂走上30分钟,应该会完全迷路了吧。在中国,既说不好中文,又迷路的外国人,是最强的人。
如果你睁大眼睛去问路,那么无论是警官还是军人,售货员、建筑工、清洁工甚至小偷,谁都会客客气气地告诉你。如果人家有空,你还可以问他们出生在哪里,家里几口人,哪里有好吃的饭馆等等。


2.进入小饭馆
你也许会不知哪个店是食堂。你也许会不知哪个门面是饭馆。但不必介意。如果你走进的那个店确实是饭馆,服务员就会拿着菜单出来迎接你。
哪怕那不是饭馆,如果运气好,那个什么店的什么店员,也会给你准备饭菜的。最不济他们也会为你指路的。


3.到医院去
你熬夜过多,还经常背着沉重的背包走路,而且吃了很多来路不明的东西,健康状态不好,发高烧、头痛,腰痛也变得厉害起来,你必须要到医院去了。
你请宾馆的服务员叫了一辆出租车,因为出租车的司机能说几句日语,你聊得别提多高兴了。于是途中下车,决定去回转寿司,忘了去医院了。。


4.到按摩店去
你没有去现代化的医院,而去了历史悠久的按摩店。盲人按摩师按摩力量很大,你痛得叫起来,不过渐渐精神了。
第二天,你得意忘形地去了高级按摩店。你用只言片语的中文和你觉得会容易交流的年轻女师傅说话。她向你抱怨她们的待遇恶劣。加上,她不喜欢自己的工作,她用力地压着你的太阳穴,你被按得发青。


5.到DVD店去
你进了一家去过好几次的DVD店,老板已经跟你很熟了。你问他《红楼梦》的Dvd有没有?他马上回答“当然有!”。不过5分钟过去也没找到。
他拿着手机,说了句你完全听不懂的中文,从店里走出去了。
只有你一个人留在店里,这时有个法国客人来了。你看他好像想买公映中的美国电影的DVD,你告诉他DVD的价格。
你对他用漂亮的中文说“我是老板”, 然后领取价款。老板回来后,你告诉他,“刚才我卖了一张好莱坞大片DVD”。老板非常感激,以半价卖给了你两种红楼梦的DVD。
最终你还是不知道DVD真正的价格。


6.到公园去
每天早晨,在公园里有一万左右的老人们在运动。其中最多的是聚在一起跳交际舞的。而且,公园里到处都在唱卡拉OK,回响着各种歌声。
其实在公园里不仅是早上,白天和晚上也有很多老人在运动,你大吃一惊。
并且那些老人看起来身体健康、心情愉快。你发现这是你在日本从没看到过的情景。你认为日本人无论如何也不会这样做吧。
之后,有个老太太上来搭话,她的话你一句也听不懂。可是,她抓住你的手,带你到跳舞的人群里,你总算发现,跳舞是不用会中文的。
在与他们一起跳的时候,你发现,和中国人交流,仅仅会说中文还不够。


再访上海


「再访」という中国語は無いのかもしれませんが、昨日老師と話していて、「再别康桥」の「再别」が詩人の作った言葉のようなもの、と教わったので。であれば、「再访」くらいわたしが作っても罪にはならないのでは。。とフイツジェラルドの「バビロン再訪」のようなニュアンスで。


我住在上海的时候,最奇怪的事是没什么在海外的感觉。
高层建筑或者小胡同的样子都与日本不同,当然食物和语言也都完全不一样,不过不知为什么,我没怎么感觉到自己身处外国。
这是为何呢?在上海的期间经常都在考虑这个事情。返回日本到现在已经一周了,我却还会突然有种徘徊在散发香草味儿的上海胡同中的感觉。
简直像被谁招唤一样,我无数次回到上海,漫无目的地走在陌生的胡同中。


上海にいて、一番不思議だったことは、海外に来ているという感覚があまり無かったことです。高層ビルも、あるいは小さな路地の形も違うし、もちろん食べ物も、言葉も違うのですが、なぜか、外国という違和感はあまり持ちませんでした。
これは、なぜなのだろう。と上海にいる間よく考えていました。
また日本に戻ってから一週間もたったのに、今でも突然、あの香草の匂いがする上海の路地裏を歩いている気もちにさせられます。
これからも、思い出したように、上海の出来事は書いてみたいです。


上海にいる間、多くの人たちと自由に会話をしたというわけでは勿論なく、本当に簡単な言葉を並べる程度の中国語です。大雑把な感覚では、初級テキストを完璧に使いこなせて、必要な単語の知識さえあれば、相当自由な会話ができるのではないかと思いました。
中国には、日本から4冊のテキストを持って行きました。「汉语口语速成 提高篇」と「博雅汉语 中级冲刺篇」と「通訳メソッドを応用した中国語短文会話800」と「初級を超えるための中国語単語BOOK」です。


