中国語教材の使い方


連休に、北京大学の500字水準の小説「如果没有你」(もしあながたいなければ)を読み終わりました。このシリーズの小説としての奇妙さばかり書いてきましたが、今回もまた凄いですね。スリの男性を女子大生が好きになるのですが、それは小説としてありうる話かもしれませんが、この小説の無茶ぶりは凄いものでした。
と、小説としての完成度については、大いなる疑問を持ったこのシリーズですが、当然ながら文章は平易で、それでいて各種の補語や基本的な文型に多く接することができたことは、よかったはずです。(きっと。。)あと、一気に大量の中国語文章を読むことに慣れることができました。
こちらも、機会があれば、ぱらぱらと読み返したりCDを聞き返したりしようと思います。


また、ようやく「漢語初級口語教程」の上巻が一通り最後まで終わりました。下巻も来月には終わりそうです。この北京大学の留学生用の教材の特徴は、あまり文法に重点を置いていないところでしょうか。特に会話部分は基礎的な会話で、朗読部分に、面白い素材が多いのですが、この素材を乗せることが先にあって、文法や単語を学習させるための教材作りとはなっていないところが好きです。だから、この初級の上と下を通読しても、おそらく必須な単語や文法を学び通せることにはなりません。しかしこの教材の朗読部分の教材は面白かったです。
教材のタイトルは「口語」となっているのですが、他の留学生用教材(漢語口語速成、説漢語、初級漢語)のような、口語体を覚えさせるようにもなっていない、不思議な教材でした。


大学生2年生用の教材の難しさは、わたしが今の大学2年生の第2外国語水準をなめていたのかもしれません。手元にある教材を見るに、大学2年生用教材の到達点は、中級の完成にあるようで、留学生用の初級提高編を遙かに越えたところに入っています。
実際に留学生の1年間に接する時間の多さから、一年間で分厚いテキストを数冊使うようになっているらしいですが、この日本の大学生用教材は、こんなに薄い中に見事にいろいろなものを詰め込んでいます。
両方の多くの教材を使いながら、ゆるやかに、そしておそらく確実に中国語水準をあげていくには、留学生用のテキストの方が使いやすい。とも感じたのですが、その内容については、決して日本の大学生用テキストも負けていません。
ラジオやテレビや、また文法書の執筆者として、有名な先生方が作られた素材は、読み物として面白い物が多いです。
少し変わったところでは、まだ使っていないのですが、「朋アリ遠方ヨリ来ル」は、一課がたった4行であったりするところが、相原茂先生の現実の大学2年生の状況を察しているというか、やはり個性を発揮しているところでしょうか。
で、これもまた使っていないテキストですが、関西大学編の「心に残る中国語」というテキストがあって、編集方針がまさしくタイトル通りの「心に残る中国語」を選び抜いたという点と、全ての課の練習問題の1が、テキストを背诵しろ。というところが、気に入りました。
せっかく、限られた頭脳と時間で暗記をするのなら、買い物をしたり、病院へ行くときの会話を覚えるよりも、わたしには、美しく記憶に残る文章を暗記したいので、これをきれいに背诵して、週に一回の老師に披露しようと思います。
また、単語や文型の暗記をしようかとも思ったのですが、せっかくそういう時間を作れるなら、漢詩を暗記していこうと思いました。
とこちらこそ、老師から、四声を体に馴染ませることと中国語の発音を丁寧に美しく発生する練習にいいということで、漢詩の暗記を進められました。今は殆ど知識がない漢文についても、暗記から入って漢文の知識から派生して中国語の歴史を学びたいとも思いました。
やはり試験のための学習でもなく、さらに学習のための学習ではなく、すでに中国語から何かを学びたいという気持ちが大きくなりました。


と、大学のテキストと中国の留学生用テキストを比べていますが、実際に入門や初級レベルを独学で進めるには、一般の市販テキストが一番いいのかもしれません。
今のところ、わたしのお気に入りは、やはりあまりテキストらしくない、「生活中国語」と同じ著者の「中国語実習コース」です。さらに、「中国語がわかるリスニング」も、最初に手にした時に感じた難しさは今でも、そんなには変わらないのですが、小説を何冊か読んだあとからなのか、ぎっしりの中国語を読み進んでいくことに快感すら覚えるようになりました。