「汉语口语速成 提高篇」は昨年から、かなり使ったつもりになったのですが、このテキストをまだまだ消化できていないことを気づかされました。と同時に、このテキストの会話を自由に使えれば、もう用事を足すという意味においては十分だと思います。
「英会話は中学英語で十分」とよく言われている中学英語は、まさしくこの「汉语口语速成 提高篇」か、もしくは「汉语口语速成 基础篇」なのかもしれません。
「博雅汉语 中级冲刺篇」は、今年になって結構読んだり音読もしたいたのですが、現地の人の前で音読をすると、かなりボロボロでした。
「通訳メソッドを応用した中国語短文会話800」と「初級を超えるための中国語単語BOOK」は、7月から初めて、9月までの三か月で終わらそうと、本当に真面目に毎日続けていました。右にある100冊プロジェクトが7月から止まったのは、まさしくこの2冊を真剣にやっていたためです。
そして、中国に行く前に、毎日中国でも続ければ、無事に9月で終わる。というペースだったのですが、中国では殆どこの2冊のテキストを開くことはありませんでした。あまり時間も無かったとも言えるのですが、このようなトレーニング系のテキストを中国に来てまで続ける気持ちが湧かなかったのです。
「通訳メソッドを応用した中国語短文会話800」は、評判もいいし、「初級を超えるための中国語単語BOOK」については、比較的新しいテキストですが、単語集というより、于美香さんと于羽さんが作られて例文が読み応えのある面白さのテキストです。両方とも丁寧に読みこなしてから、何度も音読やシャドウイングをしていました。
しかし、中国に来ていると、こういった練習を重ねていく方法は、わたしには必要がないのではないのではないだろうかとも感じてきました。


効率的学習という観点では、日本で売られている、こういったトレーニング系のテキストは、きっと効果的なのかと思います。
ただ、現地での会話や、最近読み始めた、散文や短編小説と比べてしまうと、これらの脈略が無い短文を暗記していくことの退屈さが際立ってしまうのです。
とはいえ、貧乏性でもあるので、10月いっぱいは、しつこくこの2冊を続けて、それなりに内容を消化し、また大量にあるピンインつきの日本の大学生用教材や、市販の初級教材を、年内にさっとやっつけたいものです。中国語をはじめて2年目になる、来年の1月からはテキストではない、中国語の散文や小説やDVDを使っている自分を想像してみるのでした。




对了,我看到上海到处都有这样的桌子。使用的人是小宝宝?这是非常小又矮的桌子。
不过,在上海的处处地方都有卖,大学的校园也卖的。
有一次,我问在夜市卖这些桌子的人,这到底是什么?他回答,这些叫做“懒虫桌”。也就是说,那些很懒的年轻人,不起床,而是在床上吃饭和读书和游戏,都用的是这个。
你们知道吗?



これは、上海で買ったDVDと本ですが、恥ずかしくて公表できません。
本も、DVDも4,50冊程度を買ってしまい、スーツケースは体感重量30kgを超えていたのですが、なぜかお咎めがありませんでした。

去上海的日本人如何说中文


わたしが滞在した場所は、上海の中心地から離れた場所だったのですが、行き交う車はどれも高級車でした。一番多かったのが、日本の高級車で、次にドイツ車だと思うのですが、東京のどこと比べても、間違いなく高級車率が高く、また運転をしている人も若い人が多かったです。
実際に上海で、わたしがよく話をした人たちは、そういう人たちではありませんでした。わたしの片言中国語につきあってくれた人たちは、そういう人たちを斜めから見たり、見られていることを意識している人たちでした。彼らが話してくれた、「・・•不起」「•••不过来」という補語の響きがとても印象的でした。
いろいろな人たちから、いろいろなパターンで、これらの補語を南の訛った言葉で呟かれた、感情が合い重なったあの上海の夕暮れ。わたしは、すぐにでも、あの夕暮れの通りに立つことができます。今でも、そして、いつまでも、わたしは好きなときに上海のあの小路に立つことができるのです。


我逗留的地方是离上海市中心有点儿远的地方,不过往来的车都是高级车。
我觉得最多的车是日本的高级车,其次是紱国车,与东京相比,高级车拥有率高,开车的人也多是年轻人。
实际在上海和我交流的人们都不是那样的人。
(应酬我的只言片语中文的人们,是斜着眼睛那样的人,是认识被看见的人们。)
←ここはうまく、中国語に出来ません。そもそも日本語にも問題があるのですが。。
他们说的“•••不起”,“•••不过来”这样补语使我印象深刻。
各种各样的人们,用各种各样的方式,带着南方方言念叨着这些补语的,五味陈杂的上海黄昏。
我也能马上站在那条黄昏小路上。现在,并且将来,我能随时去到那条上海的小路。


*五味杂陈什么意思?わたしの持っている辞書には載っていませんが、こんな意味で普通に使うらしい。
甜、酸、苦、辣、咸一起涌上心头,体会不出是哪种味道,形容人的心情不好受



・上海における日本人の中国語の話し方
せっかく中国語を勉強していても、内気な日本人は中国人と話す勇気がありません。そんな日本人がいかに中国で中国人と交流をし、中国語会話を話せばよいのかを説明しましょう。


・去了上海的日本人如何说中文
好不容易学中文,性格羞怯的日本人没有勇气和中国人说话。那样的日本人在中国应如何与中国人交流和会话,我来说明一下吧。


1.知らない道を歩く
とにかく細い道を見つけて、どんどん歩いて行きます。車も通れないような道を30分も進めば、もうすっかり迷子になるでしょう。中国語が上手く話せない、迷子の外国人は、最強です。つぶらな瞳でもって、道を尋ねれば、警官でも、軍人でも、店の販売員でも、工事作業員でも、清掃員でも、泥棒でも、誰でも丁寧に道を教えてくれます。その人たちが暇であれば、あなたは彼らの出身地や家族構成や美味しいレストランに場所について尋ねることもできるでしょう。


1.走走不认识的路
不管怎样,先找那些小路尽情去走。在这种窄得无法通过汽车的路走上30分钟,应该会完全迷路了吧。在中国,既说不好中文,又迷路的外国人,是最强的人。
如果你睁大眼睛去问路,那么无论是警官还是军人,售货员、建筑工、清洁工甚至小偷,谁都会客客气气地告诉你。如果人家有空,你还可以问他们出生在哪里,家里几口人,哪里有好吃的饭馆等等。


2.小さな食堂に入る
そもそもあなたは、どの店が食堂なのかわからないでしょう。でも気にすることはありません。ただお腹がすいた様子さえしていればいいのです。もしもそこがレストランであれば、メニューが出てくるでしょう。もしレストランでなかったとしても、運が良ければ、そこの何とかという店の何とかという店員は、あなたにご飯の準備をしてくれるでしょう。最悪の場合でも、あなたに行くべき道を教えてくれるだろう。


2.进入小饭馆
其实你也许会不知哪个门面是饭馆。但不必介意。如果那里确实是饭馆,服务员就会拿着菜单会出来。
哪怕那里不是饭馆,如果运气好,那个什么店的什么店员,也会给你准备饭菜的。最不济他们也会告诉你路怎么走的。


3病院へ行く
あなたは夜更かしをしすぎて、重い鞄を持って歩きすぎ、何だかよくわからない食べ物を食べすぎて具合が悪くなり、熱も出て、頭痛、腰痛も酷くなり、結局病院に行かなければならないと考えるだろう。
あなたはホテルの人に呼んでもらったタクシーに乗り、タクシーの運転手とおしゃべりをする。そこで、タクシーの運転手が片言の日本語を話せるので嬉しくなる。あまりに楽しいので、途中で降りて、ふたりで回転ずしを食べることになり、病院へ行くのを忘れる。


3.到医院去
你熬夜过多,还经常随身带着沉重的包走路,而且吃了很多来路不明的东西,健康状态不好,发高烧,头痛,腰痛也变得厉害,你必须要到医院去了。
你请宾馆的服务员叫了一辆出租车,因为出租车的司机能说只言片语的日语,你聊得别提多高兴了。
于是途中下来,决定去回转寿司,忘了去医院了。。


4マッサージ店に行く
あなたは現代的な病院へ行かなかったかわりに、中国の歴史あるマッサージ店に行くことにする。
盲人のマッサージ店では、店員の力が強くて悲鳴をあげてしまうが、少し元気になる。
また調子に乗って翌日は高級なマッサージ店に行って、従業員から自分たちの待遇の悪さの愚痴をきかされる。また彼女たちも、自分たちの仕事が嫌いだと言われて、こめかみを強く押しつけられて痣を作らされる。



4.到按摩店去
你没有去现代化的医院,而去了历史悠久的按摩店。盲人按摩店的师傅按摩力量很大,你痛得叫起来,不过渐渐精神了。
第二天,你得意忘形地去高级按摩店。你用只言片语的中文和你觉得会交流的年轻女师傅说话。她向你抱怨她们的待遇的恶劣情况。加上,她不喜欢自己的工作,她用力地地压上太阳穴,我被按得发青。


5DVD店に行く
何度か行って馴染みになった店員に、「紅楼夢」のDVDが無いかと聞くと、店員は「もちろんある」と答えて探すが、5分たっても見つからない。彼は携帯で、何かあなたのききとれない中国語を話すと、店を出て行ってしまう。
あなたはひとりで店に取り残されると、そこへフランス人の客がやってくる。公開中のアメリカ映画のDVDを買いたいようなので値段を教える。彼に見事な中国語で「わたしが店主だ」とつたえて、彼から料金を受取る。
戻ってきた店主に、いまDVDを一枚売ったと告げると店主は感激して、2種類の「紅楼夢」DVDを半額にしてもらう。何れにしろ、あなたはDVDの本当の値段を知らない。