それから、「家有儿女」は、よたよたと第3話に入りましたが、このテキスト一冊がどんな留学生用テキストよりも厚く、内容が濃いので、このままなんとか4話まで辿り着きたいものです。
それからそれから、「聴く中国語」にまで、なかなか手と目が回らなくなってしまったので、完全ではなくても、一通り聴いて読み通したいです。

今は、人生で一番机に向かっている時間が多い気がします。休日には一日の学習時間が10時間を超えたあたりで、集中力が落ちるというか、頭痛すらしてくるので、連休は久々に走ってみたところ、今度は疲れて机に向かえなくなってしまいました。
と、気を取り直して、また孜孜不倦地用功。

連休の予定

今日は、たぶん一日に2回ここの記事を更新しようと思います。
連休は中国語にとことん浸れそうで嬉しいです。


まず、「家有儿女」の第二話の最後の第六課と、第五課の練習問題。
また、漢語初級口語教程(下)の15課
漢語口語速成(提高編)の11課
作文練習
あとは、テキストの通読か500字小説も一冊読みたいです。

と、夜に実際にどれだけ出来たのか、書いてみたいと思います。

「家有儿女」の授業


週末は、ずっと中国語を読み聞きしていました。
やったことの中心は、実は「家有儿女」でした。いったい、何話まで見たのか。というと、まだ一話も見終わっていません。
この、20数分のドラマをいったい何時間かけて学習しているのかと、我ながら驚きます。
まず、ネットでこのテキストを使って授業をしてもらったのですが、これがなかなか。
台詞が聴き取れない。というのではなく、テキストが難しいというのではなく、もう老師の話が聞き取れません。
なにやっているのか。っていう話ですが、日本語もわかる老師なのですが、こちらも、「もう一度言ってください」をあまりに何度も繰り返すは、いや、この「请在说一遍」の声調が違うと、これまた修正されてしまうレベルなので、なかなか進みません。
一時間の殆どを台詞の音読です。また台詞の意味がわからない所を解説していただいたのですが、それでもいまひとつ理解できていなかったり、考えてしまうと、沈黙が続いてしまいます。
自分でも、どこがわからないのか整理していなかったので、なかなか授業の進め方もわからない緊張のまま、第1回の授業が終わりました。
このテキストは、一話を六課に分けているので、一週間に一課だと、一話を終わらすのに、一ヶ月半。一冊のテキストが4話なので、なんと、たった4話終わらすのに、半年。このテキストを三冊もっているので、三冊の12話が終わるのに1年半ですね。
それは、あまりにもあまりだ。という気がして、もう少し自分の「家有儿女」の水準を上げようと、とりあえずドラマを聴き取るよりも、ドラマの台詞を音読し、不明点を調べ、練習問題をやりました。
しかし、内容が面白いので、他のテキストをやるより抵抗感がなく、また初見では難しいと思った言い回しや単語も練習問題までやると、すんなりと頭に入ります。
ただただ、ネットの授業の老師に迷惑をかけまい。という小心者のきまじめさから、準備を重ね、週末に4回の授業をお願いして、1話の4課。2/3まで終わったところです。
それでも、授業中の老師が話す中国語は1/3くらいしか、理解できていないのは内緒です。
しかも、「内容をまとめて」とか、内容の解説とか、この台詞をどう思うか?という質問には、心の中で「えー!」と叫んだ後で、PCの辞書を使いながら「少しわがままです」とか「わたしは上海蟹は食べたことがありません」とか、しょうもない答えを必死で返しています。


寿命が3ヶ月くらい縮んだ気がする「家有儿女」の授業でしたが、老師にも、わたしが、かなりイッパイイッパイであることを気づかれて、このテキストが難しければ、替えてもいいですよ。みたいなことを言われてしまいましたが、もう意地でも第一話は今週中に終わらせます。気合いが続けば、一冊の4話分まで来月には辿り着きたいところですが。。
しかし、このままのペースだと、一話で6時間のレッスン。4話だと24回のレッスン。いったい「家有儿女」に、どれだけお金を使うのか。と自分でも不思議ですが、もう暫く授業は続けてみようと思います。
内容は本当に面白いのですが、個人的なツボは、息子二人が、娘を歓迎する节目をするのを見て、刘梅役の女優が芝居でなくおそらく本気で吹いている瞬間でしょうか。あと、子役達の芝居は、あまり上手くないのですが、あの子役的な「芝居」ぶりもまた、見ていて楽しいです。