5.到dvd店去
你进了一家去过好几次的DVD店,老板已经跟你很熟了。
你问他《红楼梦》的Dvd有没有?他马上回答“当然有!”。不过5分钟过去也没找到dvd。
他拿着手机,说了句你完全听不见的中文,从店里出去了。
只有你一个人留在店里,这时有个法国客人来了。你看他好像想买公映中的美国电影的DVD,你告诉他dvd的价格。
你对他用漂亮的中文说“我是老板”, 然后领取价款。老板回来后,你告诉他,“刚才我卖了一张好莱坞大片DVD”。老板非常感激,对我以半价卖给我两种红楼梦的DVD。
最后你还是不知道DVD真正的价格。


6.公園へ行く
毎朝、公園には一万人くらいの老人たちが、運動をしている。一番人が多く集まっているのは、社交ダンスだ。また、公園の至る所でカラオケが行われ、公園の中はたくさんの歌声が響いている。
実は公園では朝だけでなく昼でも夜でも老人たちが運動をしているのにあなたは驚く。そして、どの老人も健康そうで楽しそうだ。あなたは、この景色は、日本では見たことが無かったことに気づく。日本人はどうして、こういうことができないのだろうとあなたは考える。
そこで、一人の老人に話しかけられるが、あなたは老人の言葉が一言も聞き取れない。しかし、手をつかまれて踊りの中に入れられると、踊りには中国語が必要ないのだと、あなたはようやく気づく。あなたは彼らと一緒に踊り続けているうちに、中国の人々と交流をするのには、中国語だけでは足りないことがわかってくる。


6.到公园去
每天早晨,在公园里有一万人左右的老人们在运动。其中最多的是聚在一起跳交际舞的。而且,公园到处在唱卡拉OK,公园里回响着各种歌声。
其实在公园里不仅早上,白天和晚上也有很多老人在一直运动,你大吃一惊。
并且那些老人看起来身体健康、心情愉快。你发现这个是你在日本从没看过的情景。你认为日本人无论如何也不会做这样的事吧。
之后,有个老太太上来搭话,她的话你一句也听不懂。可是,她抓住你的手,带你到跳舞的人群里,你总算发现,跳舞是不用会中文的。
你在与他们一起跳的时候,你发现,和中国人交流,仅仅中文还不足。

作文の訂正をいただく

すでに、何日も前に作文の修正を受け取っていたのですが、わたしの方で更新が遅れてしまいました。
また、メールにて修正をしていただいた方の日本語のナレーションを聞かせていただいたのですが、それはそれは、日本語が上手い。という表現を遥かに超えていました。NHKニュースの朗読を聞かせていただいたのですが、本当にまるで、日本のNHKのアナウンサーだと思ってしまいました。
それに比べて自分の中国語水準の低さには、恥ずかしいというより、もう呆れるばかりです。
いただいた原稿はまだまだ音読をして、勝手に自分の中国語にしてしまいたいです。


また、別の日本にいる中国の方にもわたしの作文を直していただきました。これは、直接お会いする機会があったので、まずわたしの中国語を見せて、またわたしがここで言いたかった意味を説明しながらの作業となりました。説明をしていく中で、原文と少し離れてしまう個所もありましたが、直接中国語で説明をしていただくのは、文章を作るという過程まで共有できるようで、とても楽しかったです。


お二人にはとても貴重な機会をいただきました。どうもありがとうございます。
これに懲りずに、第二弾も。。などと勝手に目論んでいます。
それには、もう少し、自分の中国語をなんとかしなければいけませんね。



●父亲房间的灯光


就我所知,世界上最美的误会要属关于中国的万里长城的一件事。
据说以前,中国的教科书里写着“从月亮可以看到万里长城”这样的内容。
但是最近有位科学家宣称这不是事实,从太空中是看不到长城的。
所有中国人都遗憾地大叹了口气吧。中国的土地肯定因为这遗憾的叹息而下沉了。
但是,至今在长城周边,仍然可以听到来自世界各地的游人兴奋地说:“看啊,这就是长城啊!从月亮上可以看得见的长城哦。”这才是真实的事。自己内心认定的事就是真实的事。


我的父亲身体不适住院后,我和母亲经常一起去医院看望他。
有一天,在开往医院的汽车里,母亲说起了与父亲如何相恋的事。
父亲家里的灯经常亮到很晚,于是母亲就认为父亲是个非常热爱学习的人,后来两人就开始交往,之后就结婚了。
因为那灯光,母亲觉得父亲是非常温良敦厚又认真的人。
因为这个缘由,所以无论是交往时还是结婚后,在父亲身后,母亲总是能看到那家窗帘后朦胧亮起的黄色灯光。
对母亲而言,与父亲争执时,甚至父亲如现在般卧床不起时,她都能看见在父亲身后那盏陪他学习到深夜的灯光。
那天,母亲和父亲说起了结婚前,一直能看到父亲家里的灯亮到很晚。
但父亲却说那里不是他的家。
母亲把别人的家当成父亲的家了。
母亲看起来很失望。
父亲肯定不知道母亲口中的“家”有着什么样的意义。
但我也感到了父亲散发出来的孤独气息。父亲他可能也隐约察觉到了母亲的心情。
母亲望了一会儿窗外,之后她只是叫我去买一罐咖啡来。
我一时不知该对母亲说什么。
母亲接着说:“要甜的咖啡哟。”
母亲意味深长的微微笑着。平时非常温和的母亲,此时的微笑简直就像在发火。


一周后,父亲去世了。这是三年前的事。
母亲现在已经不问世事了,直到现在她还会说:“我还是看得见哦,他身后亮着那盏他学习时的灯光。你看得见吗?
母亲这样说的时候,我一下想起了那个长城的事。
所谓真实就是自己心中笃定不移的事情。
总而言之,父亲身后那盏长明的灯光是不会轻易熄灭的。




●美丽的误会


据我所知,在世界上最美丽的误会是关于中国的长城。
听说,以前中国的教科书里曾经写有“从月亮上可以看到长城”。
但是最近,某科学家发表了一篇论文指出这并非与事实相符,说从月亮上看不到长城。
而且最近中国的宇航员也说“在太空中不能看到长城”。
估计所有的中国人都大叹了一口气说“好可惜!”
我觉得中国大陆一定因中国人遗憾的叹气声而沉了一沉吧。
然而直到现在,在长城周围,仍然可能听到来自世界各国的游客兴奋地说:
“看,这就是长城,从月亮上可以看到!”
这就是真相。真诚的、发自内心的所感才是真相。


我父亲的病情加重,住院的时候,我与母亲一起去医院看他。
有一天,在开往医院的车上,母亲说起了同父亲的最初相识。
那时母亲总是看到父亲家的灯一直亮到深夜。望着那灯光,母亲想象着父亲肯定是一个勤奋好学的人,于是两个人开始了交往,然后不久就结了婚。
也因为如此,在交往的时候及结婚以后,母亲的眼前也总是浮现出隔着那家的窗帘而看见的父亲的身后那朦胧的黄色灯光。
因为那灯光,母亲确信父亲是个温厚诚实的青年。
对母亲来说,无论与父亲怎么争吵,就连父亲一直卧床不起的现在,眼前也能浮现出父亲身后的那盏灯,那盏陪同父亲一直用功到深夜的灯。
那天, 母亲告诉卧床不起的父亲,结婚以前她常常看到父亲家的灯一直亮到深夜。
但不料父亲却回答说那并不是自己曾经居住的家。
原来母亲错把别人的家当成了父亲的家。
母亲看上去好像很沮丧。
父亲理应不知道母亲嘴里所说的那个“家”的意思。
但是我感觉到了父亲的孤单寂寞,估计父亲也依稀体会到了母亲的心境。
母亲暂时注视着病房的窗户。然后母亲的唯一的反应是让我去买听咖啡。
我不知道怎么安慰母亲好。
母亲一连说,“要甜一点儿的啊”。脸上浮出了一丝深沉的微笑。平时母亲非常温柔。而那时的微笑却象是在生气。


一个星期后,我父亲去世了。
那已经是三年前的事了。至今母亲还总是说,“我眼前仍然有着你父亲身后那盏陪他用功的灯。你也能看见吗?”
母亲也变成了一个与世无争的人。
在她说话的一刹那,我想起了那长城的故事。
真相就是真诚的、收藏在内心深处的所感。
父亲身后的灯毕竟已经亮了半生,不是可以被轻易地熄灭的。

外国語の文章を書くということ


博雅汉语、第5課の練習問題を書いたところで、ネットで知り合った中国の方に見ていただくと、日本語の発想で書かれているので、原文を見せてほしいと言われました。
実は、日本語の文章を作らなかったので、あわてて中国語を日本語にしてみました。
日本語にしようとすると、おかしな語順や、抜けている文字が見つかりました。
ただ、それ以前に、わたしがあと10年中国語とつきあっても、判断できないような気がする、「日本人的な発想の文章」がたくさんあるのでしょう。
わたしの日本語訳は、中国語チックなヘンな日本語なのですが、部分的に中国語と離れてしまう箇所もありました。この下手な日本語から、また中国語にしていただくと、さらにわたしの中国語から離れてしまう気がするのですが、それでもとても参考になるので、自分の日本語からだいたい同じ中国語訳をしていただけるのは、とても楽しみです。
おそらく、そのうち送っていただける中国語文章の前にわたしの中国語作文と、その和訳を下に載せます。