と、週末の中国語はそれだけでもなく、「漢語口語初級教程」もコツコツ進めました。上と下を一緒に進めているのですが、順調に行けば10月には終わりそうです。
「漢語口語速成」も相変わらず繰り返しています。この基礎編は、課によっては数百回の音読をしていますが、今年いっぱい何度も繰り返して定着させたいです。また、「提高偏」も、進めているのですが、これも少しずつ進めて、また来年の夏かGWに集中して復習をしたいです。
「初級からのシャドウイング」と「会話ルート66」と「瞬訳初級」も、飽きるほどやり続けて、精神的には結構飽きてきてしまっているので、もうどこまで続けるの?と、特に「初級からのシャドウイング」と「瞬訳初級」は、すでに一回り終わっていて続編もあることだし、10月には卒業するようにスケジュールを組みました。
「会話ルート66」は、今までは、なかなか単語が頭に入らなかったのですが、他のテキストを進ませることで、かなりの単語が既知のものとなり、音読をしやすくなりました。これは、内容がいまひとつ面白くない。という理由で、やはり9月か10月には終わらせて卒業させいたです。
「中国語がわかるリスニング 」は、今一番のお気に入りの内容です。全16話のうち、6話まで終わりました。怪談の話や桃源郷の話も面白い。わたしが持っているテキストでは、やはり一番難易度が高い文章なのは間違い無いのですが、内容が面白いので、先へ先へ進みます。
これも、全16話なので、9月には一旦終わりそうですが、年内中、何度も繰り返して、テキストを見ずに聞いて内容がわかる。ところまで聞き込みたいです。
「聴く中国語」は、とても面白いです。テキストが中国語を学ぶ。という方向だけでなく、現代中国の状況を知らせる。という方向に向いているかのような様々な話題や、個人的な記事も面白いです。ただ、月刊誌はなかなか手強いのですが、一ヶ月に一冊、もしくはバックナンバーも入れて2冊くらいは読み終わらせたいです。
「生活中国語」も、コツコツ進めています、もう少しで一通り終わるのですが、如何せん内容が古すぎます。日本のストで全ての電車が止まるとか、また作者の考えも、少し奇妙に感じる点が多いのですが、そこの違和感に、また少し惹かれたり。。これも、9月には一通り最初からやり直して終わらせたいです。
「説漢語」は、今は近所の中国語先生との発音素材ともなっているのですが、上巻を暗記目的で使っているときは、単語や語法を覚えるのに役立ったのですが、下巻に入ると、中国語で発言したり意見を伝えるのに有効的なように感じます。
これも今年中まで続けて、下巻も暗記を終わらせたいところです。


と、いろいろ書きましたが、いつのまにか、面白い教材を使いたい。という方向に向かっているのですが、これはもう学習をしているというより、本当に中国語を使えているという感覚になってきました。
ただ、あまりにもわたしは中国語を書いていないので、書けない漢字が多いです。音読だけでなく、暗記の最終段階とまとめとしても、中国語をきれいに書く。という習慣も身につけたいです。
という中国語欲望でぎらぎらしているこの頃です。

中国語がわからないリスニング

週末は新幹線に乗って、しかるべき所で過ごさなければならなくなったのですが、知人がいないところで、人目を忍んで学習をする。という、我ながら、なんでそこまで?と呆れながらも、常にiPodとテキストは持ち歩きます。


そんなときにも「中国語がわかるリスニング」のテキストは、iPodより一回り大きくて、薄さは同じくらい。ポケットにも入ります。実際こんな小さな字で解説は全くなく、いくつかの単語に注釈がついているだけ。という体裁を、はたしてテキストと言えるのか、わかりません。が、人目を忍ぶ学習で、こそこそと4章まで読みました。
昔からの猫とネズミの話は、今まで読んできた定番の終わり方とは少し違って、お茶の話も、よくある中国語テキストで読んだことがある中国茶に関するどんな話よりも、かなり詳しく、また中国語に関する話や、中国を使った遊びの話では、まさしくわたしが苦手な「ang」と「an」の違いや有気音、無気音の話題や、歇後語のことなど。そう今使っているテキストで「説漢語」という中国のテキストがありますが、この内容を3倍くらい難しくした感じ。(倍の意味は不明)
それでも、何故か、このテキストが気に入ってしまいました。
と、その「何故か!」という部分とこのテキストのどこが、中国語検定4級レベルなのかと関係者にメールを出したいくらいの、「どこが!」を説明するために、一部勝手に文章を引用してみます。