練習問題の課題は、「この課に出てきた新出単語から10個以上使え」という課題だったのですが、わたしは無理に殆どの単語を使いました。
この今まで使ったことのない単語を、無理に使って文章を作るという行為はとても面白かったです。本当は、文章全体をわたしがとらえた「席慕容」的な形容詞や、言葉の積み重ねを真似したかったのですが、そこまでは出来ませんでした。ただ、「燕子」の構造自体を真似てみました。
この真似っぷりについても、自分としては、今回はとても満足がいく出来ではありました。が、自己満足的な水準であったのかもしれません。


前に、日本語を学習するサイトで、まるで日本人の女子高生が書いたような、くずれてはいるけど、もの凄くリアルな日本語を書いている人を見つけて、日本語の習得方法を聞いたところ、とにかく毎日日本のテレビドラマを見て、毎日日本の友人とQQで文章のやりとりをしているという話でした。
実際のところ、その人は大学で日本語を勉強しているのですが、自分が楽しいと感じる習得方法を使って、かなり短期間に上級女子高生日本語をマスターしてしまったのでしょう。
また、日本のドラマを見て楽しむとか、日本の友人と話をするというのは、彼女にとってはもはや日本語上達のための手段ではなく、目的となっているので、楽しくもあり、また絶えず続けられることだったのでしょう。


この1年間ほど、わたしは中国語関連以外の本を殆ど読まなくなってしまったのですが、今月は、語学に関係するからね、と自ら広義の解釈を与えることで、翻訳者の書いた文章や翻訳小説を読んだのですが、そこで今更知った、ロシア語通訳者の米原万里さんの文章力には驚きました。
とくに、「打ちのめされるようなすごい本」というタイトルがついたこの本自体もすごいのですが、わたしもとにかく本を読む生活に『戻らなければいけない』と強く思いました。わたしの人生の殆どが本を読む生活だったのだから。
細かなことは一気に省略して、外国語の能力とはやはり、母語の能力に依存する。外国語習得には母語をどう捉えているか、母語をどう活用できているかに制限されてしまうのだなあ、と結局殆ど使わなかった空調を見上げながら考えた8月でした。



父の部屋の灯


わたしの知る限り、世界で最も美しい誤解とは中国の万里の長城の話だ。
聞くところによると、以前の中国の教科書には「月から万里の長城が見える」と書かれていたらしい。しかし最近、ある科学者はそれは事実ではなく、「宇宙から長城は見えない」と発表した。全ての中国人は大きなため息をついたのだろう。「ああ、残念だ」と。わたしはきっと中国大陸は、この中国人の残念がる溜息で沈んでしまったと思う。
しかし、依然として今でも長城の周りでは、世界中の旅行者が興奮して、こう言っているはずだ。「見て、これが長城だよ。月からも見える長城だよ」と。
これがまさしく真実だ。自分で真剣に心の中に思っていることこそ真実なのだ。


わたしの父の具合が悪くなって入院をすると、わたしと母は一緒に病院へ見舞いに行くようになった。
ある日、病院へ行く車の中で、母は父とつきあうようになったなれそめを話し出した。
父の家の灯がいつも夜遅くまで着いていたので、母は父のことをとても勉強熱心な人だと思って、それで二人はつきあいはじめ、それからまもなく、結婚をしたという話だった。
あの灯りのために、母は父をとても温厚で真面目な人だと思ったのだ。
こういうことから、つきあっている時も、また結婚をした後も、母はいつも父の後ろにはあの家のカーテン越しのおぼろげな黄色い灯が見えていた。
母にとっては、父とどんなに喧嘩をしたときも、父がずっと寝たきりになってしまった今ですら、父の後ろにはあの遅くまで勉強をしていた灯が見えていた。
結婚する前に父の家の灯がいつも遅くまで着いていたのを見ていたことを、その日母は父に話した。
しかし、父はその家は自分が住んでいた家ではないと答えた。
母は父の家を実は別の人の家と勘違いしていたのだ。
母はとてもがっかりしたように見えた。
父はきっと母の口から出たあの「家」にどういう意味があるのかはわからなかっただろう。
しかし、わたしは父からも孤独感を感じた。父は父で曖昧ながらも母の気持ちに感じたところがあったのかもしれない。
母はしばらく病室の窓を見つめていた。それから母がとった唯一の行動は、わたしに缶コーヒを買いに行かせることだった。
わたしは母にどう言葉をかければいいのかわからなかった。
母は続けてこういった「甘いコーヒよ」
母は意味ありげな微笑みを浮かべた。普段の母はとても温和なのだが、この時の微笑みはまるで怒っているように思えた。
その一週間後、父は亡くなった。これは3年前の出来事だ。


今でも母は、「わたしはやはりお父さんの後ろに、あの人が勉強をしていた灯がみえるよ。お前にも見えるかい?」とよく私に話す。
母も今はあまり現実のことに関心がなくなってしまったのだ。
母がそう話した瞬間、わたしはあの長城のことを思い出した。
真実とは自分が真剣に心の中に抱くものなのだ。
結局のところ、父の後ろで、あの長い間灯り続けた明りは、簡単に消えるものではなかったのだ。