有一户很大的农家,不知从那一天起,一只年轻的猫就开始住在家了。
这只猫手脚粗壮,一身黄色的虎班。
它在这户农家发现了很多猎物:
米仓就不用说了,在晒咸肉的小茅屋,在放酱油和酱菜坛子的房间,
在堆放着蔬菜的手推车附近,都有大群老鼠出没。
看到老鼠们窜来窜去,猫就禁不住扑上前去。
它抓了又抓,即使吃饱了肚子也不停手,还常把抓来的猎物放到它的主任---农夫能够看到的地方,向主任讨好。
主人见到猫抓来的老鼠,便不用得抿嘴一笑,对身旁的猫说,“好样儿的,你真是一只能干的猫,你就一直住在我家吧。””

この文章のどんなところが好きかというと、初心者向けテキストとしていながら、作者と編集の怠慢なのか、あるいは意図的なのか、初心者的な語彙に置きかえることができても、そうしないでいる様でしょうか。
また、まだわたしは、「不知从那一天起」と、既知の簡単な言葉の固まりですら、「いつのまにか」というような意味がすぐには把握できない、ところ。そう初見では、なかなか意味がおりてこないのですが、それでも各章を一回通読すると、全体の流れが把握できて、部分的には難しいと感じた用語も繰り返されるので、頭に入りやすくなります。
とはいえ、この本の売り?である、「聴き取りやすい」かというと、確かに話されるスピードはとてもゆっくりなのですが、なかなか音で理解をすることは難しいです。
最初は多読として使おうと思ったテキストなのですが、「テキストを見ずに、音だけを聴いて内容が完全に理解できる」ところまで、このテキストは使おうと思います。

と、「聴いて内容がわかる」と「読んで内容がわかる」の間には、男と女の間の河以上に深くて遠き距離のようなものを感じます。


また、あれだけ集中的に学習をした「漢語口語速成」ですが、内容をすっかり覚えてしまっているので、全体の流れは頭に入ってしまっていいるものの、今になって聞き返すと、意味を理解できない単語がぼろぼろ出てきます。
と、せっかくあんなにやったので、と、日曜日の夜は、また第一課から一通り、25課までCDと一緒に音読をしたりしました。
これがまた、一気に一冊のテキストを通読(CDに手伝ってもらうも)する快感も味わえました。
それは単なる一冊のテキストを読んだ。という達成感とは違って、一冊最初から最後まで読むという行為で、何かメッセージのようなものを受け取れた感覚がありました。


と、まだ殆ど開いてもいないのですが、ヤフオクで注文していた、北京大学で作成された中古の、300語水準、500語水準で書かれた中国の小説も大量に届いたので、これこそ、大量に読み進めたいです。


というわけで、簡単なテキストや簡単な用語で書かれた小説を、100冊くらいはとりあえず読んでみようではないかいプロジェクト。略して「中国語本を100冊読んでみる」を開始してみようと思いました。

やはり練習のための練習でなく


次第に人生に娯楽を求めなくなってきたからか、ひたすら千本ノックのような、音読の繰り返しもそれほど苦ではない。と言えば苦ではないのですが、中国語学習を開始してから、次第に小説を読んだり映画を見る時間が衰退し、仕事帰りや週末に通っていた芝居もライブも美術館も今では全く行けません。
その中でも特に2,3日で一冊読んでいた小説を読めなくなったところから、小説の禁断症状が出てきたのか、もう少し安娜がどう言って、汤姆がどうのという平板な会話だけでなく、小説を読みたい。人生の意味や無意味さを味わえる小説が読みたい。
ということから、そうそう、中国語で小説や、物語を読めばいいのでは!
と今更のことに気づいたのですが、やはり初心者では中国語の小説を読んだり映画をそのまま見ることができません。
そこで、前から何度かチャレンジしては、挫折をした「中国語がわかるリスニング」を今一度手にしてみました。
が、その難しさは、相変わらずです。どこが4級レベルなんだか!いや、もしかしたらわたしは中国語検定を受けたことがないのですが、本当は4級もこんな単語を知らないとだめなのか。しかし、単語以外も、今まで読んでいた中国語の教科書とは違う表現が多く、ちょっとこれを試してみたくなりました。このテキストを使っている人の記録を見たことがありませんが、この値段でこの量はお得なのでは?と値段だけではなく、教科書的な単語や文法を教えるためではない、本物の中国の物語や話に触れたいという欲から、少しこのテキストを試してみようと思います。