美丽的误会


据我所知,在世界上最美丽的误会是中国长城的事情。
听说,以前在中国的教科书里写了“从月亮可以看到长城”。
但是,某科学家写了事实并不如此。从月亮上看不到长城。
并且最近中国人的宇航员也说“在太空中不能看到长城”。
估计全中国人叹了一大口气。
“好可惜”,我觉得中国大陆一定因中国人遗憾的叹气声而沉了一沉吧。
但是仍然现在在长城周围,全世界的游客还是在兴奋地说:“看,这是长城,从月亮上可以看到!”
这就是真相。真相就是自己怀着认真心情的东西

我父亲的病情加重,住院的时候,我与母亲一起到医院看他去。
有一天,在医院的车里,母亲说起了同父亲的最初相识。
因为父亲家的灯总是亮到深夜,因此母亲认为父亲是用功热情的人,于是两个人的交往开始了,然后不久就结婚了。
因为那个灯光,母亲认为父亲是温厚诚实的青年。
也因为如此,在交往的时候,还有结婚以后,母亲总是看见父亲的后面,那个家的帘子隔着的朦胧的黄色灯光。
对母亲来说,与父亲无论怎么争吵的时候,连父亲一直卧床不起的现在,母亲也能看见在父亲后面,到了很晚用功的灯还亮着。
那天, 母亲对卧床不起的父亲说,结婚以前她常常看到父亲家的灯一直亮到深夜。
于是,父亲回答说那并不是自己曾经居住的家
母亲以为那个父亲的家,其实是别人的家。
母亲看上去好像很沮丧。
父亲理应不知道母亲嘴里所说的那个“家”的意思。
但是我感觉到父亲的孤单寂寞。估计父亲也模糊体会到了母亲的心境。
母亲暂时注视着病房的窗户。然后母亲的唯一的反应是让我去买罐装咖啡。
我不知道怎么安慰母亲好。
母亲一连说,“挺甜的咖啡哩”。母亲的脸上浮出深沉的微笑。平时母亲温柔得很。但是那时微笑象很生气的样子。

天一个星期后,我父亲去世了。这时三年前的事情。
至今母亲总是说,“我仍然能看见在父亲后面,他用功的灯。你也能看见吗?”
母亲也变成与世无争的人。
一刹那,我想起来,那长城的故事。
真相就是自己一直怀着认真的心情相信着的东西。
毕竟在父亲后边,半生里亮的灯,不能简单地熄灭。

夏休み計画

今年はまだ夏休みを取っていないので、できれば9月の連休の間に休みを取ろうと思います。すると、およそ10日間連続して休むことができます。
去年は、自宅でひとり中国語特訓をしたのですが、今年は可能であれば中国へ行って、中国語特訓をしようとも考えています。
去年の7月に自宅で集中して中国語漬けになって、現実はともかく、本人としては「やった感」を得られました。あれから一年たって、実際にはどこまで通じるのかという検証兼中国語特訓を現地でしてみたくなりました。


と、何かとてもいい考えのような気もしたのですが、極度の人見知りのわたしが、知らない土地へ行って、知らない人にどんどん話しかけられる自信がありません。
中国現地の中国語学校へ行くという選択肢もあるようですが、せっかく現地へ行って、ずっと中国語学校とホテルを往復して勉強をするというのは、何か間違っている気がします。
と。
間違えている気がすることは気がするのですが。。中国でホテルや食堂の係りの人と、それなりの会話をするくらいは挑戦できそうです。あるいは、現地の人たちが参加するような旅行に申し込むのもできるの「かも」しれません。
今はブログを閉鎖されたchstdさんが、定期的に上海に行かれて、自分の中国語力を主観的に計測されていたのが、面白そうで真似をしてみようと思ったのですが、いざ、自分で休みを取れそうだとわかっても、中国で、どう過ごしたらいいのかが、わからなくなってきました。
chstdさんに、聞きたくとも聞けそうもないのがとても残念ですが、街を歩いて、ご飯を食べて、簡単な旅行をしてみて、テレビを見るだけでも、十分なのかもしれません。と無理やり自分に言い聞かせ、まずは中国のどこか人が多いところへ行ってみようかと思います。



因为我还没有使用我的夏季假期,所以我打算在9月请一个连休假。
如果用我们公司五日暑假,请了9月连休之间假的话,我大约可以休息十天。
去年的暑假,我在自己家里(没有空调的房间里!)做了中文特别训练。
其实今年我打算去中国,因为我想在中国训练我的中文。
对我来说,这是我第一次呆在中国,我想去如北京或者上海那样的人很多的地方。
而且我想跟普通的中国人过一样的生活。。
不过,因为我是外国人,我只能住在宾馆。
而且我怕生,我不敢跟不认识的人说话,可怜!
我不喜欢去汉语学校,到底在中国,要怎样才能学习中文呢?
如果大家知道任何可以帮助我在中国更好地学习的方法,请大家告诉我。

あなたはいつか、中国人のような文章を書く

一応SKYPEは、中国語のレッスンや友達と話すのに便利と言われて、入れてはいるのですが、今一つ使いこなせてはいません。
以前、知らない中国の方から連絡がたくさんあったりで、あまり使いたくもなかったのですが、わたし宛の意味の分からないメッセージがあったので、問い合わせてみました。
すると、わたしのSKYPEのプロフィールに気取って書いた、朱自清の有名な散文の一節に「也」が抜けているというメッセージでした。
一目で、誰が書いた何の文章だかわかってしまうというのは、日本語の小説に置き換えて考えると、いくら有名な小説でも、なかなか気づくものではありませんし、文法的な間違いでなければ、その修正箇所を気づくというのは、やはり中国での小学校時代に行われているらしい、「文章暗記教育」の賜物なのでしょうか。
そして、ついでといえばついでに、またわたしがブログに書いた中国語がおかしい。という指摘もいただき、修正文章を送っていただきました。谢谢。


前に中華料理屋のおじさんからも同じ文章を修正してもらっていたのですが、同じ修正箇所もありますが、たいていは違う修正となっていました。


たとえば、おじさんが指摘して、わたしもそうだと思った、「心をフジロックに置いておく」というのは、「把」を使う表現にしないといけないはずなのですが、今回は「文法的には把を使う方が普通だけど、原文を活かした」と言われました。
逆に、おじさんはここで「圧倒的に」という表現は中国人の使う表現ではないけど、「わざと、あなたのように使うのもいい」という説明でした。
また、おじさんから変と言われた、「体会到那种情感交织的心情」は、修正されませんでした。
他にも「自然に抱かれる」という表現や「什么时候」の使い方も、それぞれ違うのですが、どちらも、修正文章を見てはなるほどおお、と思います。
ただ、訂正文章を見て、なるほどなるほどと思うものの、修正をしていただいた文章を書けるようになるのかと言うと、まだまだそう易々と中国語力を上げられるわけではありません。


発音にしても、作文でも、あるいは会話でも、自分のアウトプットを修正していただかないことには、自分では間違いを気づくことすら出来ないのですが、ここから自己修正をしていくのが難しいです。ただ大量のインプットで、いつのまにか中国語力の上達を。。ということだけではなく、せっかく指摘された箇所については、きちんと消化して修正をしていかないと、いつまでも、修正されることを満足しているだけで終わってしまう気もします。


というわけで、わたしの原文の思いまでをくみ取って修正していただいた文章はこちらです。まだ、ここは曖昧だとか、何かが足りないとか言われていますが、もうそんなことは、来年の課題ということで!



即使到了现在,每当夏季来临,我还是能够体会到那种情感交织的心情。
在早已过去的十多年里,我一直参加着盛夏的“富士摇滚乐节” 。
那十年,无论是在东京做着工作,还是在家看着电视,我的心一直都在富士摇滚乐节上搁着。就这样我度过着一年又一年。

比起又有谁来了,又听了怎样的演奏,现在想起“富士摇滚乐节”这个词,首先浮现在我脑海里的是:在盛夏的山中置身于大自然怀抱里的日子。
那无与伦比的森林色彩和树木清香、受到太阳或雨水侵袭的皮肤的感觉,以及大自然创作出的不亚于人所制作的单纯而丰润的声色 ,都令我陶醉不已。


清晨,你可以漫步在森林里的林荫小道。
太阳升起的那一刻,不但你被唤醒,连鸟和虫子的心也扑通扑通地跳起来,动物们和你一起叽叽嘎嘎地欢笑着。

午后在会场的很多地方都开始演奏起各种各样的音乐。
不过音乐一停,虫声和鸟声就会在森林里像奏乐似的持续着这个摇滚音乐节。 音乐、动物的声音和夏天一样,充满了活力。
如果你不喜欢摇滚乐,何不选择到竹林里去?在那里有很多吊床。
你想什么时候休息,就什么时候躺在吊床上休息。

黄昏时分,你可以到河边去听音乐。
那里离会场有点儿远,听不清乐队的演奏 ,不过你能够听到很多自然的声音。其中小溪的潺潺和树梢的沙沙最像室内乐了,变化不是太大,但却有一种细腻而美丽的风格。

到了夜晚,经常哗啦哗啦地下起大雨。这时你不可能听到虫声,却能够清楚地听到摇滚乐的铿锵声和大风雨的呼啸声,这反而给你带来一种冲突的美感,因为这本身就是一种庄严而宏伟的音乐。

这些回忆,随着你心情的起伏而做着音量的调节,在你心情愉快时,听起来就像大自然在为你放声欢唱,在你悲伤时,听起来仿佛它也在为你低声泣吟。
无论怎样,今年的夏天即将到来。你肯定已经听到了那里的音乐。