さらに、会社で上海万博へ行った人に、気楽に「中国語学習にいいDVDを買ってきてえ」と頼んでみたら、きちん上海で一番大きな書店で紹介していただいたらしいDVDをお土産で買ってきてもらいました。
「中国百姓身辺的故事」の上、下と「家有儿女」の 3、「家有儿女」は、3しか無かったらしい。
けど、さらに彼が気の利くのは、上海の屋台で、大量にDVDを買い漁り、その20余りの中国テレビドラマをわたしはひとつも知らないのですが、そこに、この「家有儿女」も入っていました。
一応実費で支払ったのですが、屋台のDVDは書いてはいけないくらいの1セット60円。様々なドラマ全部で1500円くらい。まだ、ひとつも本当にPC見えるのか試していません。
「中国百姓身辺的故事」と「家有儿女」は、さすが書店購入。問題なく映りましたが、やはり内容が初心者には辛いかもしれません。が、テキストがついていることもあって、少し試してみようと思います。


彼から上海万博やその他、中国の話を聞かされては、「自分で行けばいいじゃないか」と言われて、「いやいや」と答えたものの、いつか自分で中国に行く。というイメージを少し持つことも出来ました。


時間がないといいつつ7/24は
「漢語口語速成」基礎編の25をさらに音読。同じく「漢語口語速成」堤高編の6課。3時間
7/25は
「標準中国語」の9課と10課。「漢語口語初級教程」の12課。「漢語口語速成」基礎編の20課。3時間
7/26は
「初級漢語口語(2)」の7課、「漢語口語初級教程」の12課。「瞬訳初級 」3時間。しかし、「瞬訳初級」は、相変わらずムズイ。頭に入らない!これは単語集とは違い、単語の組合せですが、日本語でもなじみのないような短い言葉はなかなか馴染みません。わたしは文は長い方が記憶に残るようにすら思えてきました。

と、平日は家を出てから歩きの時間も入れての通勤時間を中心の学習時間ですが、
これって、学習時間なの?と思うほど、ぼおっとしてしまうこともあるのですが、まあとりあえず、時間に入れていますよ。

100回音読をすると暗記できるのか


23日の金曜日は、「漢語口語速成」の25課を5時間30分かけて学習しました。
使ったテキストそれだけだったのですが、最後のテキストの課でもあり、さらに最後には中国語の歌詞(日本ではホタルの光)があります。このテキストは口語中心なこともあり、内容は比較的簡単で、全く知らない単語もそう出てこないのですが、最後の歌詞は、今のわたしには知らない単語ばかりでした。たぶん、それほど使われない単語も多いと思うのですが、意地になってこの課を暗記しようとし、約4時間かけていろいろな音読の方法を入れ込んで、やみくもにこの歌詞を覚えようとしてみました。


前にも中国語を学習しはじめたばかりの頃、漢詩の暗記をしようとしたのですが、あの全くわからない漢字たちを音読していくと、その意味がなんとなく、伝わってくる。という感覚がわたしは好きです。


100回音読をするとどうなるかというと、結果は完全には暗記できませんでした。ただ、もうまったくわからない漢字たちの意味がよくわかりだし、また曖昧な表現を使うと、この歌詞の伝えているところが、漠然とわかるようになってくる感覚がとても奇妙で、とても楽しかったです。
それまでは、1冊のテキストを終わらせてもなにも感慨がないなあ。と思っていたのですが、この歌詞をここまで音読をしてはじめて、2週間の中国語学習を締められたと思いました。
古い歌詞なので著作権の問題もないので、書いてみます。
はたして、半年後にもわたしはこの歌詞をだいたい覚えているのでしょうか。
また、動画でこの歌を聴くことができたのも、音読の励みになりました。


「友谊地久天长」


怎能忘记旧日朋友 心中能不怀想
旧日朋友岂能相忘 友谊地久天长
友谊万岁 朋友 友谊万岁   举杯痛饮 同声歌颂友谊地久天长   


我们曾经终日游荡在故乡的青山上
我们也曾历尽苦辛 到处奔波流浪   
友谊万岁 朋友 友谊万岁   举杯痛饮 同声歌颂友谊地久天长   


我们也曾终日逍遥 荡桨在微波上
但如今已经劳燕分远隔大海重洋
友谊万岁 万岁朋友 友谊万岁   举杯痛饮 同声歌颂友谊地久天长   


我们往日情意相投 让我们紧握手
让我们来举杯畅饮 友谊地久天长
友谊万岁 万岁朋友 友谊万岁   举杯痛饮 同声歌颂友谊地久天长


都合で、土曜日と日曜日は殆ど中国語の練習ができなくなりました。なんとか早めに1冊終わらすことができてよかったです。

中国留学よりも効果的らしい日本での中国語習得方法

21日は、「漢語口語速成」の21課と22課を中心に8時間
22日は、「漢語口語速成」の23課と24課を中心に8時間。
と、だいたいそんな学習時間でした。このテキストは25課で終わりなので、おそらく23日には、いちおう、一冊終わらすことができます。
最後の5課あたりから、今までの構文がよく出るようになったり、一文が長くなったり、明らかに音読速度が速くなったりで、かなりメロメロの音読です。また、同意、不同意の文章や、頷くことばなど、注釈にもない決まり言葉のようなフレーズにも苦労させられました。

25課もざくっと見たのですが、特に最後の歌詞が難しいです。これは、本気で音読できなさそうです。「友谊地久天长」という歌なのですが、もしかしたら、ほたるの光?

一冊のテキストを終わらそうとしているのですが、やる前に期待していた達成感は全くありません。寧ろ、せっかくここまで中途半端ながら読みこなしたのだから、また何度か繰り返して、このテキストの課文をもう少し血肉にしないと、本当にもったいない気がしてきました。
このテキストの内容は、そこそこ面白いのですが、日本のテキストは文章がどうこうというよりも内容に面白味が無いので、あまり繰り返す気になりません。


なとど、書きながら、どのテキストを使うかは、あまり重要なことだとは考えていません。単純に言えば、時間をかけて練習をすれば、それなりの進歩はあるだろうと思います。もちろん、その時間に対して、能力とか年齢とか練習方法とか、まさしく運動能力計測的な係数が出てくるかと思うのですが。


そんなことすら、どうでもいいのでは。と考えるのは、一昨日に出かけた地元の中華料理店の出来事でした。そこの従業員は全て中国人で店員同士は中国語で、お客に対してだけ、数人の女性が日本語で話しかけてくれます。
もちろん、その店での中国語は全く聴き取れないし、こちらから中国語で話しかける勇気のかけらさえ持たないわたしです。
が、流暢な日本語を話す女性に、どこで日本語を学んだのかを聞いてみたところ、その女性から、中国語を話す時間が多いけど日本人だと言われて驚きました。今は大学の3年で1年から働きだして、働いたその日から中国語を使わなければならなくなった。今は中国ドラマもたいてい分かるようになった。おじさんも中国を勉強したければ、中国人がいる店で働けばいいよ。
などなどと言われました。
彼女から聞いた話は、坦々麺や餃子とともにわたしの体を満腹にさせてくれました。

彼女からも、中国語のテキストは一ページも見たことがない。と言う言葉から、漠然と前から考えていたのは、本当に外国語習得に最適な方法は、テキストを使った学習ではないかもしれない。ということです。


それでも、限られた人生の残された時間で、留学の機会も無く、中国人と話をする機会がないわたしは、「映画やテレビの中国語を十分に聴き取れて、新聞や小説を自由に読めるようになりたい。」という壮大な自分の目的にはもっともっと、今の数十倍くらいの量を聴いて文字をインプットしたいなあ。と、また適当な目標をたて、大学2年生水準のテキストを使う1年間の学習が終わった暁には、大量の中国語ドラマや物語を読まなくちゃ。と、「ちゃ」っと考えた、このごろでした。